前回、「魏志倭人伝」の世界を歩くシリーズで、奴国を歩く4「奴国内にある須恵器窯跡」を紹介させていただきました。(2019年8月23日)
その際、福岡県大野城市曙町の市民ミュージアム「大野城心のふるさと館」において、「西海道最大の窯場・牛頸須恵器窯跡を探る」というテーマで、ふるさと文化財課の方による講演があり参加してきました。
今回は、歴史講座の続きの現地研修として、学芸員さん受講生約30名程の方々と一緒に、福岡県築上郡築上町にある「船迫窯跡」公園と「豊前国分寺跡・豊前国府跡」に行ってきました。その様子を、2回に分けて紹介したいと思います。
今回は、豊前にある「船迫窯跡」公園の歴史散策の様子を、紹介したいと思います。
九州最大の須恵器の窯跡群である「牛頸窯跡群(うしくびかまあとぐん)」(福岡県大野城市・春日市)は、6世紀中頃から9世紀中頃にかけて操業された西日本最大規模の「須恵器窯跡群」です。
この「牛頸窯跡群(うしくびかまあとぐん)」と同時期の窯跡である、豊前(福岡県築上郡築上町)にある「船迫窯跡」に行ってきました。
〇「船迫窯跡」公園
福岡県築上郡築上町船迫にある「船迫窯跡」は、発掘調査によって6世紀後半の須恵器(硬く焼き締まった土器)を焼いた窯跡から、7世紀中頃の九州最古級の瓦を焼いた窯跡、そして奈良時代には「豊前国分寺」の瓦を焼いた窯跡と、巨大な瓦製作工房建物跡が発見されました。瓦を製作・乾燥する工房建物跡は30m×12mの巨大なもので、2棟が発見されました。窯跡から出土した鬼瓦は残存状態が良く、また鴟尾には朝鮮半島百済の蓮華文や唐草文が施されています。これらの窯跡群と工房跡は平成11年、国指定史跡に指定され、船迫窯跡公園として一般公開されています。敷地内には工房跡の大型建物が復元され、山の中には発掘された窯跡の現物が見学できます。この窯跡の特徴は、6世紀には須恵器だけを焼き、7世紀に瓦が同時に焼かれるようになり、8世紀には瓦だけを焼くようになったようです。
公園内にある工房跡は、全国でも希少な例で、これまでの京都の「上人ヶ平遺跡」でしか発見されていないようです。この工房跡は、約30メートル×12メートルの大型掘立柱建物2棟で、瓦の乾燥施設と考えられています。このうち1棟が復元されており、東屋のような形で、夏でも涼しく過ごすことができる形になっています。
この遺跡から出土した遺物には、須恵器の坏や甕などの日用品をはじめ、「豊前国分寺」に葺かれた瓦などがあります。中でも、大宰府系と見られる鬼瓦は残存状態が良く、また国内でも類を見ない百済系の蓮華文様が施された鴟尾(しび)も発見されました。公園内にある「体験学習館」において、見ることが出来ます。特に、大宰府系と見られる鬼瓦は、大宰府政庁跡で発見された鬼瓦(重要文化財)とそっくりなのに、大変驚きました。ひょとしたら、ここで造られたのでしょうか・・・
また公園内には、「堂がえり古墳群」があり見学出来ます。丘陵斜面には、7世紀中頃から後半にかけての古墳が4基あります。いずれも直径10m位の円墳で、横穴式古墳です。4号墓からは、金銅製耳環や須恵器の完成品が出土しました。多分、「船迫窯」の工人達のリーダーの墓ではないかとのことでした。丘陵地にあり工房や窯から見える所に築かれ周りを見渡すと、もっと古墳がありそうな所でした。国指定史跡である「船迫窯跡」公園は、とても整備されていて、一見の価値がある公園でした!
次回は、豊前にある「豊前国分寺跡・豊前国府跡」の歴史散策について、紹介したいと思います。