ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2020.1.21 大寒過ぎて・・・寒中お見舞い申し上げます

2020-01-21 21:48:29 | 日記
 昨日は大寒。
 日曜の夜、夫が突然腰痛を訴え、私が頑張って均整術をしたものの全然良くならないと言われ、がっかりした・・・と一昨日日曜日の記事に書いた。
 結局昨日、月曜日は一日休暇を取った。若い時から腰痛持ちではあったけれど、ここのところうまく付き合っていたので、こんなにいきなり酷くなって休暇を取るのは久しぶりのこと。まあ運動不足に加え体重増加にも原因があるのでは、と私は思っている。
 ヨタヨタ歩きで眉間にしわを寄せ、無口。かなり辛そうである。

 折悪く居住する団地では昨年から10年に一度の大規模改修中。私たちが住む棟が一番最後で、昨日から足場組みが始まったところだ。前回の改修から11年になるだろうか。
 思えば2008年11月タキソテールの投与が始まって、休職していた年末のことだったと記憶している。ちょうどリーマンショックの頃。越冬炊き出し隊に並ぶ失業者の風景がテレビのニュースでずっと流れていた。

 そんな時に足場が組まれ、建物全体が幌で覆われ、洗濯物は外に干せず、暗さと埃と騒音の三重苦。体調不良の中、ベランダに作業員さんが行き来してもリビングで横たわっている私には逃げ場もなく、かなり辛い日々を送ったことを思い出した。

 昼休み、夫にご機嫌伺いでラインをしたら、「騒音酷い(涙)」と返事が返ってきた。

 昨日も帰宅すると、ポストに夕刊等が入ったままだった。一歩も出られなかったことが伺い知れた。ちゃちゃっと夕飯を終え、お風呂に先に入ってもらい、早寝してもらった。明日も休めるなら休んだ方がいいから、と。とにかく腰痛はエビの形になって安静、に限る。

 そして、今朝。普段は私より早く起きるのだけれど、今日もしーんとしていた。今日も休むのだな、と思った。
朝食の支度をしているとそろりそろりと起きてきて、昨日よりは大分いいけど、とのこと。
 ハイハイ、どうぞゆっくりゴロゴロしていてくださいね、ちょっと調子が良くなったからってあれこれ動いちゃダメですから、と念押しして出勤した。

 かくいう私もなんだか風邪っぽい。咳が止まらない。すわ、去年のような肺の腫瘍の増悪ではと不安になったけれど、葛根湯を飲んでなんとか凌いでいる。熱っぽいわけでもなく鼻水が出るわけでもなく、喉が痛いわけでもないが、こと咳が出始めるとなかなか止まらない。腹筋は痛いし、転移のある胸骨に直接響くのでこれまた痛い。我慢するとますます出る、といった次第。トホホ。

 うがい・手洗いは欠かしていないが、明日は造影CT検査だから、撮影中咳き込んでじっとしていられなかったら大変だ。
 さらに週末は今年初の瞑想ヨーガクラスである。何とか悪化しませんように、と祈りたい。

 一方、母はデイサービスで行われるという月1回の美食会を愉しんできた模様。今月は蟹尽くしだったそうだ。普段お世話になっている曜日ではないので、知人・友人がいるわけでもないが、せっかく誘って頂けるし、往復送迎付きだし、とのことで楽しみにしている。まあ誰かと美味しいものを食べてお喋り出来るなら良い気分転換になるだろう。
 通院日を振り替えたり、ヘルパーさんの日を変更したりしつつ、うまく一人暮らしの日々を彩ってくれているなら何より有難い。

 皆様、寒さと乾燥、インフルエンザにもくれぐれもご注意の上、暖かくしてお過ごしください。
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2020.1.18-19 家事はちょっぴり、好きなこと一杯の2日間

2020-01-19 22:33:15 | 日記
 土曜日、最後のセンター試験一日目。
 共通一次試験時代から、この日はなぜか狙い撃ちしたように雪が降る。入試担当は前日から道路や階段に凍結止めの炭酸カルシウムを撒いて準備に勤しんでいた。今回は当番に当たっていないが、出勤する方も、もちろん受験生も本当にお疲れ様なことである。

