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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

追記:売・・・・・メ(ヒメ・イラツメ)

2016-03-05 10:11:51 | 日本語・古事記・歴史・日本人

『ヒメ』の『メ』として抵抗のある『売』の字・・・・・・選ぶには選ぶ理由があったはずです。そもそも『売』とはどんな意味だったのか?????・・・・・・・・・・いかなる理由で『売』という字を『娘』という意味に当てたのか?????・・・・・・・・・・私達現代人にはちょっと訝しい感じを受けるし、特に女の身からすればあんまりいい気はしない・・・・・・・・・・だけど『売』という字を高貴な人の娘に使っている・・・・・・・

 

つらつら考えてみたのですが、やはりこれは『売買』から来ているとしか思えません。しかしその『売買』がそもそも『交換』という意味でそれぞれ『交換されるもの』という単純な意味だったら・・・・・?????家長族長にとって娘は愛おしいものであると同時に、『やるもの』でその交換物は『関係』や部族の『利益』だったのかもしれません。確かに政略結婚として現代も残っている(?)・・・・・それで音では問題の無い『売』という字が大切な『メ』に当てられたのだろうと思っています。

 

古事記などを漢字で書き表した人にとって、その読み方というか発声の仕方(される音)が当然一番大切だっただろうと思います。だけれども、輸入された漢字には意味があったのですから、それを無視しては書き表せなかったと思います。時の朝廷の大事業だったのですから。『どうしてその字を当てたのか?』・・・・・これはその事象を読み取るカギになると思います。そして『バベルの塔』という画期的事件の持つ意味を考え直すことになると思います。

 

 


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比古・郎子・・・比売・郎女(ヒコ・イラツコ・・・ヒメ・イラツメ)

2016-03-03 09:26:37 | 日本語・古事記・歴史・日本人

正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・・・・・マサカツ・アカツ・カチハヤヒ・アメノオシホミミノミコトと読みます。天照大神の第一皇子です。長いお名前ですが、私が思うにマサカツアカツカチハヤヒの天之忍穂耳命というわけで、カタカナの部分はアマテラスの喜びの感想句です。『天之』が苗字で『忍穂耳』が名前です。この皇子が天下りなさる筈でしたが、そのまた皇子、つまり天津日子日高番能邇々芸能命・・・・・アマツヒコヒコホノニニギノミコトがヒムカの高千穂に天下られまして、わが日本の国づくりが始まったといわれています。この方の苗字は同じく『天之』ですが、それを天津日子と呼びなおして続き柄に置き換えさらにその中でも日高で番(ホ)である邇々芸能というお名前の皇子と言っています。

 
 
私達が初めて『古事記』に触れて、多分誰しもが抱く違和感・・・・・明らかに現代の私達が使っている日本語と漢字の関係と同じ当て方と、全く何処からとってきたのかというような訳の分からぬ漢字の当て方・・・・・・そして古事記の原文にも漢文としての現代の用法と同じものと、これにもまた何処からとって当てたのかというようなものとがあることを知ります。万葉集などを含め、これが漢字採用字の混乱と高校時代に片付けられても、心の奥底にすっきりとしない違和感は消えず抱き続けるしかありませんでした。多分これが私なりの歴史探求のきっかけだろうと思っています。(これについては、以前にも書きましたが、東海・中部地方に住んでみて随分と共感を持つようになりました。)
 
そして勝手に師と仰がせていただいている川崎真治先生の御本に触れ段々ともやが晴れてくるのを感じてきました。その中に苗字というものが部族や家門を表しているから『姓・カバネ』といい、天皇家の苗字は『阿毎・アマイ』だと中国の史書に残っている・・・・・とありました。父から教えられた最高位と最下位の身分に苗字がない日本の国柄・・・・・苗字を持つものはみな朝廷の家来だと・・・・・いつ朝廷は苗字をお捨てになったのだろう?????(多分これの答えが、最初に書いた苗字は同じく『天之』ですが、それを天津日子と呼びなおして続き柄に置き換え、というくだりにあるのだと思います。)さらには歴史界に横行する様々な歴史改竄説や乗っ取り説・・・・・果ては自分が王朝の正統だと主張する輩ども・・・・・(今ではそれらが全部有りでもなお、それが錬金融和国家『大和朝廷』を築き上げられたことに由来するのだと、確固たる自分のアイデンティティに落ち着きました。)
 
 ですが、どうしても、『どういうわけでその字を当てているのか?』というようなことがずっと気になってたまりませんし、日常生活に埋没していてもふと夢に出てきたり・・・・・気が済まないんです。例えば始めに出てきた天津日子日高番能邇々芸能命・・・・・この方のお名前でも、どうして日子日高なのか、コノハナノサクヤヒメとの間に生まれるホヲリノミコト(通称山幸彦)は、天津日高日子ホホデミノミコトといわれるんですよ。日子日高(ヒコヒコ)が日高日子になっているんです。どうして順番が違うのか、どうして繰り返さなければならないのか、どうして『高』の字なのか・・・・・悩みは尽きません。その中には、どうしてもそうしなければならない理由と、単なる体裁上の理由とがあったに違いないのです。
 
 
 
そんな中ふと夢にヒントを得たことがあります。それが今日のタイトルの『比売・郎女』・・・・・『ヒメ・イラツメ』です。(まあ、ヒコ・イラツコでもいいのですが。私達日本語の音の原感覚(カタカムナ・・・・・日本列島には多様な民族がやってきましたが、そこには歴然とした言語体系があって、その許容度の大きさにより取り込まれてしまい現代の日本語として集大成していったのだと思います。)によって考えれば『コ』は繰り返し、『メ』は新しい兆しのような意味で、受け継がれる命の『コ』が男(家系)、『メ』が女(嫁に行って脇芽の家系)を表すようになったと思います。古事記の前半では大方が『比売』で後半は『郎女』が混じってきて多くなります。私が知っている限りでは、開花天皇の孫のお妃として『郎女』が出てきます。ヤマトタケルの大叔父(この頃の血縁関係は不明です)の妃ですか?????そこからは大体みな『郎女』・・・・・ずっと理由はもちろん、全く訳のわからないことでした。ですが前回『平・比良・ヒラ・イラ・・・・』について書いたこともあっての成り行きだったのかと思いますが、『ヒメ』から『イラツメ』になったことも、これは私の仮説ですが、基本的に『ヒ』『イラツ』が全く同じものだったからではないかと思いあたりました。
 
