いくやの斬鉄日記

オープンソースからハイスクールフリート、The Beatlesまで何でもありの自称エンターテインメント日記。

昔の映画における「差別的表現」と、表現規制の話

2013年06月04日 00時11分37秒 | 日記
東宝 昭和の爆笑喜劇DVDマガジン 2013年 5/7号 [分冊百科]
クリエーター情報なし
講談社


何年も前からクレイジーキャッツの映画は見なきゃなぁと思っていたのですが、なかなか機会に恵まれませんでした。
そしたらなんと、『昭和の爆笑喜劇DVDマガジン』で見られるというではありませんか!
これを逃す手はないということで、現在4号まで購読して観ました。どの作品も非常に面白いので、今後個別に紹介しようと思います。

なにせどれも50年ほど前の映画なので、現在とは生活の様式や街の風景が全く異なるわけです。なくなってしまったものもいっぱい登場します。死語が登場して苦笑いすることも少なくないです。
表現も実におおらかで、現在だと通らないんじゃないかなーと思うこともあります。
今回紹介するのは『日本一のホラ吹き男』で、この作品が大変に面白く、また歴史的価値がある作品であることに何の疑念を挟む余地もないのですが、気になるシーンがありました。
主人公の初等(はじめひとし)は言うことがでかく、それがホラであると受け取られているのですが、会社に泊まりこんで1日3時間しか睡眠を取らず、それ以外はひたすら仕事をしてまで「有限実行」する男なので、現在の感覚だとそれはホラって言わないよなーって気がします。

それはさておき、とある電機メーカーに転がり込んで出世を目論むのですが、ヒット商品のネタを探しに研究所に行きます。そこで谷啓さん扮する井川と出会うのですが、この男がひどい吃音で、まともに喋りません。そのあと二人で飲みに行ってパカパカ酒を飲むと、いきなり饒舌になって研究している電球について語るのですが、吃音の人がお酒を飲んで饒舌になる、というのは、私にはひどく差別的な表現に思えました。
もちろんこのシーン一点で評価が変わることはありません。この映画が傑作であることに寸分の疑いも抱きませんし、そもそもこの手のエンターテインメント作品で一事が万事で否定する人の言うことは聞かなくてもいいというのが常というものです。

あくまでこれは私がそう思ったというだけのことであり、そう思わない人もいるでしょうし、そういうシーンがあると事前に知っていればなんとも思わない、ということもあるでしょう。そして、他にも私が気づいていない差別的な表現があるかも知れません。このシーンがないと井川がどんなにすごいやつなのかわかりませんし、これ以外の方法で表現しようとするとずいぶん回りくどいものになるでしょうから、やっぱりこのシーンは必要だと思います。

そこで思い出されるのが児童ポルノ禁止法改定案の全文、衆院サイトで公開など、一連の児童ポルノ禁止法改定案についてです。
今回の改正がもし仮に通ったとして、すぐにどうにかなるものでも無さそうではあるのですが、ゆくゆくは児童ポルノに準ずるシーンのあるマンガやアニメやゲームを所持しているだけで違法になる可能性のある、実に恐ろしい法案です。

例えば吃音の人を不当に差別することを禁止する法律が成立したと仮定します。そして、そのシーンのある映画などの単純所持が禁止されたとします。
するとどうでしょう。『日本一のホラ吹き男』がたちまち存在しなかったものになってしまいます。1点を除いて大変に素晴らしく、また歴史的価値のある作品であるにも関わらず、です。
更に悪いことに、映画を制作している人たちが萎縮してしまうという効果も出ることでしょう。多少とんがっていないと面白ものになるわけがありません。
最大の問題は、これが本当に差別的な表現なのかどうか、「誰か」によって判断されるということです。ということは、『日本一のホラ吹き男』は名作だからセーフにしよう、でも他に同じようなシーンのある映画はアウトということにしよう、なんてことができてしまうことになります。
これを差別ではなく児童ポルノに、映画ではなくマンガやアニメやゲームに置き換えると、先程の法案になるわけです。ああ恐ろしい。

もっとも、目に写る不快なものは排除されるべきである、と平気で考えている政治家がいる、というのが何よりも恐ろしいことなのですが。
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