先日、朱川湊人さんの「かたみ歌」(新潮文庫)を読んだ。
朱川さんの作品とは初めての出会いだった。そしていきなり朱川ワールドに引き込まれた。
裏表紙には、「不思議なことが起きる、東京の下町アカシア商店街。昭和という時代が残した“かたみ”の歌が、慎しまやかな人生を優しく包む。7つの奇蹟を描いた連作短編集」とある。7編の短編小説なのだが、主人公はそれぞれ、不思議な体験をする。それはすべて「死」にまつわるもので、なぜかという答えは一篇ずつ読み進むごとに明らかになっていく。どれもこれも実に巧く、ラストの「枯葉の天使」で様々な謎が一気に解ける。圧巻であった。
特に第2話の「夏の落し文」のラスト一行=兄の帰りを待ちわびる弟の姿=には涙が滲み、第3話の「栞の恋」では、携帯がない時代の古書店での恋の切なさに胸キュンになり、第6話の「朱鷺色の兆(しるし)」の中の「まあ、怯えようが悩もうが、笑おうが呑気にしようが、死は来るときには来るさ。いつともしれないそいつを気に病んで、縮こまっているのは愚の骨頂ってもんだ」の台詞に著者からのメッセージを受け取った。
解説で作家の諸田玲子さんが書いておられるように「どうしてこんなにも、切々と胸にしみいるのだろう。もの哀しいけれどほのぼのとした、ぞくりとさせながらも郷愁を誘う<朱川ワールド>を満喫した。」のは私も全く同じだった。
昭和の香りが全編に漂い、私もよく口ずさんだ懐かしいヒットソングが出てくる。朱川さんも1963年の早生まれだから、学年は1つ下。やはり通じるものがある。平成も23年になったというのに、やはり私は昭和生まれ、昭和育ちであることを実感する。
本との出会いはいつもとても新鮮で、とても幸せな瞬間だ。
昨日の読売新聞で“作家 自著売って寄付 ネットに「復興書店」”という記事があった。被災者支援のため、作家の島田雅彦さんがインターネット上に「復興書店」を開設し、作家から無償で著書を提供してもらって販売し、利益は義援金として寄付するものだという。
その「復興書店」のHPに寄せられた作家からのメッセージの一部として、青山七恵さんのコメントが紹介されていた。とても心動かされたので、以下転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
「本は、悲しい現実からの人の心を守ってくれる盾のようなものでありながら、その現実へ向かって優しく背中を押してくれるもので あると思います。被災された方々の心の平安を祈っています。」
(転載終了)※ ※ ※
まさにそうだ、と思う。私も初発以来、さらには再発以降、かなりの濫読だが、貪るように本を読み始めた。
これはきっと、無意識のうちに、本というものが、私の弱っている心を守ってくれる盾であることを感じ、さらには当時、下向き加減で猫背になっていたであろう私が、再び顔を上げて現実に立ち向かえるように背中を優しく押してくれるものであるという“本の力”に、知らないうちに動かされていたからではないか、と今、改めて思う。
当時、生きているうちにあと1000冊読めるだろうか、と思った。なぜ1000冊だったかはわからないが、先日、初発以来6年半弱かかって1000冊はクリアした。
だが、今年は3.11の影響が大きく、読書できない日が続いた。その日以降かなり読書のスピードが落ちている。
昨年の今の時期に比べて読んだ本が50冊以上少ない。
だが、こうして初めて出会って、また別の作品を読んでみたい、という著者に出会えることは何より本当に嬉しいものだ、と思う。またもや本の力が働き始めた予感がする。
昨夜の頭痛はやはり観念してロキソニンを服用し、なんとか眠ることが出来た。今朝はひどい雨で、出勤途上でびしょ濡れになったが、これまた予報通りに午後から青空が広がった。
明日もお天気のようだ。それだけで嬉しい。何とも単純な私だ。
朱川さんの作品とは初めての出会いだった。そしていきなり朱川ワールドに引き込まれた。
裏表紙には、「不思議なことが起きる、東京の下町アカシア商店街。昭和という時代が残した“かたみ”の歌が、慎しまやかな人生を優しく包む。7つの奇蹟を描いた連作短編集」とある。7編の短編小説なのだが、主人公はそれぞれ、不思議な体験をする。それはすべて「死」にまつわるもので、なぜかという答えは一篇ずつ読み進むごとに明らかになっていく。どれもこれも実に巧く、ラストの「枯葉の天使」で様々な謎が一気に解ける。圧巻であった。
