泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

奴国を歩く4「奴国内にある須恵器窯跡」

2019年08月23日 11時36分39秒 | 歴史
前回の「奴国を歩く2・3」では、弥生時代後の古墳時代に築かれた、春日市内にある代表的な古墳である
国指定史跡「日拝塚古墳」や「下白水(しろうず)大塚古墳)・赤井手古墳・竹ノ本古墳)」を紹介しました。
今回の「奴国を歩く」では、6世紀中頃~9世紀中ごろに築かれた「牛頸須恵器窯跡」の紹介と
実際に見学できる春日・大野城市内にある窯跡を紹介したいと思います。
今回は、奴国を歩く4「奴国内にある須恵器窯跡」を紹介したいと思います。

 先日、福岡県大野城市曙町の市民ミュージアム「大野城心のふるさと館」において、「西海道最大の窯場・牛頸須恵器窯跡を探る」というテーマで、ふるさと文化財課の方による講演があり参加してきました。

「大野城心のふるさと館」では、市内にある国指定史跡「牛頸須恵器窯跡群」に関する常設展示(須恵器・ヘラ書き須恵器・のぼり窯の模型等)無料で見学できます。

 九州最大の須恵器の窯跡群である「牛頸窯跡群(うしくびかまあとぐん)」は、6世紀中頃から9世紀中頃にかけて操業された西日本最大規模の「須恵器窯跡群」です。大野城市上大利・牛頸を中心とし、春日市・太宰府市に分布します。分布調査の結果、窯跡は東西4㎞、南北約4.8㎞の範囲に分布し、本来500基前後の窯跡があったと推定されます。窯構造は地下式窖窯であり、6世紀中頃から末にかけて大型化が進み、6世紀末〜7世紀前半には全長が10mを越す大型のものが多くなり、それ以後は小型化していきます。窯の大型化が進む時期には、焼成部奥に複数の煙道をもつ「牛頸須恵器窯跡」特有の多孔式煙道窯が多く見られます。古墳時代から奈良時代前半の焼成器種は、坏・瓶類・甕など多様ですが、奈良時代中頃には坏・皿などの小型器種に特化していきます。その流通範囲は、古墳時代は福岡平野周辺に限定されますが、奈良時代には律令制下の国境を越えて九州北部全体に広がります。しかし、8世紀の終わりごろから窯の数が急速に減り器種も少なくなりました。同じころ、肥後(現在の熊本県)の影響を受けた器種が出現します。9世紀中頃には、牛頸地域では須恵器生産を終了したようです。

今回の講演でとても興味深かったのは、ヘラ書き須恵器からわかる人名と須恵器工人の墳墓です。

ヘラ書き須恵器からわかる人名の判明する8名のうち、5名が大神部(近畿地方に由来する氏族)です。牛頸地区では、大神部が主要な工人だったようです。なんと大和の氏族が関わっていたとは知りませんでした。

また、須恵器工人の墳墓では、窯を墳墓に転用した窯跡が見つかっています。6世紀末~7世紀前半にかけてのもので、象嵌の鉄刀などが見つかっています。窯が、墳墓に転用されたとは、思いもしませんでした。この地域の工人の首長の墳墓だったのかもしれませんね。

とても充実した内容の講演でした。講演後、春日市にある「ウトグチ瓦窯」と、大野城市にある「梅頭窯跡」に歴史散策してきました。

                                     

〇春日市の白水ヶ丘地区では、九州で最古級の瓦を焼き上げるのぼり窯が発掘されています。地名から「ウトグチ瓦窯(かわらがま)」と名付けられたこの瓦窯跡は、7世紀後半の頃に丘陵の斜面につくられたものですが、全長はなんと14mです。7世紀後半の九州では、最古級の瓦窯であります。ここで焼かれた大量の瓦は、一説によると寺院の建築に用いられたと考えられ、遺跡周辺の古い地名から「白水(しろうず)廃寺」の存在が推定されます。ここで発見された瓦は、奈良県桜井市にある「山田寺」の瓦に似ているものもあるようです。「ウトグチ瓦窯」展示館では、この大きな規模の瓦窯跡を発掘調査当時のまま展示しており、窯の中から出土した瓦についても紹介しています。また、展示館の外には瓦製作時の作業用通路も残っているので、こちらも必見です。展示館に併設しているのぼり窯体験広場では、毎月やきもの作り教室が開催されています。古代の人々に想いを馳せながら作品作りに挑戦してみるのもおすすめです。県指定の史跡であり、体感型の展示施設でもあるウトグチ瓦窯展示館は、古代史ファンならずとも楽しめるスポットとなっています。

                         

〇大野城市の上大利地区にある三兼池公園の敷地内にある「梅頭窯跡」は、九州最大の須恵器の窯跡として有名な「牛頸窯跡群」(国指定史跡)に属し、6世紀後半~7世紀初頭につくられたもの。斜面を利用した窯ならではの構造が要注目なほか、発掘調査では、窯跡での発見は極めて珍しい副葬品と思われる鉄刀や鉄鏃なども出土したことから、須恵器の窯がお墓として再利用された全国初の例として新聞メディアをにぎわせたことも知られています。(「梅頭窯跡」は、2019年4月14日、私のこころの風景「ずっと残したいふるさとの景色・牛頸」(歴史編)で紹介させていただきました。

特に、大野城市の牛頸山「牛頸窯跡群」跡を歴史散策していると、須恵器のかけらを見ることが出来ますよ!

   

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