イタグレブリーダー・ヨーロッパのイタリアングレーハウンド。

ヨーロッパから6頭のIGを輸入しました。出産や老犬のこと。家族として大切に育てています。

工夫をこらして。

2010年10月02日 | Weblog

さんまのお値段が、北海道では一尾¥50円まで下がっています。不魚で高い~といわれていたのは何だったの  そして、この時期の北海道で売られている鮭は・・・秋サケというのですか・・・いわゆる産卵のために川に登ってくる鮭です。 味のついていない鮭です。この鮭は、歳を取っているので、お味は淡白という噂です(笑) お値段もお安いです。

スーパーに沢山並んでいます。お料理方法は、味が付いていないわけですからムニエルやフライ・塩焼き・・・そして北海道の料理→ ちゃんちゃん焼き(ホットプレートでお野菜と一緒にバターで炒めて、味噌味をつけていただきます)など色々です。それと石狩鍋ですね。

でも、魚料理が好きでないうちのパパさん。年齢のわりに・・・若い人向きのお料理を好みます。珍しいですよ~周りの人たちからも・・・パパさんの年齢で 洋食が好きなんてすごいね!と言われます。ですから私は、鮭のグラタン風を作りました。上の写真で、右はチーズの上からパン粉を振って焼いたもの。ちょっと焦げてしまいました 左はオーブンで焼く前です。

作り方は簡単。 鮭を塩コショウしてフライパンで焼く→ 洋風の野菜・セロリ・ピーマン・玉ねぎなどをバターorマーガリンで炒める。お皿に鮭→炒め野菜→とろけるチーズを乗せ・・・飾りにパン粉をのせる(焦がし風味の為)・・・これをオーブン(パン焼き用でOK)で適度に焼いたら出来上がりです。お野菜を炒めるときにお醤油を入れると、チーズとマッチして美味しさが増します。おためしあれ~

私が子供時代の、ポインターのエス♀とエコ♂のパピーちゃんたちですが・・・みるみる大きくなりました。その頃は、私の父と叔父(父の弟)は共同で会社を経営していました。広い工場内の敷地で、ポインター達は飼われていました。エスの産室は四方を網で囲まれていて、屋根も付いていて立派でした。私は産室に入り込み、赤ちゃん達を順に抱いてうかれていました エスが優しいので、何だか自分のお母さんのように感じていました。私はエスの子供・・・犬になっていました。

子犬の成長は早いです。一か月もすると、歩き回わるようになり、産室から出して工場の敷地内を歩かせていました。そのころから離乳食が始まり・・・叔父がなにやらドロドロの物体を作っていました。ドッグフードをふやかして、その中にミンチのようなお肉を入れていました。子供心に→まずそうでした こんなモノ食べるの~って不思議でした。

でもそれとはうらはらに、子犬たちはすごい勢いで離乳食を食べていました。自分が拾ったのらちゃんには自分のおかず&ご飯をあげているのに・・・高級犬って、こんな臭い ~まずそうなご飯をたべるんだなって驚いたものです。今考えると・・・おかしいですねぇ。笑います。 当時から使役犬・良い犬には、それなりのフードが与えられてたのですね。子供ながら、使役犬って良いモノをたべるんだなぁ~と考えさせられました。

そうして3カ月頃までには子犬たちは新しい飼い主の元へ巣立っていきました。どちらのお宅へ行ったのかは、子供である私が知る由もありませんが・・・多分、狩猟の仲間の所だと思います。子犬とはいっても大型犬の子です。巣立つころには5~6kgはあったと思います。どの子もコロコロ太っていて人なつこい子犬達でした汚れを知らない子犬たちでした。血統が良く、先祖代々から人と一緒に仕事をし、可愛がられた親犬の子犬ですから、警戒心の強いのらちゃんたちとは、やはり違っていました。エスとエコは本当に頭がよく性格も良く、素晴らしい犬・仲間でした。

叔父は自分で血統書を作成していました。その当時は犬の背中の模様を一匹・一匹書き込んだりしていて・・・血統書を作るって大変だな!と思いました。おそらくJKCではなく、猟友会の関係の血統書だったでしょう。 叔父は訓練もしっかりしていたし、良い食べ物をたべさせ、りっぱな産室・犬舎を作り・・・犬の事には、お金も動力も惜しまない人でした。 叔父の奥さんは冗談で・・・犬のお陰で破産する~と言っていました。その後、アイリッシュセッターのジュリーという名の女の子がきました。それ以外にもポインターがいたようですが、私が仲良くしたのはエスとエコだったので、あとの子はあまり記憶がありません。

血統書付き・・・なんて犬が、いない時代でしたから、叔父がいかに犬が好きだったかがうかがえますね。

この当時の経験から、私は大人になったら動物の仕事がしたいと思うようになりました。獣医か訓練士になりたかったのです。叔父の素晴らしい訓練ぶりを見ていて、大型犬って頭いいなぁ~と感心、訓練された犬の素晴らしさを知ってしまったので、はまったのですね。

ところが中学生になると、自分の部活や友人達と過ごすことが多くなり、叔父の家には、ぱったりと足を運ばなくなりました。父と叔父も、会社をそれぞれに独立させて、別の場所に工場を創ったので、家も遠くなりました。たま~に、叔父ちゃんのところで子犬が生まれてるらしいよ~と聞いたりしましたが、中学~高校生になると、半分大人のような感じになり、見に行くことはなくなりました この頃も自宅では常に1匹~2匹の犬か猫を飼っていました。この頃に飼っていた子は短命ではなく長く生きていました。ワクチンも普及してきました。

のらちゃんを沢山拾って飼ったことも、叔父の家の使役犬・高級犬とすごしたことも、私の子供時代の大きな財産です。自分が結婚する直前まで・・・私は常に動物を飼っていました。動物を飼う楽しさも・・大変さも・・辛さも、沢山経験しました。その経験が今の自分に繋がっています。動物を幸せにしてあげること。お金をかけてあげれること。最後まで見届けてあげること。本当に身をもって教えてくれた→ 私が今まで飼ってきたわん&ねこちゃん達に心から言いたい言葉→ありがとう~ 虹の橋で元気に暮らしているよね

 

コメント
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