伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2020/02/05

2020-02-05 07:45:48 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記上 1:1-6

エフライムの山地のラマタイム・ゾピムに、エルカナという名の人があった。エフライムびとで、エロハムの子であった。エロハムはエリウの子、エリウはトフの子、トフはツフの子である。 エルカナには、ふたりの妻があって、ひとりの名はハンナといい、ひとりの名はペニンナといった。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。 この人は年ごとに、その町からシロに上っていって、万軍の主を拝し、主に犠牲をささげるのを常とした。シロには、エリのふたりの子、ホフニとピネハスとがいて、主に仕える祭司であった。 エルカナは、犠牲をささげる日、妻ペニンナとそのむすこ娘にはみな、その分け前を与えた。 エルカナはハンナを愛していたが、彼女には、ただ一つの分け前を与えるだけであった。主がその胎を閉ざされたからである。 また彼女を憎んでいる他の妻は、ひどく彼女を悩まして、主がその胎を閉ざされたことを恨ませようとした。

イスラエルを導く者のいなかった士師の時代の終末に、最後の士師として大預言者サムエルが登場します。エフライムはイスラエル中央にあり、当時神の会見の幕屋があったシロもエフライムに属する地です。そのエフライムの山地に、エルカナという人がいました。彼には正妻のハンナと、側妻のペニンナという2人の妻がいました。ハンナは子宝に恵まれなかったために、子孫を残すために側妻としてペニンナを迎えたのでしょう。子宝に恵まれたペニンナは、夫の寵愛を受けている正妻のハンナを憎み、また見下して、彼女が子宝に恵まれないことを神に向かって恨ませようと、辛く当たりました。一見どこにでもありそうな、まるでテレビドラマのような設定です。そんな複雑な人間関係の中から、神はイスラエルを導く大預言者サムエルを立てられたのです。神が私たちの人生に関わりを持ってくださるとき、当たり前のようなごく普通の私たちの人生もまた、神の栄光を現すために変えられてゆきます。

https://www.bible.com/bible/81/1sa.1.1-6.ja1955

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サムエル記上 1:7-18

こうして年は暮れ、年は明けたが、ハンナが主の宮に上るごとに、ペニンナは彼女を悩ましたので、ハンナは泣いて食べることもしなかった。 夫エルカナは彼女に言った、「ハンナよ、なぜ泣くのか。なぜ食べないのか。どうして心に悲しむのか。わたしはあなたにとって十人の子どもよりもまさっているではないか」。 シロで彼らが飲み食いしたのち、ハンナは立ちあがった。その時、祭司エリは主の神殿の柱のかたわらの座にすわっていた。 ハンナは心に深く悲しみ、主に祈って、はげしく泣いた。 そして誓いを立てて言った、「万軍の主よ、まことに、はしための悩みをかえりみ、わたしを覚え、はしためを忘れずに、はしために男の子を賜わりますなら、わたしはその子を一生のあいだ主にささげ、かみそりをその頭にあてません」。 彼女が主の前で長く祈っていたので、エリは彼女の口に目をとめた。 ハンナは心のうちで物を言っていたので、くちびるが動くだけで、声は聞えなかった。それゆえエリは、酔っているのだと思って、 彼女に言った、「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい」。 しかしハンナは答えた、「いいえ、わが主よ。わたしは不幸な女です。ぶどう酒も濃い酒も飲んだのではありません。ただ主の前に心を注ぎ出していたのです。 はしためを、悪い女と思わないでください。積る憂いと悩みのゆえに、わたしは今まで物を言っていたのです」。 そこでエリは答えた、「安心して行きなさい。どうかイスラエルの神があなたの求める願いを聞きとどけられるように」。 彼女は言った、「どうぞ、はしためにも、あなたの前に恵みを得させてください」。こうして、その女は去って食事し、その顔は、もはや悲しげではなくなった。

