奈良県には、古代からの道が数多く残っています。その中でも、余り知られていない「北の横大路」周辺を歴史散策してきました。
「北の横大路」とされる道は、斑鳩町の法隆寺付近から天理市の櫟本までまっすぐ東西に通っていた道です。現在の国道25号線の一部と県道192号の一部区間に相当します。別名、「業平道」とも呼ばれています。西側で、竜田奈良街道に接続します。
今回は、奈良「北の横大路」周辺を紹介したいと思います。
『日本書紀』の613年に、「難波より京に至る大道(おおみち)を置く」とある「大道」の一部が、この「横大路(よこおおじ)」です。奈良盆地を東西に貫く古代からの道です。 「横大路」と呼ばれた道は、奈良盆地南部の藤原京付近を通っていた道 と 、法隆寺付近から現在の天理市櫟本(いちのもと)付近までの道の二つがあり、通常は前者のことを指します。
後者は「北の横大路」と区別されます。通常「横大路」と呼ばれる道は、桜井市の三輪山の南から葛城市の二上山付近まで東西にほぼまっすぐに設置された道です。難波京と飛鳥京を結ぶ官道のひとつとして整備されました。 別名、伊勢街道(伊勢本街道)とも呼ばれています。
「北の横大路」は、天理市の中心部からは北へ約2kmの旧上街道沿いに「奈良の難読地名」の一つ「櫟本(いちのもと)」地区が起点となります。 「和爾下神社」前交差点を東西に走る旧街道とそれに併走 して流れる奈良時代の水路は、「和爾下神社」へ至る古代参詣道「北の横大路」の遺構です 。
天理市の中心部からは北へ約2kmの旧上街道沿いに「櫟本(いちのもと)」があり、「上街道」と「北の横大路」櫟本地区の古い町並みがあります。この町並みは、西名阪自動車道の高架下を南北に縦断し、そして今も「上街道」沿いに商店街を形成しています。
この「上街道」と「北の横大路」が交差する場所で古くから市場が開かれ、 商業の活発だったことから「市場」という地名が始まり、それが転じたのか古くは櫟井とも書かれていました。「北の横大路」は別名「業平道」とも呼ばれ、また東側の伊勢方面への道は近世には「高瀬街道」と呼ばれるようになります。
(行程)
和爾(わに)下神社(前方後円墳の上にある神社)ー在原神社(三六歌仙の一人を祀った神社)ー赤土山古墳(国指定跡)-東大寺山古墳(4世紀後半の前方後円墳)-「上街道」と「北の横大路」
「和爾下神社」を起点に「上街道」と「北の横大路」を歴史散策しましたが、南にある「横大路」と比べると古道の痕跡が少なったです。でも、横道にはいると迷路のような古い町並みや古墳等があり、とても興味を引く歴史散策となりました。
10月15日には、地元の大学と協力して地域活性化の一環として「北の横大路」等のウオーキングが計画されているようです。これだけの歴史遺産を、もっと多くの方に知っていただきたい素敵な場所ですね!