泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

女帝が眠る八角形墳 「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」

2018年05月31日 21時25分55秒 | 歴史

2010年9月に明日香村教育委員会は、墳丘の周囲に敷かれた切石の形状から、「牽牛子塚古墳」が八角形墳であることが確認されたと発表しました。また、「牽牛子塚古墳」に隣接して新たな古墳が発掘されました。明日香村大字越小字塚御門の地名から、「越塚御門古墳」と命名されました。
日本書紀などの記述から、「牽牛子塚古墳」は斉明天皇・間人皇女合葬陵。「越塚御門古墳」は、斉明天皇の孫である大田皇女の墓であるとみられています。

明日香村は、両古墳を2020年をメドに復元し、歴史公園に整備する計画です。飛鳥に「石の都」建造を目指した女帝を想起させる遺跡を後世に残すべく、村は今年から復元計画に着手し現在工事が行われています。しばらくの間、「牽牛子塚古墳」を見ることができません。

今回は、女帝が眠る八角形墳「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」について紹介したいと思います。

「牽牛子塚古墳」の墳丘は、一辺約9m・対辺の長さ約22m・高さ約4.5mで3段に築かれており、側面を縦約30センチ、横約25センチの切り石5千個で覆っていたことが判明しました。石は約20キロ離れた二上山周辺から運んだとみられています。墳丘を築くために、丘陵の尾根周辺を大掛かりに造成した痕跡も確認されています。村教委は、石の切り出しや運搬など古墳築造に延べ2万人が従事したと推計。当時の権力者、中大兄皇子が主導したとみられています。

「牽牛子塚古墳」は、石英安山岩(寺山石)の二段積みの切り石で墳丘を飾る八角形墳です。墓室は、凝灰岩の巨石を刳(く)り抜き、中央に間仕切り壁を設け、同寸の石室を2室つくっています。両室とも長さ2.1メートル、幅1.2メートル、高さ1.3メートルで棺台を刳り出しています。天井は、それぞれ四隅に稜(りょう)をもったドーム状に仕上げています。入口は二重の扉石で閉塞(へいそく)しており、内扉は凝灰岩、外扉は一回り大きい石英安山岩を使い、墓室との目地(めじ)は漆食(しっくい)で密封しています。現在では盗掘のため、外扉石は大きく南に傾斜し、内扉も現地にはありません。二度の調査によって夾紵(きょうちょ)棺の破片が多数出土しました。金銅製八花形座金具、七宝製亀甲(きっこう)形飾金具、銀線を通したガラス玉がありました。

明日香村にある「明日香村埋蔵文化財展示室」において、「牽牛子塚古墳」から出土した遺物を見ることが出来ます。

「斉明天皇」は、天皇中心の国家づくり「大化の改新」を進めた中大兄皇子(天智天皇)の母。史上初めて皇位を譲位し、さらに重祚(ちょうそ)(再び即位)した天皇として知られています。

飛鳥時代の『見える化』の取り組みとして、墳丘を屋根で覆い当時の石を模したタイルを積んで八角形の外観を再現し、石槨も見学可能にする構想です。

1300年の時を超えて再び姿を現す「女帝の八角形墳」は、現代人の目にも威容に映ることだろうと思います。楽しみにしています!

                                            

 

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