 前夜は1か月フリーパスポートの恩恵にあずかり、レイトショーを観て帰宅した。結果、かなりの夜更かしになってしまい、すっかり朝寝坊になった。夫が朝食の準備をしてくれており、有難く頂いた。寒いと思って窓の外を見ると、案の定雪が舞い出した。
 横殴りの雪の中、めげずにヨガスタジオへ。とても久しぶりにピラティスのクラスに参加した。こんなお天気だから空いているかしらと思いきや、とんでもない。大混雑のイモ洗い状態で大変だった。

 インストラクターはかつてこちらの店舗にいらしたTさん。ベテランだから教え方が上手で安心だ。ついつい乗せられて頑張ってしまうのが玉に瑕かも。
 シャワーを浴びて外に出ると、雪はより強まっている。まず封切り間もない邦画を1本見てから夫と合流してランチを摂った。その後、夫と別れて同じく封切り直後の洋画を観、買い物をしながら夕方帰宅した。
 雪は霙から小止みになっていた。それにしてもとんでもなく寒い。今年は暖冬だと思っていたら、やはりちゃんと冬将軍はやって来た。寒さに負けず、頑張れ、受験生!である。
 それにしても洗濯物がなかなか乾かない。部屋干しにして一日中暖房をつけっぱなしでもイマイチの乾きである。

 日曜日、センター試験2日目。
 夫が珍しくゆっくり寝ている。マイペースで洗濯物を畳み、朝食の準備を整えてから起こす。今日は月1度のお楽しみ、Wさんサロンでマッサージの予約の日だ。
 昨日の雪空が嘘のように今日は良いお天気。それでもかなりの冷え込みだ。

 朝食を終えて、夕飯の1品だけ作って家を出る。行きがけに午後鑑賞予定の邦画チケットを替える。Wさんサロンに到着し、先日の伊勢・志摩旅行のことや母の検査がひとまずセーフだったことなどをご報告。顔も足もかなり浮腫んでいて、痛かったけれど、施術後は大分すっきりした。見れば足の甲の血管もクリアに浮き出ていた。”寒い日”ブレンド・黄金生姜ベースのハーブティを頂き、次回の予約をして、サロンを後にする。母は今週水曜日に予約が入っているそうだ。ブーツがすっきりゆるゆるになっていてびっくり。

 駅ナカで軽食を摂って、最寄り駅まで戻り邦画を一本観てから、夫と待ち合わせ。ケーキとお茶を頂いてから、夫のシャツを買ったり、果物を買ったりして夫と別れる。
 その後久しぶりにボディバランスヨガのクラスに参加した。異動の関係で、お気に入りだったこのボディバランスヨガのクラスを担当するインストラクターさんがいなくなり、普段は受講できなくなってしまった。
 今日は昨日に続き、別店舗からヘルプにきていたTさんのクラス。昨日よりは空いていたものの、それでも結構混雑していた。男女共用スタジオなので仕方がないと言えば仕方がないのだけれど、混雑していて男性にぴたりと横や後ろに位置されると、ストレスである。クラス自体はとても楽しく、マッサージのおかげで血行も良くなっていてたっぷり汗をかいた。

 帰宅後は洗濯機を廻し、夫の用意してくれた夕食を有難く頂き、洗濯を干し、洗い物やごみ捨て。夫が急に腰痛だというので、汗をかきつつ均整術をしたのだけれど、ちっとも良くならないと言われてがっかり。ぱぱっと手抜きの掃除をして、お年玉年賀はがきの抽選を確認したらもうこんな時間である。
 明日からまた新しい1週間が始まる。週半ばにはパージェタ・ハーセプチンの効果測定のため、およそ5か月ぶりの造影CT検査の予約が入っている。なんとか増悪なくこのままもう少し粘りたいものである。
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2020.1.17 四半世紀、忘れない

2020-01-17 21:58:16 | 日記
 阪神淡路大震災から25年目の1月17日だ。
 四半世紀、もう25年なのか、まだ25年なのか。けれど、時間の長さに関する前置詞をつけるのはあまり意味がないように感じる。被災した方たちにとって、大切な方を亡くされた方たちにとってはほかでもない25年、言葉に出来ない思いを胸に秘めつつ日々を重ねて25年、が経過したということ、それ以外の何物でもないと思う。

