inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

随想古事記前章・民族の形成

2011-04-11 09:16:02 | 父の背負子1(随想古事記)

言語に関する考察・前章1 

私達の祖先はアフリカ起源で、現存している人類はみな同じ祖先から派生したといわれています。中学や高校で習った何種類かの原人たちは現生人類の祖先ではないとされています。ヨーロッパで発見された旧人のネアンデルタール人も直接の関わり合いは無いらしい・・・・・アフリカ起源の祖先が世界各地に散らばって環境に適応して生き残ったらしい・・・・・。それは原人から新人までの系統中第3回出アフリカ組で、約10万年前とされています。

ひるがえって現代の世界を見渡すと、アジア人がいる、ヨーロッパ人がいる、中近東のアラブ人がいる、ユダヤ人がいる、インド人がいる・・・・・・・こんなに様々な人種がいてそれぞれの言語を使っている・・・・・・こんなにまで違っている人々がみんなアフリカ起源で家族兄弟に等しいとはと驚嘆してしまいます。単一種族がこんなにも多様な民族に変化しているのですね。

何故こんなことがあり得るのかと考えれば、動物の種を考えれば自ずと分かりもしようというものです。虎がなぜベンガル虎、シベリア虎・・・・・と違う種に分かれたのか、もっと言えばネコ科の動物がなぜライオン、虎、豹、チータ・・・・・などと分かれたのか、つまりは食性という対応によったことが分かります。アフリカのサバンナの草食動物が今でも食べ物を求めて雨季と乾季の移動を繰り返しています。それを追って肉食動物が暮らしています。草は適応できる土地であれば繁茂し出来なければ枯死する・・・・・動物はそれぞれが食べる草によって生きる場所を限定され、その動物を食べる肉食動物はその動物の生息圏にテリトリーを作る・・・・その繰り返しですね。

世界に動物が分布したのは草の分布と対応してのことで、雨季乾季の繰り返しによって巡回する動物は今も変わらずその習性を繰り返し、外部に進出した動物はそれぞれの土地で様々な習性をそれぞれに獲得していったはずです。また性質も草がその地に適応して特殊化すれば動物もまた特殊化していったはずです。マクロビオティックで言う『身土不二』の原則です。身土不二は進化の原則です。それは私達人類も例外ではありません。私達の今々の食生活も進化の現場なのです。マクロビオティックを知っていると本当に納得できますよね。その地方独特の生活様式、特に食生活が多様な民族を形成していきました。

さて現生人類、つまりホモ・サピエンスが初めてアフリカを出たのは約10万年前といわれています。まずメソポタミアに進出しました。なぜ住み慣れた場所から出ていくのかその理由としては、大まかに言うと人口の増大による拡大か地域社会における迫害かのどちらかで、両者は密接にかかわっていると思われます。そしてその時にはすでに動物の群れ以上の規模を持つ社会的なグループがあったことは想像に難くないはずです。とにかく10万年前人類の生息地域はアフリカとメソポタミアに広がりました。それから時代は下って約5万年前、先ず海岸沿いにインド・インドネシア・ポリネシア地域へ進出しました。学校の歴史で習ったジャワ原人(北京原人も)ははるか100万年前に出アフリカを初めて決行した直立原人ホモ・エレクトスで、原人時代の親せき筋ではありますが直系ではありません。

そして4万年前メソポタミアから西のヨーロッパへと、インドネシアから北上して中国沿岸部から日本列島までとオセアニアへ進出しました。続いて3万年前になると氷河以南のシベリヤ満州地域へヨーロッパ・メソポタミアからも進出して定着していったのだとされています。そして最後に1万5千年前シベリア地域からベーリング海峡を越えてアメリカ大陸へと人類は広がって行きました。当然その地域の特性をもった食生活を営みながら全世界に人類は生息することになりました。各地域の身体的精神的特性をもつ民族を形成していったと思われています。メソポタミア人達はチグリス・ユーフラテス川の恩恵を浴した農耕技術を発展させました。インド・インドネシアに進出した民族はメソポタミア時代に海上移動の技術を獲得した部族で、稲作をはじめとする農耕部族を生みだしアジア沿岸部を北上しました。犬を連れたクロマニヨン人に代表されるヨーロッパに移動した民族は狩猟技術を向上させたと思われます。そしてアジア最後のシベリア南部に進出した人々はそこに許された選択肢である遊牧民族を形成したのです。これが3万年前の人類分布です。

こういう有史以前の人類史の中から、私達の4大文明は生まれました。それぞれずれはあるものの紀元前5~6000年ごろには集落があり各文明の繁栄は紀元前3~4000年ごろと思われます。私たちの属する東アジアでは長江・黄河文明が興り、『三皇五帝』の王朝伝説に始まり夏、殷、周と受け継がれていきます。周に続く春秋戦国時代に孔子様はお生まれになり、私達にとってぐっと身近な歴史時代を迎えます。日本では縄文時代(約1万年)と呼ばれていますが、一般的に考えられてきたように未開の時代ではないと思います。それは人類の移動とともに文明も移動したと思われるからです。これで前章1を区切り、前章2では東アジアの民族形成について発表したいと思います。ついに5色人の謎に迫ります。




それでは今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻すことが出来るだろうか!!!

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 4月10日になりました。 | トップ | 随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ »
最新の画像もっと見る