ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2020.7.16 エンハーツ投与翌日のこと

2020-07-16 21:54:06 | 日記

 昨夜はお夕寝した関係でブログの書き始めも遅かったのと、いつもに増して長文になってしまったことと、下書き中にお風呂に入ったこともあり、アップ出来たのは日付を優に渡り、とんでもなく遅い就寝になった。これもステロイドハイのなせる業である。

 睡眠時間は4時間半ほど。うーん、こんなことをしていてはいけない。もともと宵っ張りの夫を巻き込むつもりはさらさらなかったのに、私が一人で起きていると心配なようで、最後まで付き合わせてしまった。申し訳ない。

 その夫、昨日耳鼻咽喉科に行くなんて話は全く寝耳に水だったのだが、声がかすれてなんとなく痛いのが続いていた様子。長年喫煙者(ヘビースモーカーともいう。とにかく10年前に止めてもらって本当に良かった。)だったこともあり、喉のがんではないかと心配になったようだ。何年か前にもこんなことがあったが、私がこんな状況で、もし自分に何かあったらサポート出来ない、と心配を綺麗に払拭しておきたかったようだ。
 結果、「少し赤く腫れているけれど、あとはとても綺麗ですよ」と言われたらしい。

 良かった、良かった。まあそうした要らぬ心配をかけて申し訳ない、ということなのであるが。夫の家系にがんは見当たらないし、皆テロメアが長いのか、90歳を超える人たちが当たり前のようにぞろぞろいるので、夫がちゃんと看取ってくれる、とお気楽な私は高を括っている。

 短時間とはいえよく眠れたけれど、目が覚めたらやはり気持ちが悪い。お腹がもたもたする。吐いてしまいたいほどではないが、ムカムカして生唾が出る。味もイマイチ微妙な感じがわからない。よって食欲はない。昨夜は果物と寝る前の薬を飲むためにヨーグルトを飲んだだけだったので、空腹であることには変わりない。胃が痛むほどである。
 それでも食べたくないのが、投与による吐き気・悪心であることに間違いはない。

 そして、コデインに加え、吐き気止めの3薬投与のおかげで、すっかり便秘という副作用が強化されたのだろう、朝からお通じがない。こんなことはどのくらいぶりだろう。ずーっと下痢でお腹が緩くて、朝目覚めると朝食を摂る前にもお手洗いに行っていたではないか。ハラヴェン投与の時も、朝のお通じがなかったことはなかった。

 今朝は小さなクロワッサンと青汁を頑張って飲んで、バナナスムージーは飲み切れず。ゴールデンキウイとピンクグレープフルーツと、北海道に住む叔母が送ってくれた夕張メロンをちょっぴり紅茶で流し込んでおしまい。食前の薬はいつもの漢方2種、食後はイメンドカプセル80mg、ビタノイリン、タケプロン、ロキソニン、ミヤBM錠に加えて、苦い粉薬コデインである。もうそれだけでお腹一杯。
 昨日から食事の量が減っていることもあるので、まぁそうすぐに大事になるということはないだろうが、下痢も辛いが、便秘も辛いものだ。

 とにかく人がご機嫌に幸せであるということは、ちゃんと食べられてちゃんと排出することが出来ることだと毎回のように思う。これを当たり前と思っていられる人生がずっと続いている人はどのくらい存在するのだろう。ちょっと妬ましい。

 出勤して溜まったメール等の処理を大急ぎでこなし、午後からのweb会議の資料等を読み込んでいるうちに、あっという間に昼。なんとなくだるく、熱っぽい。朝は35度台だったのだが。
 ランチに外出する時間はなさそうなので、一番ご飯の少ないお弁当を注文した。いつもはペロリと完食なのだが、今日はご飯もおかずもお味噌汁も半分がやっとだった。それでもロキソニンとコデインを食後に飲んでいるので、突き刺すような酷い痛みはないのが有難い。

 会議の梯子は数時間にわたり、ぐったり。腰が痛い。それでも密ではない別室に入って参加出来たので、普段自席では足を上げられないのに、お行儀悪く向かいの椅子に足を投げ出せたのでちょっと楽だった。さすがに横になるわけにはいかないけれど。
 会議が終わり、来客も済んだので、1時間弱早退をさせて頂くことにした。
 もはやステロイド効果は薄れてきているということだろう。

 この後、好中球減少やら貧血等が加わるとかなりしんどいだろうな、と思うが、杞憂であることを祈りたい。
 明日1日乗り切れば、土曜日にあるイベントは午後以降なので、少しゆっくりできるだろう。

 今日は母の87歳の誕生日。父が亡くなって4年。2017年に眼科で黄斑前膜、昨年泌尿器科で腎がん。入院して手術を受けながら、曲がりなりにも一人暮らしを4年続けてこられたことは素直にほめてあげたいな、と思う。よく頑張りました(上から目線か。)。ということで今朝、お祝いの電話をした。今日はデイサービスの日。施設でお祝いをしてもらえたのなら良いのだけれど。

 父があっけなく亡くなった時、すっかりしょげてしまい、間もなく私の番です・・・なんて様子だった。励ますために、せめて父が生きた年まで5年は頑張らないとね、と言い続けてきた。父が亡くなった年から、都心のホテルの誕生日泊プランを母にプレゼントして喜んでもらってきた。今年も案内が来たけれど、コロナウィルスの感染拡大が止まらない都心のホテルに治療中の私と高齢者の母でお泊りなんて、ちょっと危険すぎるので、予約するのも見合わせている。

 夫に言わせると、いや~おばあちゃんは90歳もクリアしそうだよ、だそうだ。一人娘の私が頑張っていられるは、息子が独立したら・・・がクリア出来たのに加えて、逆縁だけは避けたい、という思いが原動力になっているのだろう。88歳で他界した父はなんとか見送ることが出来た。難しいかもしれないけれど、出来れば母も見送りたい。

 だからエンハーツ、長く効いてほしい。それには間質性肺炎になどならないぞ、という気概で行きたいものだ。気概だけではいかんともしがたいことは多々あるのだけれど、気持ちだけはしょげない、ということで。
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