 
 現代人になじみなのは『彦・姫』ですが、古事記時代には『比古・比売』『毘古・毘売』でした。『日子・彦』『日女・姫』になったのには画期的な出来事があったのだと思います。そもそも『子』は孔子や老子などに使われているように敬称でしたし『女』は今で言う娘のことでした。この現代の娘は『郎女』から出てきたのではと思います。『日子』『日女』が出てくるのは『日いづる国』が念頭に出てきて、ヤマトが日本になってからだろうかと考えています。古事記には時間的にも当時の過去と現在が同時に存在していると思います。『比』と『毘』の扱い方にそれほどの差があるとは思えませんが、 或いは『比』は犬族で『毘』は邪馬(鳥)族と蛇族かもしれません。用いられなかった『彦』と『姫』が牛族ならば、姫姓は牛族だといわれる川崎先生の説とも合うような気がします。このような区別は大和民族成立後段々と忘れられ、あるいは意図的に捨てられたのだと思います。漢字以前の民族も漢字になれ漢字に熟達してやってきた民族も加わり、私達の漢字はすっきりと整理されていきました。それで整理されてから見れば、訳の分からない漢字になったのだと思います。その整理の時代、熟達していた民族の必要と感覚に応じて、当て字の取捨選択が行われたのだと思います。
 
 
 
どうして『メ』に『売』が当てられたのか?????・・・・・これはmとbとがものすごく近い音だったのだろうと思います。現代の私達の日本語の中にも『さびしい』と『さみしい』、『望』の音に『ぼう』と『もう』が混在している等々のように、中国では私達の『米国』が『美国』であるように・・・・・民族と移り過ぎてきた時空を超えて、私のテーマである『バベルの塔』事件を象徴しているように思えてなりません。私達は皆アフリカから出発して、様々に展開し、今多くの違いと問題を抱えていますが、いずれまた収束し一つになる点を模索し続けていくのが人類の運命のように思います。そこに錬金国家・大和なる日本の歴史が灯台としてのお役目を与えられているように思います。
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東北・津軽・・・・・ツカル・東

2016-02-11 23:09:05 | 日本語・古事記・歴史・日本人

以前『東歌』とは『ツカル歌』だという記事を書きました。少なくとも万葉集が出来た頃の東とは現在で言う京都より東のことで、東京などは東の果ても果てだったのではと思います。東に良い国があるとの九州日向におられた神武天皇の東遷で考えてみれば、記紀時代の大和である近畿地方が東だったんだろうと思います。そしてそこは、ツカルの支配地域だったんです。

ツカルとは、簡単に言えば、『邪馬』です。詳しくは当ブログ内の『五色人の謎』などを読んでいただきたいのですが、中国大陸北部で古代国家殷を作った部族『鳥族』のなれの果て(?)・・・・・後代『猪』・『豚』と蔑まれてついには『邪馬』と当て字されるようになりました。私達が習う『邪馬台国』も中原の国家からは自分たち(?)が滅亡させたその『邪馬』ゆかりの国だったので、『邪馬台国』と史書に記録されました。

 

『殷』という古代国家についても殆どわかっていないことだらけらしいので、色々と考える余地があると思います。現在『殷』と呼ばれている国号ですが、『商』ともいわれているらしいのです。どうして鳥族が『殷』なのだろうと思っていましたが、『ショウ』が『チョウ』・・・・・『鳥』だったのかもしれません。そして『イン』が支配権を取ったのかも・・・・・しれません。これと同じことが紀元前後の『高句麗』にも起こったのかもしれないと思います・・・・・それで『高句麗』という犬族を思わせる名前で残ったのかもしれません?????・・・・・

またまた思い出すのは、天帝の娘織姫が結婚するのは『牛飼い・彦星』でした。女媧伏羲(ジョカフッキ・・・・・カの字はうまく反映されていないかもしれません)がこれではと思います。そして生まれる(?)のが神農・・・・・天とその娘女媧(ジョカ)が鳥で、彦星の伏羲が牛、神農が焼き畑で火を操り鋤鍬の農具から武器を作り出した犬ではないかと思うようになりました。殷という古代国家の存続期間も五千年(?)・・・・・何があってもおかしくありません。

 

漢字は殷時代の甲骨文字とは違いますが、甲骨文字なくして漢字もなかっただろうと思います。そしてそれよりもなお、世界中のどの部族もみんな『バベルの塔』事件を通り抜けたと思います。そして思うのは、すべての文字は人間の原初語としての音声を写すものだったはずです。各地に運ばれ散らばりましたが、人間の音としての共通の基盤を持っていると思います。だからワタツ人と私が呼んでいる最初の日本語を整理した人々(蛇族)の中に邪馬人(鳥族)も鳥と混血した牛族も犬族も(後に天孫降臨として脚色され)混入し、最後に馬族がそろって邪馬台国ならぬ大和国が出来上がったと思います。

ただ幸いなことにわが国では先住民族が絶対多数を誇ったのか長年の歴史風土を完成していたのか、許容範囲の広い日本語とともに勢力を温存し続けたのだと思います。もちろん辺境に追われたかもしれません。まつろわぬ邪馬人の地が『ツカル』・『東』になりました。それ以前に『邪馬』族に追われた蛇族・ワタツ人も、まつろわぬ牛族も犬族もいました。時代を経てツカルとなった小部族たちはさらに東へ東へと追われ・・・・・・ヤマトタケルノミコトに平定された東路、坂上田村麻呂の西暦700年代には現在の東北地方まで追われていたのでしょうし、12世紀の源義家は武蔵野の国の鎮守・調布の大國魂神社に先勝祈願をして東北に向かったと言われています。

『五畿七道』ってご存知ですか。奈良時代以後の律令制で定められた日本の地方行政区ですよね。その中で『東』という字がついているのは『東海道』と『東山道』・・・・・『東海道』は現在とほぼ同じですが、『東山道』はなんと現在の滋賀県から岐阜県を通って長野県・群馬県・栃木県・福島県・宮城県・岩手県・青森県・秋田県・山形県を覆う広大な地域です。これはツカル地方の海側と山側だったのが、東北地方まで伸びたのを東山道に加えたためだろうと思います。そしてこの広げられた地域である東山道の奥が『道の奥・みちのく・陸奥・むつ』になったのでしょうね。この漢字の使い方には、かなり慣れてきたように感じます。音符としての漢字と意味を持つ漢字の入り交じりを感じます。

