伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/12/05

2018-12-05 07:55:03 | 一日一章・聖書通読日記
ヨハネによる福音書 2:1-5

三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。 イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。 ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。 イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。 母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。

有名なカナの婚礼の話です。イエスの母マリヤは、おそらく婚礼の手伝いに来ていたものと思われます。だからこそぶどう酒がなくなったことを知っていたのでしょう。そして客人として招かれていたイエス様に、何とかならないかと持ちかけたのです。これは、神様の力を自分の問題解決のために引き出そうとする心を象徴したものです。そこでイエス様は、最初は「なんの係わりがありますか」と冷たく返事をされたのではないかと思われます。するとマリヤは、この方の命じることは何でもしなさいと、僕たちに告げました。イエス様を、自分の子としてではなく、権威ある者として敬う態度に変わったのです。私たちは神様に対して、あまりにも馴れ馴れしく、失礼な接し方をしてないでしょうか。親しき仲にも礼儀ありと言いますが、神を神として畏れる心を、私たちは持たなければなりません。

http://bible.com/81/jhn.2.1-5.ja1955

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ヨハネによる福音書 2:6-12

そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。 イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。 そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。 料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで 言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。 そののち、イエスは、その母、兄弟たち、弟子たちと一緒に、カペナウムに下って、幾日かそこにとどまられた。

カナの婚礼の場にあったものは、ユダヤ人のきよめの慣わしを守るために用いられる120リットルもの大きな水瓶が6つでした。この6という数は、ユダヤの完全数7に1つ足りません。これは人の行いによるきよめは不完全、どれほど頑張っても、まだ何か一つ足らないことを意味します。その不完全な水瓶をイエス様は用いて、水をぶどう酒に変える奇跡を行われました。そこに必要なものは、イエス様の御言葉に完全に聞き従う忠実な働き人です。たといこんなことは無駄だと思っても、意味がないと思っても、何事も御言葉に従って誠心誠意行うならば、イエス様はすべてを良きに変えて、人間にできる以上の最高の結果をもたらして、神の栄光を顕してくださいます。水を汲んだ僕となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/jhn.2.6-12.ja1955

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ヨハネによる福音書 2:13-17

さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上られた。 そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、 なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、 はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。 弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう」と書いてあることを思い出した。

イエス様の宮きよめの話は十字架に掛かられる直前にも出てきますが、ここでは第1回目の宮きよめです。イエス様が2回も同じことを行ったということは、とても重要なことを意味します。当時の神殿で捧げられる礼拝は、傷のない動物を犠牲として捧げ、また当時流通していたローマの貨幣ではなく、ユダヤの貨幣で献金を捧げなければなりませんでした。ですから地方からエルサレム巡礼に来た人は、神殿に上る前に、これらのものを用意する必要がありました。それを逆手にとって、当時の祭司長たちは犠牲の動物や両替に高い手数料をつけて、異邦人の庭と呼ばれる神殿の前庭で商売させ、その利益を上納させていました。しかしこの庭は本来、ユダヤ人以外の改宗者たちが礼拝を捧げる場所でした。その礼拝の場をユダヤ人だけのために取り上げ、しかも不正の利益を得るという大罪を、イエス様は厳しく責められたのです。今なお人の宗教心に便乗した霊感商法が幅広く行われていますが、まことの神様が喜ばれるはずがありません。私たちも礼拝の場を自分の利益のため、更に言うと自分の満足を叶える場としてはなりません。

http://bible.com/81/jhn.2.13-17.ja1955

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ヨハネによる福音書 2:18-22

そこで、ユダヤ人はイエスに言った、「こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せてくれますか」。 イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。 そこで、ユダヤ人たちは言った、「この神殿を建てるのには、四十六年もかかっています。それだのに、あなたは三日のうちに、それを建てるのですか」。 イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである。 それで、イエスが死人の中からよみがえったとき、弟子たちはイエスがこう言われたことを思い出して、聖書とイエスのこの言葉とを信じた。

イエスの行った宮きよめのために収入源を絶たれたユダヤ人たちは、こんなことをするならばどのようなしるしを見せるかとイエスに詰問しました。彼らは何をするにも見返りを求める人々だったのです。イエス様は、神殿を3日で建て直すと言われました。それはもちろん、目に見える神殿ではなく、まことの礼拝の回復、イエス・キリストの十字架と復活による罪の購いと永遠のいのちの約束を意味します。ユダヤ人たちは、この神殿を建てるのに46年も掛かっていると、この世のことにしか関心がありませんでしたが、イエスの弟子たちは、そのときには何のことだかわかりませんでしたが、復活の主に出会った後に真の意味を悟りました。私たちもまた主イエスを信じる信仰により、罪の赦しと永遠のいのちに与る者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/jhn.2.18-22.ja1955

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ヨハネによる福音書 2:23-25

過越の祭の間、イエスがエルサレムに滞在しておられたとき、多くの人々は、その行われたしるしを見て、イエスの名を信じた。 しかしイエスご自身は、彼らに自分をお任せにならなかった。それは、すべての人を知っておられ、 また人についてあかしする者を、必要とされなかったからである。それは、ご自身人の心の中にあることを知っておられたからである。

ヨハネによる福音書2章のテーマの1つは「しるし」です。それは、奇跡を見て信じるのではなく、奇跡や御業の背後にある神の真理に気付くかどうかの信仰のテストです。私たちもイエス様を、物語の主人公として認知するのではなく、その御言葉と御業に秘められた神の摂理を悟り、真実な信仰に至る者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/jhn.2.23-25.ja1955
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【今日の聖句】 2018/12/05

2018-12-05 06:50:28 | 今日の聖句
マタイによる福音書 6:3-4 新共同訳

施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。 あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。

聖書の中で右はきよさ、左は不浄を意味することがあります。施しは善い行いの一つですが、その動機が憐れみの心からではなく、自己顕示欲のためになってしまわぬよう、右の手(善)ですることを左の手(邪心)に知られぬよう、心して善い業に励む私たちでありますように。

http://bible.com/1819/mat.6.3-4.新共同訳
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