 何度もこのブログで書いているが、震災当日は研修で日本にいなかった。滞在していたワンルームのアパートにテレビはなかったし、新聞も現地事務所に行かないと読めなかった。だから、2011年の東日本大震災の時のように時々刻々と情報を得られる状況になかった。そのため、きちんと報道を見聞きしていれば当然知っているべき色々なことを知らないし、肝心なところがすっぽり抜けている。

 何も出来ないけれど、決して忘れない。風化させてはならない。
 あの震災を経験された後、大変な思いをされながら今まで命を繋いでこられた方たちに思いを馳せ、少しでも穏やかな日々が続きますように、と祈りを捧げることだけは続けていきたいと思う。

 さて、1月も折り返しを過ぎた。
 会議や研修等で、お正月気分はどこへやら、の慌ただしい1週間だった。年度末関連の諸々の締め切り仕事も次々に舞い込むようになっている。
 いつも元気な夫までお腹を壊した週初めだったが、おかげさまですっかり復調している。やはり慣れぬ水様便のおかげで脱水症状を起こしたようだ。私はなんとなく水分を控え気味だし、沢山着込んで暖かくしているため、今のところ有難いことに下痢が悪化していない。

 そんな中、昨夜は思いもかけない嬉しい贈り物が届いた。結婚30年のお祝いに、とセレナイトというパワーストーンを頂いた。タワーのような美しい形で、すりガラスのように半分透き通った美しい石。Hさんからのメッセージには「抱えている感情的な重荷、健康を害する手放すべき思考パターン、無自覚に過去世からもち越しているトラウマなど、『真の姿』を阻害するものすべてのものを取り除いてくれる効用がある石のようです。」とあった。

 早速枕元に置いて休んだ。心、穏やかである。選んでくださったM先生、そしてHさん、本当にありがとうございました。

 母のこと。
 今日は先週の診察で念のため、と内視鏡検査が入った。昨夜から下剤をかけているとのこと、効きすぎて大変そうである。殆ど眠れなかったらしい。寒いし、お腹が空っぽでは吹き飛ばされないかと心配だ。

 ともあれ、あらゆることはなるようになる。落ち着くところに落ち着く。私まで慌てては始まらない。何があっても大丈夫、と腹を据えて乗り切りたい、そう心に決めて夜電話した。ひとまず大丈夫そう、とのこと。ほっとした半べその声の母。辛い検査良く頑張りました。今夜はゆっくり休んで欲しい。
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2020.1.16 違和感の正体

2020-01-16 21:29:49 | 日記

 長年(この1月で丸12年になった。)ステージⅣの患者をやっていると、色々な方から病気のことで相談される機会が増えてきた。もちろん私の経験がお役に立つなら素直に嬉しいと感じているので、よほどの体調不良の時以外はいつでもウエルカムであり、すぐにお返事を差し上げるようにしている。

 普段は年賀状だけのお付き合い程度であっても、ご自身やご自身の家族が、がんになったという時に、そういえば・・・としぶとく生き長らえている私という存在を思い出してくださるようだ。有難いことである。

 ところで、そんな相談を受けるうえで、これまで何となく違和感を感じてきた言葉があった。
 「〇〇さん(私のこと)に比べれば自分はまだ(マシ・・・)」というフレーズだ。
 要は一生治療から免れない私に対して「大変ですね・・・」という気遣いから出ている言葉には違いない。けれど、その言葉を受け取る私は、自分が同じような立場に立った時に、もう少し良い言い回しが言えないかな、と常々思っていた。

 先日、有川ひろさんのエッセイを読んでいて、「これだ!」と思った。
 豪雨で農地に大きなダメージを負った農家の高齢者が言ったという「(東日本大震災に見舞われた)東北のことを考えれば・・・」に続く言葉である。
 「これくらいでへこたれていられない」である。
 この言葉は、東北の被災地と自らの痛手の状況を比べて、自分を上に置いてはいない。あくまで主体は自分、向かい合うべきは自分自身だということを知っているからこそのまっすぐな言葉である。ああ、こういう言葉が欲しかったのだと膝を打った。