チョウがチョになり、チョがトンになり・・・・・わが国ではトウになり東になりました。そして長い間わが国でも、もともとの鳥族・ツカルを意味していたのだと思います。


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平・ひら・たいら・・・・・たびら・田平

2016-02-06 15:22:18 | 日本語・古事記・歴史・日本人

金毘羅様の『毘羅』・・・・・『ひら』『ヒラ』『いら』『比良』『平』『平良』『たいら』『・・・・・・』・・・・・・・これらの文字というべきか、音というべきか、ともかくも言葉の意味するものをお考えになったことはありますか。私は疑問に思うことはあっても、突き詰めることはなく・・・・・というより日本国中にあふれている『ひら』を見て、途方に暮れて長年暮らしました。そして川崎真治先生の御本に触れることにより、『五色人』の謎を解き、苗字と地名の謎を開き、日本人の真実に辿り着き、自分のアイデンティティを確立することが出来ました。僭越かもしれませんが、それを広く我が同胞・日本人と分かち合いたいと思い、このブログカテゴリー『随想古事記』『日本語・古事記』でご紹介することにして、エッセイのような記事を書くことにしたのです。こうした問題はそれぞれが深く得心すること無しには何の意味もありません。私の記事は単なる導火線のようなものですが、皆様の心の中にくすぶっている『もやもや』に火をつけたいと思っています。これは今日本人が置かれている混迷の平和、あるいは平和による混迷から抜け出すための役に立つと思うからです。そしてそれがいつか地球の恒久平和に役に立つと信じるからです。

 

私の故郷『平戸』もその中の町名『田平』も『平』です。平戸の男子は『平門男児(へいもんだんじ)』と自負してきました。だけど本当の意味は知らなかったのでは・・・・・?????と思います。一般的に『平』という字を見て思いだすもの・・・・・平家・平清盛・重盛・敦盛・知盛・・・・・平家の武将ばかりですね。これほど有名で耳慣れ目慣れした『平家』ですが、その出自に関してはあまり明確ではありません。俗に桓武平氏清和源氏・・・・・と言われてきましたが、平家没落後臣籍に降下した皇族で平氏を名乗った方を知りません。多分ですが、みな源氏を名乗られたのではと思います。みちのくの しのぶもじずり  たれゆえに・・・・・で有名な河原左大臣こと源融(みなもとのとおる)・・・・・百人一首でおなじみですよね。平戸の藩主松浦(まつら)家の先祖も源(みなもと)姓です。『平』はいったいどこへ行ったのでしょう?????あるのは全国の落人伝説ばかり・・・・・です。

余談ですが、松浦家が出てきたので、一言添えておきたいと思います。『松浦(まつら)』の『ら』と『平』の『ら』・・・・・そして『奈良』の『ら』・・・・・・そして朝鮮半島の『新羅』や『百済』の『ら』、『高句麗』の『り(rai)』・・・・・こうしたものはみな同じもので同じ意味なんです。古代史を探り始めて間もないころ、多分十代の終わりごろだったと思いますが、興味深い単語に出会いました・・・・・それは、『たけひらどり』・・・・・かなり荒唐無稽のシチュエーションでの出会いだったように記憶しています。要するにその単語は古代史の要所に絡んでいる言葉で、果ては有名な鳥の絵・ナスカの地上絵も『たけひらどり』だ・・・・・というようなものだったと思います(今となってはその中に潜む真実もわかるようになりました)。『たけひらどり』・・・・・これも『たけ・ひら・どり』で『武比良鳥』と示されていました。

 

結論を言います。それはみな『イル』『イリク』・・・・・天孫降臨のモデル・殷王朝の亡命劇で日本に移住してきた犬族の子孫の符丁なんです。そして後に漢字採用の時代、好き好きに漢字を当てました。同じアイデンティティを大きくとれば、『ヒラ』『イラ』『・ヒラ』『・イラ』、『ヒラ・』『イラ・』でしたが、それが細かく各部族ごとに違う漢字になりました。漢字採用の前後では漢字に対する感覚も違いますので、漢字以前の日本人の漢字による命名法は、それこそ、あきれるほどに多種多様・・・・・漢字に求めるものは意味ではなく、音だったのだと思います。これは中部地方に住んでみて実感したことの一つです。

 源氏も同じく『イル』族です。こちらは『イル』が『イン』『エン』と呼ばれるようになった(或いは本人達がそう訛った)『イル』族です。広くヨーロッパに分布した犬族と同じで、アイヌの呼称の語源だろうと思います。後の元(ゲン・エン)や清(シン・イン)、日本書記での 伊梨柯須彌(伊梨柯須弥、いりかすみ)と呼ばれた高句麗のヨンゲソムン(淵蓋蘇文)・・・・・面白く見た韓国の時代劇『チュモン』のヨンタバル・・・・・、どちらかというと北方系犬族のように感じています。『ひら』系は殷の半島由来、『ゲン・エン』系は沿海州由来では?????と思っています。(それだと、いつか記事にした『六平さん』も納得がいくように思います。)

 

それで清水の次郎長(山本長五郎)は、森の石松を讃岐の金毘羅様に派遣しました。海運の神様の中の金毘羅様・・・・・『金』も『毘羅』も『イン』と『イル』の採用字・・・・・どんな共感を次郎長は持ったのでしょうか。日本人が部族を忘れて『大和族』を錬金醸成した後、各地に残る地域社会の名残・・・・・音を採用したにしても、その漢字の持つ歴史的事実に関して共有するものを組み込んでいったに違いない私達の先祖たち・・・・・・その人々の思い入れのある地名を大事にして、脈々と受け継いできた血液の思い出と錬金の成功という日本の歴史的業績を大事につないで行きたいものだと思います。

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森の石松金毘羅詣で

2016-01-28 09:45:08 | 日本語・古事記・歴史・日本人

何故清水の次郎長は、森の石松をわざわざ讃岐の金毘羅様に派遣したのか・・・・・皆様ご存知ですか!!!!!なぜお隣(?)の三島にあるお宮ではいけなかったのか?????もちろん讃岐の金毘羅様まで旅をしたから、有名な森の石松の『神田の生まれよ・・・・・(は、相手のセリフで、本人は三河か遠州のどちらか生まれらしいのですが)』のセリフが後世の人々を楽しませることになったのですが・・・・・・

住んでいる地にある産土のお社ではなく、江戸時代にはそこかしこにあっただろう近くの金毘羅様でもなく、遠い異郷の金毘羅様・・・・・・刀剣を奉納するにはうってつけと思われる尾張の熱田神宮も、中間点くらいにあります。次郎長にはどうしても讃岐の金毘羅様でなくてはならない理由があったはずだと思います。

 

これは、次郎長のアイデンティティの問題だと思います。私がずっと主張してきた『五色人』にかかわる次郎長の出自の問題だろうと信じています。そしてこれを、次回の『ヒラ』に関する記事の先触れにしたいと思います。


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クルドの人々

2015-12-18 09:43:47 | 日本語・古事記・歴史・日本人

現代世界で大変な状況にあるクルドの人々・・・・・民族の起源としても謎が多いと聞きました。そんなことを思っているうちに、もしかしたらクルドの人々は、彼の『ウル』の後裔なのでは?????・・・・・との独断的インスピレーションがひらめきました。

 

               ゼウスの子孫かもしれない?????!!!!!

