奈良県橿原市五条野町にある「植山古墳」は、大阪の太子町にある「山田高塚古墳(推古天皇陵)」へ改葬される前の「推古天皇と竹田皇子」の合葬墓ではないかと言われています。
現在「植山古墳」は、歴史公園として整備が行われています。明日香村から車で約5分の所にあります。久しぶりに、訪れました。
今回は、推古天皇と竹田皇子の合葬墓?「植山古墳」を紹介したいと思います。
〇古墳公園として整備されている「植山古墳公園」の園路を登ると、眺望が開け西には二上山や葛城山を望むことができます。すぐ近くには、奈良県最大の「五条野丸山古墳」(全長318m)の前方後円墳を見ることができます。
古墳の丘遺跡部には、大阪(太子町)に改葬後、古墳を守るための柱塀の跡がみつかり、現在柱跡が復元されています。
「植山古墳」は、東西40m、南北27mの長方墳(長方形の墳丘の古墳)です。墳丘には、東西に並ぶ2つの横穴式石室があることから、双室墳と呼ばれることもあります。現在「植山古墳」の墳丘部分は、保護のためブルーシートに覆われています。遺跡部は、長方形の外形復元・双室墳の石室の修復を行い、将来公開の予定だそうです。
〇「植山古墳」に使われていた石材が、周辺に所在する「八咫烏神社・春日神社・スサノオノミコト神社」で見ることができます。
横穴式石室の中には、扉を設けるための閾石(しきみいし)があり、扉やその壁の一部が近くの「八咫烏(やたがらす)神社」「春日(かすが)神社」「素戔鳴命(すさのおのみこと)神社」の境内にある「踏石」などに使われています。以前、研修で教えていただきました。
「植山古墳」から出土した扉材の一部と考えられる石材は、丁寧に加工されていました。3つの神社は、近鉄岡寺駅から徒歩15分の所にある「植山古墳公園」の周囲にあり徒歩で行けます!
それにしても、どうして神社の「踏石」などに使われているのでしょうか・・・
・「八咫烏(やたがらす)神社」
・「春日(かすが)神社」
・「素戔鳴命(すさのおのみこと)神社」