ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.8.4 線路は続くよどこまでも

2015-08-04 20:27:43 | 日記
 届いていた予定表では7時半前の電車に乗り、12時間かけて九州入りする予定だった息子のこと。
 昨日迄部活だといっていたから支度もどうしたものやら、と思っていたが、出掛けに手間取って(寝坊したとは言わない)1時間遅れの運行、目的地到着は1時間半遅れ、との連絡が入った。
 それはそれはお疲れ様、ホテルに延着を連絡しておかないとね、と返したのだが、途中新幹線に乗ってショートカットするとの続報が。青春18切符の割にはリッチな旅になっている。

 そもそも最初にこの旅のことを聞いた時は、宿は無人駅かカラオケボックスなどというあまりに物騒な話をしていたので、せめて宿は取ってほしいと、夫と私とで毎月の仕送りに色をつけて送ったのだ。親馬鹿以外の何物でもないが、いくら貧乏若人一人旅とはいえ、命あってのことである。それに、万が一無人駅で警察に保護でもされようものなら、九州まで身柄引き取りにいかなければならない。
 結局、安価なカプセルホテルを手配して宿泊費はかなり抑えられたらしい。娘ならとてもうんとは言えなかったかもしれないけれど。
 そんなわけで、1泊の宿代よりも高い新幹線を奮発したのだろうけれど。まあ、時は金なり、本人も自業自得だから、と言っているのだから、明日からはちゃんと予定通りに動けることを祈るのみである。

 途中、LINEで夫と2人で出かけた旅路をなぞり「懐かしい!」と2人であれやこれやの思い出話に浸っていた。私は同行しなかったので、残念ながらそういう話題についていけないのだけれど、やはりあの時、男2人旅を沢山させておいてよかったなあ、としみじみ思う。

 私が病を得た頃、当時はまだ小さかった息子は、ご多聞に漏れずのママボーイだった。私が早晩いなくなった後にも2人で仲良くやっていってほしいという思いから、ちょうど10年前の春休みに夫と2人で出かけるのを後押ししたのが皮切りだ。
 以来、長い休みの度に本当によく2人で鉄道の旅に出た。北海道、北陸、山陰・山陽から四国、九州まで。文字通り線路は続くよどこまでも、といった旅。息子は中高と所属した鉄研の部誌に載せる原稿も書けて、いってみれば一粒で二度美味しい旅だったのだろう。 
 夫はやれ腰痛だなんだ、と結構顎を出していたけれど、思春期の息子との濃い時間が、今の2人の関係を物語っていると思う。本当に2人が仲良しでよかった。そして、それだけの思い出があれば、私がいなくなっても大丈夫ね、と素直に思う。

 かつてに比べて、LINEでリアルタイムに状況が分かるから、安心といえば安心だ。と同時に、一人旅で誰とも話さず、自分自身と向かい合う旅がし辛くなっているのは確かだろう。この際、彼から連絡がない限りは心して連絡をとらないでいようか、と思っているのだけれど・・・。

 帰宅すると、今月のお花が届いていた。暑い8月は切り花がもたないから、今月は1回だけのお届けで鉢物。白のミニ胡蝶蘭とアイビーの寄せ植えである。宅配のお花屋さんから届く鉢物も今年で5つめ。足掛け6年ものお付き合いになる。早いものである。
コメント
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