 

 

中東で起こっていること、中東で暮らしている人々の困難・・・・・どうすれば、私達は解決できるのでしょうか。


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日本・・・・・ジャパン

2015-12-07 21:35:51 | 日本語・古事記・歴史・日本人

私達の国・日本・にほん・にっぽん・・・・・・英語を習い始めた時、「どうして『ジャパン』なの?」と思いました。それから色々な発音を知りました。ハポン・ヤポン・ヤポニア・・・・・東アジアではジッポン・・・・・「え?『ニッポン』ではないの?」とまた思いました。ヨルダン川はジョーダン川。ヨセフはジョセフ。ヨハネはジョン・・・・・の関係を感じました。Jにはジとヨ(あるいはまた、ハ)があり、国によって発音が違うことを知りました。

 

ささのはは みやまもさやに さやげども われはいもおもふ わかれきぬれば』という有名な歌がありますが、高校時代に読んだ本の中で当時は次のように発音していた・・・・・というのがありました。本当だろうか?????と思いつつ、当時「日本語の母音は8つだった」という説も出ており、真偽を確かめることも出来ませんでした。これもまた心の中に持ち続ける・・・・・という解決法でずっと温めてきました。それが

    『ちゃちゃのはは みやまもちゃじゃに ちゃじゃげども われはいもおもふ わかれきぬんれぱ』

 

?????え、え、え、え、え??????・・・・・です。どういう脈絡でこの問題が出てきたのか覚えていませんが、頭の中は疑問で一杯になりました。それが、後になって邪馬台国・やまたいこく・ヤマタイコク・・・・・・ジャバトコク・・・・・・ヤマト・やまと・・・・・・に繋がろうとは!!!!!

 

 

今私は、日本語も『バベルの塔』を通り抜けた、あるいは鳥族が再西行しバベルの塔を経験して成立したのだと確信しています。母音の数、発音の変化・・・・・こういった類の問題は、数万年前に日本にたどりついた『カタカムナ』の人々によって日本語の原型が創り出され一万年以上醸成された後にやってきて種々の人々・五色人が日本人に錬金されていった『大和』の大実験の途上の問題だろうと思います。そういう歴史をもった私達の祖先が『大和』なる文字を『ヤマト』に当てたのだと思います。この『大和』の文字は私達の歴史の証明です。

 

 


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宇賀神(うがじん)

2015-09-17 13:20:45 | 日本語・古事記・歴史・日本人

テレビを見ていると、私の(厳密に言うと、先人から私が受け継いだ)『五色人説』の裏付けに出会うことがよくあります。そのたびに『やはり!』と嬉しくなるのですが、今回は『宇賀神』・・・・・なんだとお思いでしょうか。

 

実はこれは京都のお菓子なんだそうです。その番組はどうやら再放送だったらしいのですが、京都の妙心寺の東林院の開山供養のためのお供えなのでそうです。それが『宇賀神』と呼ばれていて、なんと二本の角の形をしているんです。『宇賀神』だから角の形に作ったのか、角の形だから『宇賀神』と呼ばれるようになったのか・・・・・これはまだわかりませんが、『うか(うしか)』の神(祖)スサノオノミコトと何がしかの関わりがあるか、あるいはスサノオノミコトに連なるアイデンティティがあって、巨大な『をお供えしているに違いないと思います。

 

私達日本人は五色人をおしなべて『大和民族』を作り上げるという英知を持って多民族を融合しました。それでも埋もれたように残っているこうした名残に触れて、自分の血の中にある区別と融合とを祖先の苦労と功績として感じて生きたいと思います。

 

 

 

 


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NHKの番組・ミクロの世界

2015-08-14 14:29:05 | 日本語・古事記・歴史・日本人

昨日でしたか、おとといでしたか、お札についていた菌で感染症?とかの外国のニュースが報道されていました。子供の頃お金に触った手は洗わなくてはいけないと言われたものです。それを思い出しました。神経質になりすぎるのもどうかと思いますが、もう一つ思い出すのが映画≪ローマの休日≫のアン王女がジェラートのコーンをちょっとかじって投げ捨てるシーン・・・・・コーンを食べないのは『不潔だから』ですよね。だけどあれは、あの後鳩がつつくんですよね(多分)・・・・・日本では紙でくるんだアイス屋さんのコーンは『食べてよい』とか・・・・・とも。

 

ところで先日放送されたNHKの『ミクロの世界』という番組をご覧になりましたか。マクロビオティックが長年言ってきたことですが、科学の最先端はそれを解明しつつあります。ここでいう『それ』とは、人間の体が細菌とのコングロマリットだということです。まあ虫として認識されてきた寄生虫から、細菌というべきかウィルスというべきかの微生物、ミトコンドリアのような欠落機能を他の生命体と共役して生きているという生命体まで、要するに互いに『まみれて生きている』という生命の実体が明らかになりつつあります。

番組の内容はかなり衝撃的でした。世界には免疫疾患を治療するために寄生虫をわざわざ自分の体内に取り入れた細菌学者が出てきました。回虫でしたか(?)寄生虫を皮膚につけると、その寄生虫は血管をとおって大腸に行き着くのだそうです。そしてそこで寄生虫の生命活動を営む・・・・・そうすると排泄物というか副産物というか、そういうものが大腸内で利用される・・・・・こうした連鎖によって細菌学者が健康を取り戻すといったような筋書でした。つまり、私達現代人が『消毒・滅菌』という『清潔病』によって自分の生命を脅かしている、という事態に直面しているということでした。

 

