四季・めぐりめぐりて

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馬室埴輪窯跡(埼玉県鴻巣市)

2020年06月16日 | 古代窯跡


名 称:馬室埴輪窯跡(まむろはにわかまあと)
形 態:埴輪窯跡
時 期:古墳時代中期~後期(5世紀後半~6世紀末)
指 定:埼玉県指定史跡(名称:馬室埴輪窯跡 昭和9年(1934)3月31日指定)
所在地:埼玉県鴻巣市原馬室2915

馬室埴輪窯跡は、鴻巣市南西端、荒川に臨む河岸段丘に作られた古墳時代後期の半地下式無段登窯
群遺跡で、10基以上の埴輪窯跡が確認されている。発掘調査後は保存のため埋め戻されています。




馬室埴輪窯跡全景
窯跡の背後から右側にかけては「馬室キャンプ体験広場」となっている




「埼玉県指定史跡 埴輪窯跡  昭和九年三月三十一日指定 鴻巣市教育委員会」の標柱




「史蹟 馬室村埴輪窯址」の石碑
馬室村(まむろむら)は、埼玉県北足立郡にあった村。現在の鴻巣市南西部にあたる。
昭和29年(1954)に鴻巣町・箕田村・田間宮村・笠原村と合併して鴻巣町となり消滅。




馬室埴輪窯跡 南側から




馬室埴輪窯跡 北側から




「埼玉県指定史跡 馬室埴輪窯跡」説明板

埼玉県指定史跡    馬 室 埴 輪 窯 跡
                               時代 古墳時代後期
 古墳に埴輪を立て並べる風習は、古墳文化の中心地であった関西地方で生まれ、4~6世紀の
約300年間にわたって北海道を除く全国各地で盛んに行われました。
 埴輪には、円筒形、人物形、動物形、家形などたくさんの種類がありますが、その焼き方には
大きく二つの方法があります。一つは、地面に浅い穴を掘って焚き火のように焼く野焼きで、日
本では縄文土器が出現して以来の伝統的な技法です。もう一つは、馬室窯跡のように台地の斜面
などを利用し、本格的なのぼり窯で焼く方法です。後者は5世紀の中頃に、朝鮮半島からわが国
に伝わった新しい技術で、それが埴輪生産に導入されたものです。この窯を使って焼く方法は、
一度に多量の良質な埴輪を焼くにはとても有効で、6世紀台に入ると関東地方でも広く普及しま
した。
 馬室埴輪窯跡は、昭和7年に初めて正式な発掘調査が行われ、古墳時代の埴輪生産の様子を知
る上でとても貴重であることから、昭和9年に県指定史跡に指定されています。
 現在までに、保存地区周辺には10基以上の埴輪窯跡が確認され、台地上には埴輪工人(製作者)
たちの集落も発見されています。このことから、工人集団のくらしを知る上でも大変重要な遺跡
です。
 ここで生産された埴輪は、箕田古墳群をはじめとして、荒川流域の古墳へ運ばれていたものと
考えられていますが、埴輪を焼いていた期間は5世紀後半~6世紀末までの約120年間であった
ものと思われます。
 平成4年3月
                       埼玉県教育委員会・鴻巣市教育委員会





窯跡分布図  赤枠で囲った部分が保存されている




埴輪窯跡平面図(保存区)  
指の形をした部分が窯跡で現場においてはオレンジ色のコンクリートで固めてある部分




埴輪生産の復元図

散策日:令和2年(2020)5月28日(木)