泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

奈良県桜井市の「箸墓古墳周辺にある古墳」探訪(後)

2020年10月27日 14時37分05秒 | 歴史

奈良県桜井市にある「箸墓古墳」は、邪馬台国の女王の「卑弥呼」の墓ではないかともいわれています。また、周辺には多くの古墳が分布します。前回は、「箸墓古墳」の東側にある「纏向遺跡(箸墓古墳)・ホケノ山古墳・慶運寺裏古墳」を紹介しました。

今回は、奈良県桜井市の「箸墓古墳周辺にある古墳」探訪(後)を紹介したいと思います。

〇「茅原大墓古墳」は、「慶運寺裏古墳」から徒歩約10分位の所にあり、近くに駐車場もあり整備されています。帆立貝式前方後円墳で復元長は全長約86m、後円部径約72m、高さ約9m、前方部長さ約15m、高さ約1mで埴輪及び葺石を持つ古墳です。前方部を北に向け周濠の痕跡と見られる池があります。墳丘の調査での出土遺物は円筒埴輪、朝顔形埴輪、きぬがさ型埴輪,壺形埴輪などがあります。日本最古級の人物埴輪は大きな話題となりました。墳丘に上がると、すぐ東側には三輪山が見えます。大墓と言われるように、遠くからでもわかる古墳です。

     

 〇「弁天社古墳」は、桜井市茅原の南端に鎮座する「富士社・厳島神社」の社殿の背後の老大樹の下に残る古墳です。「茅原大墓古墳」から徒歩約10分位の所にあります。注意してないと通りすぎる場所にあります。石室は両袖式横穴式(全長不明)で羨道部は開口しておらず玄室内へは崩れかけた奥壁と天井石のわずかな隙間から入ることが出来ます。玄室部の石棺は破壊され一部の石材が残っているのみですが羨道部に追葬用と思われる石棺が残っています。石棺の全体の形状は不明ですが刳抜式の家型石棺で三輪山麓において横穴式石室と石棺が残る数少ない古墳です。古墳時代後期と思われます。神社のなかにあり、石室を覆う封土は失われ石材が露出している古墳です。石棺の端が見えていて、石棺内もカメラ越しですがみえました。形態共に、とても珍しい古墳でした。

        

〇「茅原狐塚古墳」は、JR桜井線の三輪駅と巻向駅の中間あたりの線路沿いにある方墳で巨大横穴式石室を持つ古墳として知られています。「弁天社古墳」から徒歩約10分位の所にある古墳です。一辺50m前後の方墳で墳丘の一部はJRの線路造成時に削られ、他も畑地への転用などで改変され現状は1辺30m前後となっています。石室は封土が殆ど失われむき出しになっています。三輪山周辺では数少ない大型の横穴式石室を持ち古墳マニアに人気のある古墳です。 石室は巨大な花崗岩の乱石積みの両袖式の横穴式で全長がなんと約17mもあります。(玄室長が約6m、羨道長は約11m)これは桜井市の横穴式石室では一番長い石室で県下でも有数の長い石室です。ちなみに、明日香村にある石舞台古墳の玄室は長は約8m、羨道長は約12mです。

石棺は玄室に3棺が見つかっています。築造年代は石室及び副葬品から6世紀末~7世紀初めと思われます。

この古墳を見たとき、まるで明日香村にある「石舞台古墳」の形態と、あまりにも似ているので驚きました。この古墳は、田んぼの中にポツンとあり、古墳の真横には農小屋があって遠くから見ると古墳とは気づきませんでした。このような場所に、古墳があることに大変驚きました。古墳が好きな方には、是非おすすめします。ただ、場所が分かりにくいのが欠点です。私も、実際行かれた方のブログ等を参考に行きました。

2回にわたって「箸墓古墳」の東側にある古墳の探訪でした。初めて行く古墳もあり、地図を見ながらの古墳探訪はとても楽しかったです!

       

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