これは現代人が設定した目標の修正をしなければならないということですよね。善玉だけが生き残って悪玉を殺してしまえば、人類は健康でいられる!!!!!・・・・・?????現代はプラスチックにまで滅菌処理がしてある時代です。これが先進社会の病根になっているというんです。一方でまだ人類の過剰生産や片寄った流通によって劣悪な、いわゆる病害菌が繁殖しすぎている地域もある・・・・・・それで消毒をして救済をしようとなるのですが、それが人間の浅知恵で本当は適切に分布させなければならないんですね。適切であれば、必要に応じて発現するんです。不要な時は増殖せずにおとなしく身を隠し、片づけなければならないものがある間だけ出現する・・・・・そんな善玉菌が仕切っている通常の社会と悪玉菌が必要なごみ処理場を併せ持っていなければならないんです。

生命体の大きさにかかわらず善玉人(菌)と悪玉人(菌)とが・・・・・善玉は人の見ているところで善を行い、悪玉は悪を行う。だけど裏ではその善行が悪業となり、悪行が善根となる・・・・・これは仕方がないことなんです。毎日善人の私達が行っていることなんです。快適な生活をして美味しい食事をたくさん食べ、汚いゴミや排せつ物をたくさん出す・・・・・!!!!!良い(?)ことをして、悪いことをしています。良い食事には乳酸菌や酵母などの善玉菌を、汚物には悪玉腐敗菌などの分解菌を・・・・・これは役目が違っているのだから、仕方ありませんよね。腐れたものは腐敗菌が分解する以外にないのですから。アニメ映画にありましたよね。『風の谷のナウシカ』・・・・・腐海が浄化するんですよね。凶暴ながすべてを食べつくして、新しい世界を作るんですよね。ナウシカは虫の上に乗って戻って来るんですから。

あの映画を見て感動した人はたくさんいたと思います。だけど自分を反省して行いを変えた人が何人いたでしょうか?????みんな感動(良いこと)をして、ほとんどの人が行いを変えなかった(悪いことをした)んだと思います。だから私達の社会はさらに不健康になっているのだと思います。私達は善人でありながら、悪人なんです。

 

今回のNHKの番組は、科学が私達に善悪を飛び越える提案をしている、ということだろうと思います。人体が『コングロマリット』・・・・・つまり善玉悪玉混合して住んでいる場所・多数の生命体の生息地だと言っているんです。私は私でない善と悪を抱えて生きている・・・・・そしてその住み分け度は、その場次第なんです。その場に腐敗があれば腐敗菌が増殖し、酵母の生きる醸造場があれば酵母が増える・・・・・マクロビオティックですね!!!!!そしてこれからが大切なんですけれど、どちらも人体の健康と生きることに不可欠だと言っているんです。凶暴な虫(悪玉菌)が新しいナウシカ(命)を生み出すんですよね、病害虫の働きが健全な生命活動に必要なんです。消毒しすぎてはいけないと言っています。

そして科学はもう一つの大きな命題を提示しています。それでは『私』という意識が何なのか?????、という問題です。

           個人と思って生きてきたのにコングロマリットだったなんて!!!!!

 

ここに、長年『私とは何か?』と記事にし続けてきた私にとって、絶好のチャンスが恵まれたと思います。日本語そのものが示している『』・・・・・人体というか生命体というか『その場』、日本語ではそういうものの一つ一つを『』と言うんです。・・・・・『ワタシ』。独立しているように見える『まとまり』を『ワタシ』と呼んできました。ですから『私』とは多くの生物の複合意識なんです。日本人の『私』は本当は個人を意味していないんです。多くの生物の気持ちがこんがらがっている複合生命体・コングロマリット・・・・・・コングロマリットという英語も『こんがらがっているもの』だと、何となく音声上わかるような気がしますよね。(・・・・・これも、『バベルの塔』のテーマにつながる問題です。)そしてこれは大きくも小さくも生命体を抽象する言葉なんです。大きくは『宇宙』を・・・・・「地球」を・・・・・「組織」を・・・・・人を・・・・・動物や虫や植物を・・・・・小さくは微生物やウィルスを・・・・・生命として認識されていない石や砂を・・・・・・分子や原子をも。私達は変わらなければいけないと思います。『生命』と言っているものに対する認識を大きく変えなければならないと思います。確かに地球上には種々雑多の生き物がいて、山も川も海もあり、我が物顔の人間もいて・・・・・それが一つの地球で、一人一人の人体もそれのミニチュアなんですね。

 

私達日本人には、『お蔭さま』や『もったいない』『ありがとう』という言葉があります。これはそうした生命の機序についての認識があったから生まれた言葉だと思います。日本語はそうした認識を呼び覚ます『音』で組み立てられています。これは世界中にもあって、『観音』経、『真言』、讃美歌などになっていると思いますが、そうした特殊な、それにかかわっている間の一時的なものではなく、私達日本人には本当にありがたいことですが、『日本語』そのものになって深く認識に刷り込まれ日常生活になっているので、無宗教だと言われる日本人の日常生活は非常に哲学的だとさえ思います。日本語というものを考えれば考えるほど、生命の真実に近づくことが出来るように思います。日本人が無宗教的でいられた理由もここにあると思いますし、他の宗教と共存することも、あるいは改宗することも、外国人からするとかなり自由な訳もここにあると思います。あのイスラム教の人達との問題も日本語の解明(カタカムナ)が何とかできるのではと希望をもっています。日本人は仏教と言いながら、年末にはお掃除をして年神様をお迎えし、子供たちはチャペルで結婚式を挙げる・・・・・そうした子供たちもまた親の弔いを仏教で行う・・・・・・おおらかな国です。これは世界の救いです。

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いちじくのかぐのこのみ???

2015-07-29 16:52:49 | 日本語・古事記・歴史・日本人

子供の頃からいちじくが好きでした・・・・・というより、母が好んだので子供達も食べた、というのが真実かもしれません。そのいちじくを店頭で見かける季節になりました。それでいつもながらの『ふと思いついたこと』というべきか、いつもいちじくを見るたびに『ふと思いつくこと』を今日は記事にします。

 

『いちじく』・・・・・・面白い名前ですよね。『無花果』と書くと如何にも分かったような名前ですが、それを『いちじく』と読ませる理由は、それが漢字以前に『いちじく』だったから・・・・・・。それはそれとして、私はいつも『ときじくのかぐの木の実』を思い出してしまいます。『ときじく』・・・・・って、何でしょうね。垂仁天皇が多遅摩毛理(たぢまのもり)を差し向けて求められた『ときじくのかぐのこのみ』・・・・・・橘の実と言われているからには、今で言う『みかん』でしょうか。どんな『みかん』だろうといつも思います。

 

『ときじく』って、『非時』って書くんです。今で言えば『時無し大根』の『時無し』・・・・・つまり『いつでも』という意味らしいのです。でも早春賦の『時にあらず~と、声もた~てず~う』の『時に非ず』のほうにしっくりしています。で・・・・・『時でもない時に、いつも』ということですね。それが『ときじく』という意味だと思います。いつも香り高い橘の実・・・・・みかんは高級品だったんですね。『わらしべ長者』にも出てきますよね。それで・・・・・『いちじく』は、『いちであって』ということになります。『いちし・く』というのは『いたく』、つまり『非常に』という意味なんです。非常にどうだったんでしょう?????

