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織姫様の記憶・オリジナルとアイデンティティ

2020-09-11 23:10:13 | 日本語・古事記・歴史・日本人

今年の夏は、七夕祭りも何もかも、コロナ騒動と大雨に流されてしまった夏でした。織姫様ともお会いできませんでした・・・・・ね?????・・・・・このブログで時に触れては織姫様の記事を書いていますが、織姫様の物語はあまりにも有名ですよね。このお話の始まりはどこにあるのでしょうか。織姫様は天帝のお姫様です。天帝とはアジアの最初の王朝の帝王です。年頃の織姫様はある日牛飼いの彦星と出会われて恋に落ちます。しかし父である天帝は彦星との恋をお許しになりません。彦星は天帝の婿候補として認められなかったというわけです。天帝は織姫と彦星を天の川で隔てておしまいになります。それでも、多分仕方なく、年に一度七夕の夜遭うことをお許しになりました。それで天の川にカササギが橋を架け、別れの朝には涙が雨となる・・・・・それが七夕雨と言い伝えられてきました。

随想古事記の中でも触れましたが、中国四千年の第一皇は風姓・太昊伏羲(たいこうふっき、または ふくぎ)氏、第二皇は姜(きょう)姓・炎帝神農氏、第三皇は姫(き)姓・黄帝公孫氏、第一帝は風姓・少昊(しょうこう)金天氏、第二帝は風姓・顓頊(せんぎょく)高陽氏、第三帝は風姓・帝嚳(こく)高辛氏、第四帝は伊祁(いき)姓・帝堯陶唐氏、第五帝は姚(よう)姓帝舜有虞氏です。この後夏・殷・周・秦・漢と歴史上の王朝が続いていきます。ちなみに伏羲は蛇身人首、神農は人身牛首とも伝えられています。これはどういうことかと言いますと、身は母に譲り受けられるものですから、その母の出自が蛇族で、首、つまり系譜はこの王朝の創始者・人(鳥)族であるということです。神農は母が鳥、父方が牛で牛族だと言っていますから別の系統です。

この天帝王朝が世界最古の王朝で、風姓鳥族・・・・・歴史言語学の川崎真治先生はもう一つのアジア族である蛇族と通婚関係にあったと言われています。中国大陸の歴史で第一皇とされている蛇身人首の風姓伏羲、通常女媧伏羲(じょかふっぎ)とペア(?)で呼ばれることが多いと思われますが、最後(多分何代か複数いた?)の伏羲は織姫様の父帝で正統王朝の最後というべきでしょうか。それで第二皇は姜姓炎帝神農氏・・・・・織姫様と牛族の彦星との間に生まれた炎帝神農氏は人身牛首・・・・・母が人(鳥)族で、系統は牛族。王朝は乗っ取られました。ここから中国の易姓革命は始まったと思われます。それでは正統王朝はどこに行ったのか・・・・・ひっそりと永らえて歴史を刻み、五帝の第一帝、第二帝、第三帝は風姓鳥族で中興王朝となり、第四帝、第五帝で易姓王朝となり、夏が第五帝舜を祖とする牛族王朝、殷がまた天帝鳥族王朝の復古、その後が再び周による易姓で、それ以後鳥族は中原の王朝から消えました。しかし天帝によって易姓を認められることが、王朝の正統性の証となりました。それでどの王朝も天帝を祀って祭事を行うことが帝王の務めとなりました。

 

殷の後裔はどこに行ったのか?????・・・・・多分その分布が、織姫様の伝説とのかかわりだと思います。織姫様の記憶を持っている国・・・・・これは、殷の後裔か、落ちていく通り道だと思います。多分東西南北に散ったと思いますが、織姫様の機織りは蛇族を含む鳥族に起源があると思うからです。日本の鶴の恩返しもその記憶による物語だと思われます。そのうちの殷の公子萁子(きし)の系統が朝鮮半島を経て日本列島へ天降ったのが天孫降臨だというのが私の説です。この鳥族王朝のメンバーが天津神一族、当時の日本列島にいた蛇族系統のワタツ人(私の命名による竜宮一族)が国津神一族・・・・・日本列島に正統の天帝王朝が復元したと思っています。これも既に何度か記事にしたことですが、アマテラスも天の機屋を経営され、オシホミミの妃もタクハタチチヒメという機織りの名を持っておられる・・・・・天女も羽衣を持っており、スサノオの娘のスセリビメも松浦佐用姫も領巾(ヒレ)をふる・・・・・アイデンティティは記憶だと思われませんか。先祖の事績を語り継ぐことが、そこに生まれた者の務めだと思います。

 




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