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日本語のアクセント

2017-08-19 21:18:58 | 日本語・古事記・歴史・日本人

先日来夫と『昭和の歌何とやら?????』というテレビ番組を見ています。今週は藤山一郎と東海林太郎の番組でした。先週のこの番組ではなんと、アイ・ジョージが出てきました。本当に久しぶりにその独特の面影を見ました。そしてこれまた何と軍歌も放送されました。私は父と歌った歌などで嬉しかったんですけれど、時代も変わってきたんだなあとしみじみ思います。感情的に拒否するのではなく、父祖の歩んだ時代を見つめなおす時期を迎えつつあるんだと感慨深いものがあります。

その同じ番組であんまり好きではなかった藤山一郎が、歌謡曲の日本語への違和感を表明していたことを知りました。それであの発声についてはまだ好きではありませんが、親しみを感じています。近ごろの訳の分からないどこにでもアクセントをつける歌い方が嫌いです。というより、日本語の危機を感じます。学校の音楽の時間に習った『シンコペーション』、その時は新鮮に感じたものですが、それが音符の世界ではなく日本語の言葉の上に起こると、意味が通じにくくなる・・・・・私達日本人は日本語で自分の肉体の波動も精神の波道も作ってきました。その伝統が失われると、日本人ではなくなると思います。

 

それからもう一つ、言葉の選び方の問題を感じています。昨年からわが国の根本にかかわる天皇陛下のご譲位問題が取りざたされるようになりました。このことに関しても一般的には『退位』という言葉が使われています。だけどそう聞かされると、ギクッとせずにはいられません。『退位』という言葉には辛さが付随しています。それを日本人は平気で自分たちの国に使っている・・・・・自分たちの国の継続に関して、そんなに無神経でいられるのか?????不思議でなりません。

人間が作った国という組織・・・・・何にその永続性の鍵があると思われますか。組織という単語は有機体という言葉と同じです。つまり機能をもって組織を維持している・・・・・という意味です。ですから手短に言えば、人体と同じようなものです。頭もあれば足もある・・・・・胴体もあれば手もある、消化器もあれば循環器もある・・・・・親指もあれば小指もある、大脳もあれば小脳もある・・・・・どれかだけが大切というわけではなく、どれもなくては困るものです。だけど人間は頭を上に飾って(?)、足をぬかるみで汚す・・・・・皮膚を磨きはするが、内臓のことは忘れている・・・・・そんなものです。だけど、大事でないかと言えば、そんなことはありません。爪の先が痛むと、私達はその痛みに全神経を向けるのですから。だけど、です。頭をなくしたら、私は私ではなくなります。永続性の鍵は『頭が変わらない』ということにあるのだと思います。

 

 

だから、私はいつ死んでもいいように、此処に私の主張を残したいと思います。『退位』という言葉には『させられる心』が潜んでいます。そんな言葉を私達は私達の顔である天皇陛下の地位について使ってはなりません。あくまで『ご譲位』である必要があります。途切れてはならないのです。それからもう一つ、私達の頭、つまり天皇の地位につかれる方は、『天之忍穂耳(アメノオシホミミ)』の血統であることを日本人が納得できる方です。それが『男系』の意味であって、そうやって日本人は歴史をつないできました。何代か遡って傍系の男系を探したことを古事記でも伝えています。女帝であってもかまいませんが、その場合は必ず『天之忍穂耳(アメノオシホミミ)』の男系と結婚していただく必要があります。人間として天皇陛下は日本人の中で一番不自由な方なのです。

 

これは余談ですが、組織の頭というものは大小を問わずそういうものです。家庭もそうですし、個人でもそうです。私達は頭を挿げ替えることは出来ませんし、頭に自由はありません。手足は動くので自由といえば自由ですが、手や足以外にはなれません。自由とはそんなものだと、分かって生きていくのが人の道だと思います。

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