『・・・じく』という言葉、他にも『いみじく』とか、濁らなければ『・・しく』『まさしく』『悲しく』・・・・・。多分『い』段で終わる音につくと『じ』と濁るのではと思います。そんなふうな、本当は言いたい意味を強くする形容詞を名前にしたなんて・・・・・『いちじくおいしい』とかなんとか言いたかったんですよね!!!!!想像して食べるのも、楽しいものです。初めて『いちじく』を食べた人の顔が思い浮かぶようです。『いちじく』はえもいえぬ味、あるいは、想像を超える味だったので『いちじく』と呼ばれているのだろうと思います。

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いろは と ままはは

2015-04-18 14:00:59 | 日本語・古事記・歴史・日本人

子供の頃から長年抱き続けた『古事記』に関する疑問をいくつか解決して、『随想古事記』(カテゴリー・父の背負子(随想古事記))という記事にまとめました。年々そのことについての確信は深まるばかりで、自分の心のうちに父祖から受け継いだものをいくらかなりとも明らかにした安堵感を感じています。そしてもう一つ、これも長年抱き続けた言葉に関する疑問があるのですが、少しほぐれてくるような予感・・・・・を感じています。

 

その代表が、今日の題名『いろは と ままはは』・・・・・『いろは』とは自分を生んでくれた母、つまり実母、『ままはは』は現代も生きた言葉として使われているのですぐにわかる『継母』。古事記編纂時期に受け継がれて使われていた二つの言葉のうち、なぜ『いろは』は消えて『ままはは』は長い年月を生き残ったのか・・・・????『ままこ(継子)』もあります。多分これは、『いろは』が深刻な問題から消えたから?????・・・・・これも確かに疑問ですが、私の疑問の核心は別のところにあります。

『いろ』のつく言葉はたくさんありました。『いろせ』『いろえ』『いろど』『いろも』、時代が下っては『いろ』・・・・・『いろはにほへと・・・・・』、現代では『色気』・・・・・『いろ』とは情愛があることを意味する言葉のようです。古事記の時代『いろせ』は同じ母から生まれた兄、『いろえ』は同じ母から生まれた姉、『いろど』は同じ母から生まれた弟、『いろも』は同じ母から生まれた妹・・・・・

 

古事記に有名な『いろせ』の場面があります。神武天皇が大和をお立てになって十一代垂仁天皇の后サホビメはその実の兄君サホビコノミコトにこう質問をされます。『せ(背=夫)といろせ(兄)と、いずれかはし(愛し)き』、兄君を目の前にして后はつい『いろせぞ、はしき』とその勢いにおされて(?)答えておしまいになります。すると兄君は后に『この短刀で天皇を刺せ』・・・・・・

后の膝枕で休んでおられる天皇を刺そうとして、后がハラハラと涙を落とされ・・・・・その涙で目を覚まされた天皇が后にお尋ねになります。『なぜそのように泣いているのか』・・・・・堪らなくなられた后は事情をお話しになり、謀反の討伐を受ける兄君のもとへ皇子共々逃げて行かれ・・・・・ます。

 

これにはそのあとの天皇がサホビメに対する未練のお話しが続くのですが、ここでもう現代人には訳の分からない事情に落ち込んでしまいます。夫への愛と兄弟への愛と・・・・・どちらかを取るなどという同じ土俵の上に載せられるものなんでしょうか。実の兄から唆されたと言って、睦まじく暮らす夫を自分の膝の上で殺せるものなのでしょうか。

同母兄弟姉妹と異母兄弟姉妹・・・・・これは同じ家門(父親の姓)内ではあるが、『血族と他人』といった関係なのでしょうか?????そして同母血族は生命と運命の共同体なのでしょうか。『いろ』という理屈では割り切れない繋がりなのでしょうか。・・・・・・それで時代とともに『いろ』が恋しい男になり『いろも』が恋しい女になった・・・・・断罪されている軽王と軽大郎女のお話しがあるからには、禁じられている血族結婚の極みだったことは間違いありません。同母(いろは)共同体(?)は現代で言う『いろ』とは関わりのない関係なのか・・・・・それとも常にありうることだったのか・・・・・・

 

どちらにしろ、社会の構造が変わったのだと思う以外にないような気がします。大和王朝が『家門』の意識を少しづつ変えて、家族制度・結婚制度を整備していった・・・・・それが聖徳太子による氏姓制度の大改革・冠位十二階制度だったのだろうと思います。そうして今の私達がある・・・・・古い日本語を思うと、私達日本人の二千年、あるいは三千年・・・・・・あるいはもっと昔のワタツ人の一万年の経緯を思うことが出来るような気がします。

大変興味深いのですが、英語でも『エロティズム』と言いますよね。『エロティック』とも・・・・・これは『いろティズム』であり『いろティック』なのでは?????・・・・・それでこれはヨーロッパを席巻した犬族(イル、イリク)由来の『同族』を表す言葉ではと解釈しています?????少なくともカタカムナのワタツ族語ではない・・・・・ように思います。ですがかなり古い・・・・・アイウエオの五十音が使われるようになったのはついこの前のようなもの、長い間日本人には『いろは』が始まりであり、五十音(?)だったのですから。

 

 

 

 


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五色人の神々・八百万の・・・・・

2015-01-30 11:48:33 | 日本語・古事記・歴史・日本人

以前『アインシュタイン博士の言葉』という記事を書きました。そして博士がなぜ『日本という尊い国・・・・・』とおっしゃったかについて書きました。別に私達という日本人が取り立てて『尊い』わけではありません。日本人の祖先が部族を超えそれぞれの信仰を超えることが出来たという事実が尊いのです。私達の祖先が、理念に過ぎない『大和(だいわ)』民族という新しい『大和民族(やまとみんぞく)』を現実社会に作り上げたことが尊いのだと確信しています。

世界の現状・・・・・イスラム国・・・・・ここのところの情勢を見るにつけ、種々雑多の錬金が完成して『大和』を作り上げることがどんなに難しいか、私達の先祖が理想完遂にどんなに努力し犠牲を払ったか・・・・・・そしてどれだけその恩恵に現代を生きる私達日本人が浴していることか・・・・・ありがたく、アインシュタイン博士が仰った『尊さ』が身に沁みます。そして結局のところ、世界がこの問題を克服するには、私達が慣れ親しんだ

          八百万(やおよろず)の神々

がキーワードだと確信しています。やや原始的な宗教観????、シャーマニズム????、色々と解説されている私達日本人の『神道』ですが、そうではなかったのだと思います。これこそが部族を超越するための、脳のステップアップ・大和の覚醒だったのだと思います。そしてまたこれこそが、私達日本人が世界に示すべき『灯り』なのではないかと思います。

           

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牛族 柿本・・・???