年に一度、家族を伴ってシロにある会見の幕屋に出向いて礼拝を捧げていたエルカナ一家でしたが、毎年のように繰り返される神の御前での家族の楽しい食事のとき、ハンナには自分一人分の食事だけしか与えられず、多くの子どもたちと共にたくさんの食事の分け前を与えられたペニンナは、このときばかりとハンナを攻撃し、悩ましました。夫エルカナも心を痛めて、あなた一人の存在が子どもたち10人にも優るではないかと言って慰めましたが、それでもハンナの嘆き悲しみは収まりません。そこでハンナは主の前に進み出、心の内で、私に子を授けてくださったならば、その子を一生あなたに捧げますと、心を注ぎ出して祈りました。そんなハンナの様子をずっと見ていた祭司エリは、当初は彼女が酒に酔っているのかと思っていさめましたが、彼女の祈りの言葉を聞くと、主が聞き届けてくださるから安心しなさいと、彼女を慰め励ましました。するとハンナはもはや悲しげな顔ではなく、元気を取り戻しました。人の慰めは私たちの心に届かなくても、私たちの心の内をすべてご存じであられる主の御前に心を注ぎ出して祈るならば、悲しみはもはや消え去り、確信に満ちて喜びへと変えられます。

https://www.bible.com/bible/81/1sa.1.7-18.ja1955

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サムエル記上 1:19-28

彼らは朝早く起きて、主の前に礼拝し、そして、ラマにある家に帰って行った。エルカナは妻ハンナを知り、主が彼女を顧みられたので、 彼女はみごもり、その時が巡ってきて、男の子を産み、「わたしがこの子を主に求めたからだ」といって、その名をサムエルと名づけた。 エルカナその人とその家族とはみな上っていって、年ごとの犠牲と、誓いの供え物とをささげた。 しかしハンナは上って行かず、夫に言った、「わたしはこの子が乳離れしてから、主の前に連れていって、いつまでも、そこにおらせましょう」。 夫エルカナは彼女に言った、「あなたが良いと思うようにして、この子の乳離れするまで待ちなさい。ただどうか主がその言われたことを実現してくださるように」。こうしてその女はとどまって、その子に乳をのませ、乳離れするのを待っていたが、 乳離れした時、三歳の雄牛一頭、麦粉一エパ、ぶどう酒のはいった皮袋一つを取り、その子を連れて、シロにある主の宮に行った。その子はなお幼かった。 そして彼らはその牛を殺し、子供をエリのもとへ連れて行った。 ハンナは言った、「わが君よ、あなたは生きておられます。わたしは、かつてここに立って、あなたの前で、主に祈った女です。 この子を与えてくださいと、わたしは祈りましたが、主はわたしの求めた願いを聞きとどけられました。 それゆえ、わたしもこの子を主にささげます。この子は一生のあいだ主にささげたものです」。そして彼らはそこで主を礼拝した。

こうしてシロの会見の幕屋での礼拝から帰ったハンナに、神は子宝を授け、一人の男の子を産みました。ハンナはその子をサムエルと名付け、神が祈りに答えて授けてくださった子どもとして、乳離れするまで大切に養育しました。そしてそのときが来たとき、かつて主の御前に請願を立てたように、その子をシロの会見の幕屋に連れて行き、律法の掟に従って捧げものを捧げ、この子こそ自分の祈りに神が答えてくださった子ですと報告して、その一生を主に捧げた者として祭司エリに託しました。念願の子を授かったのに、それを手放すことは、心の痛みを伴います。まして母親の情を思うと、その傷みは如何ばかりでありましょうか。しかしこの幼子が、やがてイスラエル王国を築く布石となる大預言者サムエルとなるのです。主の御前に一度立てた請願を忠実に守り通すことこそ、神の御心であり、真の祝福の秘訣です。

https://www.bible.com/bible/81/1sa.1.19-28.ja1955
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【今日の聖句】 2020/02/05

2020-02-05 05:20:46 | 今日の聖句
ペトロの手紙一 5:7 新共同訳

思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。

人が思い煩うのは、すべて自分で問題解決しなければならないと思っているからです。人の力の及ばないことは皆、全知全能なる主に委ねて、自分にできることだけに集中して心を軽くする私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/1pe.5.7.新共同訳
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