社 号:八幡神社(はちまんじんじゃ)
別 称:東石清水八幡神社(ひがしいわしみずはちまんじんじゃ)
児玉八幡神社(こだまはちまんじんじゃ)
祭 神:誉田別命(ほんだわけのみこと)・姫大神(ひめおおかみ)・神功皇后(じんぐうこうごう)
創 建:康平6年(1063)
社 格:旧県社
指 定:埼玉県指定有形文化財(八幡神社社殿及び銅製鳥居 平成2年(1990)3月28日指定)
本庄市指定文化財( 随身門 昭和40年(1965)3月1日指定)
鎮座地:埼玉県本庄市児玉町児玉198(旧児玉郡児玉町)
本庄市児玉町児玉地内に鎮座する『東石清水八幡神社』を参詣してきました。当神社は、下に掲載
の案内板や御由緒に記されているよう、平安時代後期に源頼義・義家親子が奥州征伐から帰陣の際
に立ち寄り社殿建立し、京都の石清水八幡宮より勧請したことから東石清水八幡神社となったと伝
わるようです。
このように、すべてが真偽の程は別として、八幡太郎源義家や、源頼朝などが建立した寺院とかお
手植えの松などと言われるものが各地に存在します。
東石清水八幡神社の東隣には、児玉党の領主児玉六郎時国の館跡と伝わる玉蓮寺があります。
東石清水八幡神社参道入口と鳥居
神社西南側の道路は「鎌倉街道上杉道」で、神社北側を「鎌倉街道上道」が通り、ここより東方に
少し進んだところで上道に合流する。
東石清水八幡神社参道
文化財配置図
東石清水八幡神社 所在地 児玉郡児玉町大字児玉 東石清水八幡神社の祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)、姫大神(ひめおおかみ)、神功 皇后(じんぐうこうごう)の三神である。 社伝によれば、平安時代の末期、源義家が父頼義に従い奥州征伐に赴く途中金鑚(かなさな) 神社へ参詣したが、そのおりに当地へ斎場(まつりば)を設け、戦勝を祈願し、康平6年(10 63)帰陣の際ふたたび当地に立ち寄り、社殿を建立して八幡宮を迎え「東石清水白鳩峯」と称 したのが始まりという。 現在の社殿は享保7年(1722)に再建したもので、拝殿は入母屋造りとなっており、屋根 は銅葺千鳥破風造りである。拝殿の格天井(こうてんじょう)には狩野直信(かのうただのぶ) 筆の「飛龍の図」が描かれている。また、建物の彫刻は江戸の彫刻師の手によるもので、緻密な 彫に極彩色がほどこされており、特に本殿の左右及び裏の三面には唐様の人物や花鳥が彫刻され、 その華麗さは県下でも稀な社殿として有名である。 境内にある江戸時代の高札場は、もと本町と連雀町との境いの道路にあったものを昭和5年に 現在地へ移したもので、県内に現存している数少ないものの一つであり、町の文化財に指定され ている。 昭和58年3月 埼 玉 県 |
『随身門』 (本庄市指定文化財)
東石清水八幡神社社殿と青銅製鳥居
「埼玉県指定有形文化財 東石清水八幡神社社殿・銅製鳥居」説明板
社殿(拝殿)
本殿・幣殿・拝殿が連結した複合社殿
境内末社(一部)
御嶽山神社
神池のほとりに立つ「八幡神社 御由緒」
神池
江戸時代の『高札場』 (本庄市指定文化財)
児玉村の高札場で、従来は連雀町と本児玉(本町)の境いあたりの街道上にあったが、交通の障害
となったため、昭和5年に現在地(八幡神社北西隅)に移築したもの。
参詣日:令和元年(2019)5月22日(水)