泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

古代の最高位の官寺である 「大官大寺」跡

2016年07月11日 20時54分04秒 | 歴史

奈良県明日香村小山にある「大官大寺」跡は、天香久山の南に広がる平坦地にあり、南に下れば甘樫丘、飛鳥寺などがある場所です。

文武天皇建立の最高位の官寺である「大官大寺」は、文武天皇(在位697-707)が建立に着手した国家の寺です。「大官大寺」の「大官(おほつかさ)」とは天皇を意味するともいわれ、天皇の大寺をそのまま寺名とする官寺の中でも最高位の官寺です。寺とは、天皇が建立し朝廷によって経営される国立の寺院のことです。

今回は、古代の最高位の官寺である「大官大寺」跡を紹介したいと思います。

〇「大官大寺」

『日本書紀』に「・・大寺」と記されているのは、「百済大寺」・「高市大寺」・「大官大寺」の三つに限られています。しかも、「百済大寺」と「高市大寺」は「大官大寺」の前身の寺であり、大官大寺は官寺の中でも極めて格の高い大寺で、言うならば「寺の中の寺」でした。

完成前に焼亡したとされる「大官大寺」は、和銅4年(711)に火災により全て灰燼に期しました。この焼亡時の建築進捗状況は、金堂と講堂は完成、塔本体は完成していたものの基壇化粧などの最終工程には至っていなかったようです。また中門、廻廊はまさに建築途中であったようです。現存する土壇上には、なんと九重塔が建てられていたと推定されています。

「大官大寺」の調査位置図を見ながら、何か痕跡はないかと歴史散策を行いました。塔跡と金堂跡の基壇跡は残っていますが、中門跡や講堂跡の痕跡は見つけることができませんでした。

強いて言うならば、中門跡や講堂跡は現在、畑等になっているような気がしました。また、金堂跡の基壇跡には、瓦や土器等が一か所に集められていました。ここから出てきたものでしょうか・・・

            

〇「吉備池廃寺」

桜井市吉備の集落の南にある「吉備池廃寺」は、「大官大寺」の前身の「百済大寺」の跡ではないかと言われています。東側には東西37メートル・南北約28メートル、西側は一辺約30メートル四方と巨大なもので、それぞれ寺院の金堂・塔の基壇にあたります。塔基壇の中央には、心礎の抜取穴もみつかり、南面の回廊も発見されています。

         

〇「高市大寺」

「大官大寺」の前身の「高市大寺」については、天武天皇の時(673年12月17日)、御野王(「みののおおきみ」で美濃王と同じ)と紀訶多麻呂が造寺司に任命され、このときに寺を百済の地から高市の地に移したとあります。改称前の「高市大寺」の所在については不明ですが、香久山の西北、藤原宮の東にあった「木之本廃寺」が有力候補とされているようです。

今回は、調査位置図を見ながらの歴史散策でした。色々と想像しながらの散策でしたので、とても興味深く散策することができました!

次は、「大官大寺」の前身の「高市大寺」跡とされる「木之本廃寺」を探し歩いてみたいと思います。

 

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