2015-01-22 15:56:46 | 日本語・古事記・歴史・日本人

今日のタイトルは、アクセス解析にある『検索キーワード』の昨日の第一番からです。ものすごくうれしくなりました。まあ柿本は、姓から言えば、牛族ではなく犬族で・・・・・私の実家・深江は、これも姓から言えば、牛族です・・・・・そういうわけで現代の私達は混血ですね!!!これが大和民族だと思います。

 

牛族・・・・・『随想古事記』のなかでちょっとご紹介しましたが、私が子供のころから持ち続けた疑問があります。それは、

     なぜゼウスは牡牛になって地上に現れるのか?

というギリシャ神話に関する疑問でした。どうして荒れ狂う『コッテ牛』なの???不思議で不思議でなりませんでした。そしてこの疑問はいつしか、

     なぜスサノオノミコトは牛頭(ゴズ)天王なのか?

というもう一つの疑問に重なりました。

 

この二つの疑問に見事答えてくださったのが、何度かご紹介した川崎真治先生です。『五色人』の謎を解くきっかけになりました。そして日本全国に広がるお正月の『なまはげ』様の鬼(これに関しても以前記事にしました)にも、二つのタイプ・角を持つものと持たないものが・・・・・その地に住んだ人々の部族がしのばれます。

 

タイトル『牛族 柿本』のような検索キーワードで私のブログを見てくださる方は、多分同好の方に違いない・・・・・それで本当にうれしかったんです。ありがとうございます、これからもよろしくお願いします。

 


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るに点々と平戸人から:d→r→n

2014-11-27 13:55:46 | 日本語・古事記・歴史・日本人

3年以上も前の下書記事を見つけました。それで考えましたが、一応先日の『東海林さん』とも関わりがあるので、改めて公開することにしました。ちょっと中途半端なのですが、今更完成させようとしてもインスピレーションがありませんので、そのままにします。

 

言語に関する考察・雑(2011-08-25)


6年余も前の記事『るに点々と平戸人』と、川崎先生の説とがここにきてつながっていることを発見しました。そればかりでなく、言語に興味を感じるきっかけとなった七夕という美しい言葉、これは母方の伯父から七夕の笹の頂上に付ける吹き流しには『豊宮日七夕織姫大明神』と書くのだと教えられたことが私の『言語と歴史』というテーマの始まりなのですが、その言葉とも大きな関連を発見しました。

一つ目は『るに点々』。これは川崎先生によると、d→r→n(あるいは、d←r←n)転化といって、世界中の言語を見渡すと、一般的に見られる発音上の民族と癖というか訛りというか、特性らしいのです。何度も記事の題材にした韓国の時代劇『チュモン』でも、私達が漢の四郡で習った『楽浪郡』を『ナンナン郡』といっているのを聞きました。その特性上に平戸の『だ行』があり、幼い長女が図らずも言った『ルに点々はドゥ』という発想があると思います。また英語の『チャールズ』はフランス語の『シャルル』であり、ドイツ語の『カール』です。こうした変化が骨格上の条件による口や耳の構造の違いなのか、気候条件に依る変化なのか、地域的好みに因るのか・・・・・様々な要因によって私達は国語というものを作ってきたと思います。そしてそれが天から降ってきたように局地的に国語として発生したものではなく、私達人類の祖先たちが一つ一つ音に意味を定義していった(?)延長上にあるということを確信しています。

私達は少なくとも音という言葉を持ってアフリカから出発したと思います。最初はエジプトからメソポタミアに出て行ったのでしょう。それが十万年前でした。そして人口が増えてくると様々な要因により、以前に『民族の形成』で展開したとおり世界各地に進出しました。私達の極東地域に人類が到達したのが三万年前だろうといわれています。そして一万五千年位前の氷河期にベーリング海峡を越えたそのモンゴロイドが南アフリカの南端マゼラン海峡に到達したのが一万年前といわれています。私達のアジアではこの最初のモンゴロイド達が等しく持っていた基礎的言語を各地でそれぞれの言葉に発展させたはずです。同じことが世界各地で起こったでしょう。それはコミュニケーションの必要のあるところどこでも同じだったと思います。

その間も最も人口が増加し続けた地方が当時の文化の中心であるメソポタミアで、必要なコミュニケーションの規模が時間的にも空間的にも広がったのだろうと思います。それでここに最初に文字が発明されることになりました。(と言われています。それではカタカムナは?・・・・となりますが、この問題はしばらく棚上げにしておきたいと思います。)これが大体紀元前五千年頃と推測されています。発見されている最初の楔形文字は紀元前三千五百年くらいの文字だと言われています。人類の有史時代の始まりです。この間(つまり最初の出アフリカから文字の出現までの間)人類は何度もメソポタミアを後にしたはずです。そして先に行った人々と混じり合って歴史を作ってきたはずです。それはメソポタミア内部でも同じことだと思います。世界中に最初の牛、蛇、鳥(豬)、犬、馬の諸部族が散らばったのと同じく、牛族の本拠地メソポタミアにももともとそこで発生した蛇族と犬族がおり、蛇族と犬族の出戻りがおり、遠くで部族を確立した鳥族と馬族が戻って来て・・・・・と様々な部族が存在したのだと思います。

先日来のスランプの原因もここにあったと感じています。川崎先生の展開しておられる民族の歴史も文字の発見以後のことなので、単純な民族構成であったわけがありませんし、また先生ご自身の説も発展していったのだと思います。そして遺物による考古学も文字による考古学も推測の域を超えられない事があるのだと思います。たとえ『牛』であるべきものがなぜ『犬』なのだと言ったとしても、『犬』を『牛』だと言うわけにはいきません。私達はあくまで現実を受け入れるしかないのですから。ただそこには『牛』が『犬』になるわけはあったはずです。あるいは『牛』と『犬』の理解が間違っているのかもしれません。それで私は混乱してしまったのですが、私はその答えを『混在』という事態に見つけました。この世の物には『純粋』は真実でなく、『不純』こそが真実でした。私達も父母から分けられた半分ずつという『不純』の人生を生きているのですから。


