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好きな音楽のこと、あれこれ。その他諸々もあり。

呉國敬

2005年02月19日 04時20分28秒 | 
 今や香港歌壇に確固たる地位を持つ作曲家の呉國敬(エディ・ン)。彼は元々歌手だった。しかも、数々のスターを生んだ新人歌手コンテスト、新秀歌唱比賽で蘇永康と同期。入賞こそしなかったが、そこそこ可愛いルックスだったこともあって(当時)、売れたのは蘇永康より早かった。グループサウンズ系のロックンロールを得意としたが、もちろん香港ポップスバラードも歌える。倫永亮作曲の「我説過要イ尓快樂」はその頃の代表作(後に趙學而がカバーした時、ゲストボーカルで参加している)。早い時期から作曲はぼちぼちやっていたようで、自分の作品には使っていた。本格的に他の歌手に提供するようになったのは、自分の歌が売れなくなってから^^; といっても安易な転身ではなく、みっちり作曲を勉強し直してからだそうだ。  鄭秀文や許志安に提供した曲が売れて作曲家として認められ始めたが、作曲の印税で食べていける!程になったのは、なんといっても「越吻越傷心」の大ヒットだろう。この1曲で、彼は完全にヒットメーカーの一人になってしまった。蘇永康とのコンビはこれが初めてと思われがちだが、実は93年のアルバム「生命色彩」収録の「無心的約會」を提供していた。後の作品と聞き比べると、“エディ節”ともいえるメロディの特徴が垣間見える。(わりと同じ音、同じ組み合わせが続く)  聞いた話だが、彼は競馬が得意で(!)そっち方面でもそこそこ儲けているらしい(趣味と実益を兼ねている?)。副収入があることで落ち着いて作曲に取り組めるのかも^^; 途切れずに依頼があるということは、安定した力があるんだろうか。  いわゆる「○○&Friends」的なライブは何度かやっていたが、03年6月、初めて香港コロシアムで「個唱」ソロコンサートを開いた。(実際は次々ゲストが出てきて、&Friendsとあまり変わらなかったのだが^^;)いよいよ最後の曲では感極まって涙していた。ちなみに、蘇永康・張衛健・許志安・梁漢文の4人は仲良しグループで、蘇永康ファンは勝手に「4兄弟」と呼んでいるのだが、呉國敬も入れて「5兄弟」と呼ぶこともある。
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