 これまで私は、相手方に全く悪気はなくても、無意識のうちに可哀想とか気の毒とかいう比較の対象とされていたことに、どことなく哀しい違和感を感じていた。そして、こういう言葉を頂ければお互いにハッピーな気持ちで前が向けるのだ、とスッキリした。

 〇〇さんは大変なのにあんなに頑張っている。だから私もへこたれてなんかいられない。

 そう、生きていれば皆それぞれ色々なものを抱えている。病気だけではなくて介護だったり、子育てだったり。生きていくということは決して順風満帆なことばかりではない。
 それに気づけたことを感謝しながら、誰に対してでもない、自分自身に申し訳が立つように、私はほかの誰と比べるわけでもなく、へこたれてなんかいられない、と限りある日々を送っていきたいのだ、と改めて思う。
コメント (2)
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2020.1.15 残された時間と最後の時

2020-01-15 22:48:12 | 日記

 先日息子と旅をして、うーん、なるほどと頷いた言葉がある。
「良く(三連休を潰してまで私たち夫婦の旅に)付き合ってくれたよね。」という会話の後だったか。
「一緒に暮らしていれば、1年365日毎日会っているわけだけれど、こうして離れてしまうと、この後365日会うことが出来るかな、と考えたら、どうなんだろう・・・、と思ったんだ。」と。

 なるほど、息子は関西に骨を埋めるつもりで就職したのだから、夏季や年末年始等に数日間帰省することがあっても、そして私たち夫婦が関西に出向いて息子に会いに行くことはあっても、実際に顔を見て一緒に過ごせるのは多く見積もって1年に10日くらいだろう。
 となると、単純に計算してみても3年で1か月相当。12か月すなわち1年間を一緒に過ごすためには36年かかることになる。
 間髪を入れず「(1年なんて)それはないね、間違いなく。」と答えていた。

 そうなのである。
 家族としてともに過ごせた月日は、息子が大学に入学する迄の18年間である。そうした蜜月は長くは続かない。いや、長く続き過ぎるのもそれはそれで問題か。子どもは親から巣立っていくものなのだ。
 自分自身が一人娘で東京生まれの東京育ちだったから実家から独立する機会が遅れ、結構苦労した。そんなこともあり、こと我が家に関していえばうまく子離れ、親離れ出来たことを有難く、誇らしく思っている。

 翻って一人暮らしの母(86歳)のことを思えば、彼女と過ごせる残された時間はあと僅か、と考えるのが道理だろう。
 ならば、足繁く実家に通って一緒に過ごせる日を多くしようと思うか、と問われれば、冷たい娘だと思われるかもしれないけれど、そうでもない。

 これまで出来るときに、出来ることを精一杯やってきたし、これからもそのつもりではある。だから、最後となる日が来ても後悔はしないだろうと思う。そのため自分が必要と感じている以上に無理を重ねて、頻繁に実家を訪ねようとは考えていない。
 あくまで自分の時間、自分の生活を大切にしながら、自分が出来る範囲で。それが私流である。他のどなたとの時間もそういうことである。

 とはいえ、意識していなくとも、後になって必ず「ああ、あの人とはあれが最後だったのだな」という時がある。
 これから積極的に会う算段をしなければ、おそらく旅立つまで会わずに終わる方たちも沢山いるだろう。
 その方たちにとって、私との最後となる時間、私はどんな顔をしていてその方たちのどんな記憶に残っていくのだろう。そう考えると、誰といるときにもなるべくご機嫌で、なるべく穏やかでいたいと素直に思う。

 これまでもこれからも積極的に会う算段をしたければする、もちろん先方がイエスであれば、その逢瀬は実現する。ノーサンキューであれば、後追いはしない。
 また、たとえお誘い頂いても、(日程的にも体力的にも)無理をしなければ行けない(あるいは気が進まない)と自分が思う時、不義理かもしれないけれど、あまり無理はしない。これは物理的にも気持ち的にも、だ。それはそれでよいと思っている。そういうご縁ということだ。

 人との関わりは一期一会だ。残された時間、その時その時を精一杯生きていれば、あの時ああしていれば、こうしていれば、とは思わない筈。常にこれが最後かもしれない、と心のどこかにその思いを持っていれば、決して後悔するようなことにはならない振る舞いが出来る、と信じている。
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