ところでアジアでは紀元前千五百年ごろの殷の時代この五族がすでに揃っていたと言うより、犬牛馬族の急襲にさらされていたらしいのです。これが『五色人の謎』シリーズの『Ⅰ・Ⅱ・補』三回にわたるお話でした。その時私達の日本ではどうなっていたかと言うと、少なくとも殷の時代までは、つまり縄文晩期ころまでは様々な地域性を持った蛇族と鳥族のバリエーションだっただろうと思われます。牛族がいたとしても少数派だっただろうと思います。そこに犬族・牛族・馬族がやってくるのです。七夕祭りの織姫様は天帝のお姫様です。その織姫様に捧げられた七夕飾りの一番上に付ける吹き流しの『豊宮日七夕織姫大明神』、これが織姫様の素性を示していたのだとは!!!!!織姫様は鳥族のお姫様でした。それではくちょう座が天の河の渡し役になっているのです。

       かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける



私達の白鳥座はかささぎです。『織姫彦星』『織女牽牛』『たなばたつめとうしかい』、このお話は一体どこに生まれたものなのでしょうか。河東に住む織姫、河西の彦星・・・・・・西から牛の群れを引き連れた『彦』がやってきたのだと思います。



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東海林さん2

2014-11-21 16:51:15 | 日本語・古事記・歴史・日本人

東海林さん1を発表して一週間、どんな仮説を組み立てられたでしょうか。本当はそれを伺いたくてたまりません!!!コメント欄にでも発表していただけたら、どんなに嬉しいでしょうか!!!

東海林(ショウジ)さんといわれる方々は、少なくとも王仁博士の漢字渡来以前から日本に住んでおられた家族です。そして家族名氏族名が漢字になるにつれて、まあ多少音の変化はあっているかとも思いますが、『ショウジ』という音に対して漢字を採用することにしました。そこには音と意味と好みとが反映していると思います。

 

まず音。『ショ』に対して東、『ウ』に対して海、『ジ』に対して林を採用しました。現代の私達には音に対してかなり厳格な区別がありますが、類推するに昔の人にとって、『ショ』も『チョ』も大して違いはなく、それはどちらかというと癖の問題・・・・・つまり訛りの問題だったんです。

現代でもわが国では名前に限らず長母音が多く、韓国では圧倒的に『・・ン』が多いように聞こえます・・・・・・つまり『チャン』さん、『チョン』さん、『ヤン』さん・・・・・という具合です。これは民族的訛りというものだと思います。

それからもう一つ川崎(真治)先生から教えていただいたことになるんですが、それぞれの音行(か行、さ行・・・・)中の変化というか、交換というか、かなり自由なんです。つまり『カ』は『キ』になり、『ク』、『ケ』、『コ』に適当にその民族的好み(?)で変わってしまうということなんです。つまりのつまり、『カン』は『キン』・・・・・『コン』に適当に変わるということなんです。また『サ』行と『タ』行は交換可能な関係で、世界の各言語間で変換され多様性を生み出しています。

そういうわけで、『ショ』は『チョ』になると同時に、『ソ』にも『ト』にも・・・・・ひいては『サ』にも『タ』にもなる(以前『柘植さん』に関する記事を書きました。)・・・・・だけど『サ』は『マ』行にはなりませんし『カ』行にもなりません。各行間には交換できる、言わば、姻戚関係というものがあるんです。(『カ』行は『ハ』行になり、『ラ』行は『ダ』行になる・・・・・・これについては随分以前に『るに点々は?』という内容の記事を書いたことがあります。)

 

『ショウジ』さんは、それで『東』の字を選びました。ここにはたくさんの理由が重なっています。『五色人の謎』でご紹介したので説明は省略しますが、『東』は『トン』であり『チョ』であり、そして『ヒガシ』であり『ヤマト』です。何よりも、『ショ』という音に関連する漢字の中から鳥族・邪馬族・殷人の末裔の意味を持つ漢字を選んだんです。自分の氏素性を明確に表明したんだと思います。

次に『海』。これを『カイ』と読んで採用しているんだったら、『東海林』さんは王仁博士以後の人だと思います。ですが、『ショウジ』さんは『ウミ』を採用しました。そしてこれも何度もご紹介していることですが、『ウミ』は鳥族が渡来する前2万年以上も日本に住んでいた『ワタツ』人の言葉です。『ワタツ』人は蛇族で鳥族とは根っこが同じ氏族で、鳥族渡来以来仲良く融合してきた民族です。『ヤマト』が『大和』になる起源でもあるんです。そしてワタツ人の言語(カタカムナ)では『ウミ』は『ウ』でもあり『ミ』でもあり、意味上密接に重複してかかわっています。『ショウジ』さんには、『ワタツ』人との長い歴史を共有し同じ言語感覚があったんだと思います。

最後に『林』はかなり以前の記事で『るに点々』をご紹介した通り『リ →ディ →ジ』、日本人にはあまり『~ン』はなじみません。それで『リン →ジン』から『ン』を省略しました。元は『~ン』を日常的に使った民族も居たかもしれません。ですが『大和』民族が醸成される過程で混血になった日本語の音も整理されていったんだと思います。

 

こういうわけで『ショウジ』さんは『東海林』さんになりました。こうした自説の展開は、もちろん、川崎先生の説に触れたからですが、この中部地方の地名に対する漢字採用の柔軟性に触れたことも大きな要因です。ここの人達は本当に自由に漢字を使用しています。私は感動すると同時に、古代社会の息吹に触れた思いがしたものです。ちなみに『ナゴヤ』はどんな字であれ、ワタツ人の集落です。『ハカタ』も博多であれ伯方であれ、同じくワタツ人の集落で、『ハ』行と『ナ』行は交換可能です。

ついでながら先日の記事『ラグビー』のニュージーランドチームの恒例行事『ハカ』も、同じく蛇族の印だと思います。民族の移動での海洋ルートをたどった人々の伝統で、ワタツ人と同じルーツだと思っています。これもまた、私のテーマである『バベルの塔』事件にかかわる言語学的痕跡かと思います。

 

 

 


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