今朝のこと。
出勤簿を押印している時に、以前同じ部署で仕事をしたことのあった方から声をかけられた。「A先生のこと、ご存知ですか。」と。
A先生というのは、息子が小学校5,6年の時に担任してくださった先生である。彼女の坊ちゃんが今年小学校1年生になり、その担任がなんとA先生なのだそうだ。先週末、面談をした時に、おそらく彼女の勤務先から私たちのことを思い出してくださったのだろう、「○○さん(私の名前)のことはご存知?」という話になったのだという。
息子は、小学生の時は、今とは比べ物にならないくらい何にでも興味を示し、目がキラキラと輝いた前向きな良い子(すみません、これも親馬鹿です。)だったので、先生方には随分可愛がって頂いた。今の“めんどっちー”連発息子を見たら、のけぞられるだろうな、と苦笑する。
ちょうど3,4年生の頃、息子の同級生に問題行動を起こすお子さんが2人いて、殆ど授業が成立しないほど荒れてしまい、担任の先生の負担は大変なものだった。3、4年生の担任の先生はお気の毒なことにお二人とも体調を崩されて、途中でお休みされた。
5年生になる際にクラス換えがあり、A先生が担任になり、そのまま6年生のクラスも受け持たれた。その段階で一人のお子さんは別の学校に転校し、残った1人のお子さんがまた同じクラスになったのだが、A先生はそのお子さんのあしらいがとてもお上手で、決してコワモテというわけでもないのに、A先生の言うことは聞く、とのことだった。
そして嘘のように、クラスもそのお子さんも落ち着いたのがとても印象的だった。A先生は、中学受験することにも好意的で、とても褒め上手でいらしたので、息子も受験生でありながら、小学校生活を犠牲にすることなく、運動会も発表会も十二分に楽しみつつ、のびのびと過ごせた、と今でも感謝している。
卒業式の時には、大正ロマンのハイカラさんのような袴におリボン姿の先生と、真新しい中学の制服を着た息子のツーショットの写真を撮らせて頂いた。私の病気のこともお話していたので、別れ際に「どうか頑張ってね。」と私の手を握りながら声をかけて頂いたことも心に残っている。
息子が中学に入学して2カ月位した頃だろうか、卒業アルバムを取りに行き方々、先生の所にご挨拶に行ったところ、「(職員室の)先生の机には(その時の僕との写真が入った)写真立てが飾られていたよ!」と照れ臭そうに話してくれた記憶がある。中学生までは暑中見舞い状と年賀状を出すようにさせていたが、高校に入ってからは暑中見舞い状を面倒臭がり、今では年賀状だけのやりとり、それもそっけない(「○○㎝になりました。」程度の一言コメントだけの)ものになっている。
先生は息子が小学校2年の時に異動されてきたので、もう随分長くなるな、とは思っていた。少し前に市内の別の学校に異動された、と風の噂で聞いていたが、なんとこんなご縁があるとは!
それにしても先生が知っている息子は、当時155cmで40㎏にも満たない痩せっぽちの坊やだった。それが今や180cmを超え65㎏の大男。街ですれ違っても気付いて頂けないかもしれないな、と思う。とても懐かしく、私たちのことを思い出して頂けたことがとても嬉しかった。
「またお会いになる時は、どうぞよろしくお伝えくださいね。」と彼女に言って、温かな気持ちで職場に向かった。
今日も予報通り、朝は晴れていたが、暗くなったと思ったら突然真っ暗になり、夕立ちのような激しい雨が降った。週末からは早くも6月。なかなかお天気の安定しない5月だったなあ、と思う。
相変わらず目の周りと鼻の周りの爛れが鬱陶しく、ステロイドの軟膏が手放せない。足の痺れも夕方にはかなり酷くなっている。憂鬱なことばかり、考えたくはないのだけれど。
出勤簿を押印している時に、以前同じ部署で仕事をしたことのあった方から声をかけられた。「A先生のこと、ご存知ですか。」と。
A先生というのは、息子が小学校5,6年の時に担任してくださった先生である。彼女の坊ちゃんが今年小学校1年生になり、その担任がなんとA先生なのだそうだ。先週末、面談をした時に、おそらく彼女の勤務先から私たちのことを思い出してくださったのだろう、「○○さん(私の名前)のことはご存知?」という話になったのだという。
息子は、小学生の時は、今とは比べ物にならないくらい何にでも興味を示し、目がキラキラと輝いた前向きな良い子(すみません、これも親馬鹿です。)だったので、先生方には随分可愛がって頂いた。今の“めんどっちー”連発息子を見たら、のけぞられるだろうな、と苦笑する。
ちょうど3,4年生の頃、息子の同級生に問題行動を起こすお子さんが2人いて、殆ど授業が成立しないほど荒れてしまい、担任の先生の負担は大変なものだった。3、4年生の担任の先生はお気の毒なことにお二人とも体調を崩されて、途中でお休みされた。
5年生になる際にクラス換えがあり、A先生が担任になり、そのまま6年生のクラスも受け持たれた。その段階で一人のお子さんは別の学校に転校し、残った1人のお子さんがまた同じクラスになったのだが、A先生はそのお子さんのあしらいがとてもお上手で、決してコワモテというわけでもないのに、A先生の言うことは聞く、とのことだった。
そして嘘のように、クラスもそのお子さんも落ち着いたのがとても印象的だった。A先生は、中学受験することにも好意的で、とても褒め上手でいらしたので、息子も受験生でありながら、小学校生活を犠牲にすることなく、運動会も発表会も十二分に楽しみつつ、のびのびと過ごせた、と今でも感謝している。
卒業式の時には、大正ロマンのハイカラさんのような袴におリボン姿の先生と、真新しい中学の制服を着た息子のツーショットの写真を撮らせて頂いた。私の病気のこともお話していたので、別れ際に「どうか頑張ってね。」と私の手を握りながら声をかけて頂いたことも心に残っている。
息子が中学に入学して2カ月位した頃だろうか、卒業アルバムを取りに行き方々、先生の所にご挨拶に行ったところ、「(職員室の)先生の机には(その時の僕との写真が入った)写真立てが飾られていたよ!」と照れ臭そうに話してくれた記憶がある。中学生までは暑中見舞い状と年賀状を出すようにさせていたが、高校に入ってからは暑中見舞い状を面倒臭がり、今では年賀状だけのやりとり、それもそっけない(「○○㎝になりました。」程度の一言コメントだけの)ものになっている。
先生は息子が小学校2年の時に異動されてきたので、もう随分長くなるな、とは思っていた。少し前に市内の別の学校に異動された、と風の噂で聞いていたが、なんとこんなご縁があるとは!
それにしても先生が知っている息子は、当時155cmで40㎏にも満たない痩せっぽちの坊やだった。それが今や180cmを超え65㎏の大男。街ですれ違っても気付いて頂けないかもしれないな、と思う。とても懐かしく、私たちのことを思い出して頂けたことがとても嬉しかった。
「またお会いになる時は、どうぞよろしくお伝えくださいね。」と彼女に言って、温かな気持ちで職場に向かった。
今日も予報通り、朝は晴れていたが、暗くなったと思ったら突然真っ暗になり、夕立ちのような激しい雨が降った。週末からは早くも6月。なかなかお天気の安定しない5月だったなあ、と思う。
相変わらず目の周りと鼻の周りの爛れが鬱陶しく、ステロイドの軟膏が手放せない。足の痺れも夕方にはかなり酷くなっている。憂鬱なことばかり、考えたくはないのだけれど。