泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

古代下ツ道から近世中街道へ「田原本町」歴史散策(1)

2019年03月17日 22時38分52秒 | 歴史

奈良盆地のほぼ中央に位置する奈良県田原本町は、古くは「俵本」とも書かれた歴史のある町で、かつては古代下ッ道(中街道)に沿った交通の要衝であると共に、豊臣秀吉の時代から江戸期を通して5000石の交代寄合の旗本で、明治に入って政府に嘆願し大名に列した平野氏の陣屋町であった所です。さらに教行寺(田原本御坊)の寺内町という性格を合わせ持った都市でした。この歴史ある「田原本町」を2回に分けて、歴史散策してきました。

今回は、古代下ツ道から近世中街道へ「田原本町」歴史散策の様子を2回に分けて紹介したいと思います。

(行程)

近鉄田原本駅(出発)-津島神社(祇園祭は中和最大の夏祭り)ー楽田寺(中世田原本の中心地)-浄照寺(太鼓楼に江戸時代の面影)-本誓寺(領主平野家の菩提寺)-田原本聖救主教会ー平野氏陣屋跡(現在は、田原本町役場)・旧町並み(平野氏5千石の陣屋町と寺内町)ー近世中街道(古代下ツ道)ー新町武村邸ー鏡作神社(古代鏡作の中心地)-安養寺(快慶の仏像とご対面)-笹鉾山古墳(完形の馬形埴輪が出土)-鍵の蛇巻き・八坂神社ー千万院(創建は聖徳太子)・池神社(秋祭りは山車は圧巻)-唐古・鍵遺跡史跡公園(散策終了)

以前、「田原本町」は地元のボランティアガイドの案内で、近鉄田原本駅の西側地域を中心に歴史散策しきました。(2016年12月6日のブログ、多くの太子伝説が残る「太子道(筋違道)」で紹介させていただきました。)今回は、東側の寺内町や近世中街道(古代下ツ道)沿いを中心に、観光協会でいただいたガイド地図を見ながらの散策でした。

今回は、近鉄田原本駅(出発)-津島神社(祇園祭は中和最大の夏祭り)ー楽田寺(中世田原本の中心地)-浄照寺(太鼓楼に江戸時代の面影)-本誓寺(領主平野家の菩提寺)-平野氏陣屋跡(現在は、田原本町役場)・旧町並み(平野氏5千石の陣屋町と寺内町)ー近世中街道(古代下ツ道)までを紹介したいと思います。

〇「田原本町」の町並みは、かつての町割りをそのまま残す碁盤の目に狭い街筋は、自動車に一方通行を強いたうえで、伝統的な商家建築がいたる所に残されています。江戸時代から明治4年の廃藩置県まで行政中枢施設として存在していました。現在では開発によって消滅してしまいましたが、石碑が建てられているのでそれが目印です。水路や路地は残っていることから、当時の面影をしのぶことができます。

また、田原本町には多くの神社が点在しますが、その中でも「津島神社」は地元の人に親しまれています。田原本町住民から「祇園さん」の愛称で呼ばれています。神社の近辺は、伝統的な商家建築がいたる所に残されていて、見ごたえがありました。

              

〇「浄照寺」は、平野長勝の創建と伝えられ木造阿弥陀如来立像(江戸時代前期)を本尊としています。また、寺宝として親鸞上人画像一幅があり、大谷本廟に安置されていたものを本願寺から下付されたといわれています。 主な建造物には、本堂・庫裏・鐘楼・太鼓楼・表門があり、このうち表門は、伏見桃山城の城門を移築したものと伝えられています。寺内町の中心で、とても立派なお寺でした。

         

〇「田原本聖救主教会」は、日本聖公会の田原本布教の歴史は、1883年の説教会に始まり、1895年には最初の会堂を建築し、伝道を本格化しました。

 現会堂は、1933年に建てられ、木造平屋、切妻造りです。屋根は桟瓦葺(さんかわらぶき)、鬼瓦の紋には十字架がついています。玄関妻側の窓も色ガラスがはめ込まれ、桟は十字架をかたどっており、昭和初期当時の面影を留めています。 NHK連続テレビ小説「芋たこなんきん」、「マッサン」のロケ地としても使用されました。

まさか、よく見ていた「マッサン」のロケ地とは知りませんでした。見逃してしまいそうな、小さな教会でした。

     

〇 「平野氏陣屋跡」は、江戸時代、田原本町を治めていた「平野長泰」から名前を取ったのが由来です。

「平野氏陣屋跡」は、現在の田原本町役場になっています。陣屋は、賤ヶ岳の七本槍の一人である「平野長泰」が拝領した田原本村の地に、その二代目長勝が1635年に着工しました。長勝は、当時の田原本で寺内町形成を進めていた浄土真宗の教行寺を1647年に著尾へ引払わせ、陣屋を1648年に竣工させました。陣屋は、明治4年の廃藩置県まで平野氏支配下の行政中枢施設として役割を果たしました。平野氏陣屋跡は、周辺の市街化が進み、水路と路地がその地割りを伝えるのみです。しかし田原本は寺内町の機能が維持された上に、中街道及び大和川の水運による大阪との交通により、高市郡の寺内町「今井町」に匹敵する商業資本を蓄積すると共に、その発展は明治20年まで続くこととなりました。

「平野氏陣屋跡」の説明板がなければ、通り過ぎるところでした。

次回は、近世中街道(古代下ツ道)ー新町武村邸ー鏡作神社(古代鏡作の中心地)-安養寺(快慶の仏像とご対面)-笹鉾山古墳(完形の馬形埴輪が出土)-鍵の蛇巻き・八坂神社ー千万院(創建は聖徳太子)・池神社(秋祭りは山車は圧巻)-唐古・鍵遺跡史跡公園(散策終了)を紹介したいと思います。

      

 

 

 

 

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