特に第2話の「夏の落し文」のラスト一行=兄の帰りを待ちわびる弟の姿=には涙が滲み、第3話の「栞の恋」では、携帯がない時代の古書店での恋の切なさに胸キュンになり、第6話の「朱鷺色の兆(しるし)」の中の「まあ、怯えようが悩もうが、笑おうが呑気にしようが、死は来るときには来るさ。いつともしれないそいつを気に病んで、縮こまっているのは愚の骨頂ってもんだ」の台詞に著者からのメッセージを受け取った。
解説で作家の諸田玲子さんが書いておられるように「どうしてこんなにも、切々と胸にしみいるのだろう。もの哀しいけれどほのぼのとした、ぞくりとさせながらも郷愁を誘う<朱川ワールド>を満喫した。」のは私も全く同じだった。
昭和の香りが全編に漂い、私もよく口ずさんだ懐かしいヒットソングが出てくる。朱川さんも1963年の早生まれだから、学年は1つ下。やはり通じるものがある。平成も23年になったというのに、やはり私は昭和生まれ、昭和育ちであることを実感する。
本との出会いはいつもとても新鮮で、とても幸せな瞬間だ。
昨日の読売新聞で“作家 自著売って寄付 ネットに「復興書店」”という記事があった。被災者支援のため、作家の島田雅彦さんがインターネット上に「復興書店」を開設し、作家から無償で著書を提供してもらって販売し、利益は義援金として寄付するものだという。
その「復興書店」のHPに寄せられた作家からのメッセージの一部として、青山七恵さんのコメントが紹介されていた。とても心動かされたので、以下転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
「本は、悲しい現実からの人の心を守ってくれる盾のようなものでありながら、その現実へ向かって優しく背中を押してくれるもので あると思います。被災された方々の心の平安を祈っています。」
(転載終了)※ ※ ※
まさにそうだ、と思う。私も初発以来、さらには再発以降、かなりの濫読だが、貪るように本を読み始めた。
これはきっと、無意識のうちに、本というものが、私の弱っている心を守ってくれる盾であることを感じ、さらには当時、下向き加減で猫背になっていたであろう私が、再び顔を上げて現実に立ち向かえるように背中を優しく押してくれるものであるという“本の力”に、知らないうちに動かされていたからではないか、と今、改めて思う。
当時、生きているうちにあと1000冊読めるだろうか、と思った。なぜ1000冊だったかはわからないが、先日、初発以来6年半弱かかって1000冊はクリアした。
だが、今年は3.11の影響が大きく、読書できない日が続いた。その日以降かなり読書のスピードが落ちている。
昨年の今の時期に比べて読んだ本が50冊以上少ない。
だが、こうして初めて出会って、また別の作品を読んでみたい、という著者に出会えることは何より本当に嬉しいものだ、と思う。またもや本の力が働き始めた予感がする。
昨夜の頭痛はやはり観念してロキソニンを服用し、なんとか眠ることが出来た。今朝はひどい雨で、出勤途上でびしょ濡れになったが、これまた予報通りに午後から青空が広がった。
明日もお天気のようだ。それだけで嬉しい。何とも単純な私だ。
触発されて、などと言っていただくと照れくさいのですが、読むそばから忘れているので同じ本を読んだり、という間抜けなことも繰り返しています。
それでも、一日がかりの通院日は本がないととても持ちません。
オリーブさん、
「かたみ歌」買って頂いたのですね。気に入って頂けると嬉しいのですが・・・。
私も選書はワンパターンなのですが、最近は結構冒険をするようになりました。
朱川作品はノスタルジックホラーというそうです。よろしければ感想聞かせてくださいね。
本を買うとき、どうしても知ってる作家の物ばかり選んでしまい、冒険が出来ませんでした。
こうして、読後感込みで紹介頂くと迷いなく購入できます。
ロッキングチェアさんのブログは、色々な作家を知るきっかけとなり、自分の世界が広がっていきます。
今回は「かたみ歌」の他、ホラーも目に付いたので一冊購入してみました。
どんな世界に誘ってくれるのか、ワクワクして本の到着を待っています。
でも、このブログに触発されたこと、再発して大きな病院に転院したら待ち時間が長くなったことなどで、前よりは読書するようになりました。最近は近所の図書館へ通っています。
青山七恵さんとロッキングチェアさんのいう”本の力”について、私は今まで意識していませんでした。自分の知らない世界へ連れていってくれること、わくわく感などを本に求めていたように思います。新しい本の魅力を知って、今後ますます読書にのめりこみそうです。