AKB48の旅

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動的平衡と襲名

2013年05月30日 | AKB
「襲名」という概念が、様式美と深く結びつくものである以上、そこには予定調和が内包されることになるということを以前書いたような気がするけど、「襲名」というものを、「動的平衡」という、複雑系的な概念として考えるなら、短期的にはともかくとして、中長期的には、未来の予測はできない、つまりは予定調和の概念とは相容れないことになる。

考えてみれば当たり前なわけで、初代と11代目市川海老蔵が、たとえ同じ演目を演じたとしても、それは同一にはなり得ない。様式としての市川海老蔵は引き受けることができたとしても、中の人はもちろんのこと、観客も舞台も建物も時代背景も、何もかも同一ではあり得ない。歌舞伎が存続しているという意味での「予定調和」と、内的実態としての「複雑系」は、それが一見同一のように見えるけど、それは日本社会という特異な環境、高信頼という社会特性と、長期的な利益、全体的な利得を最上位に置くという、共同体意識を前提としての、見かけ上の類似性に過ぎないと考えられる。

なんか呪文のようなことを書いてるけど、要するに「襲名」という概念自体が優れて日本的であるということと、様式美と予定調和は似て非なるものであるという主張なわけで、これってどのくらいの妥当性があるんだろうか。いかにもエラソな物言いで書いてしまってるけど、別にそこに知性の介在は必要ないわけで、これがはくち(をを変換できない)プロット化しても、星新一の「門のある家」になるみたいなこと。まあ呪文は呪文として、そういう意味でも、AKBムーブメントと「襲名」は親和的なんじゃないかということが言いたいわけで。実際に「襲名」が可能かと言えば、それはまた違う議論になるんだろう。

「さよならクロール」のメイキング映像を見てても、上位メンバー達の、濃いキャラと絶妙のポジショニング、そしてそこに生み出され続ける関係性という物語が、とにかく楽しい。たぶんこのメイキングには、台本らしい台本はないはず。けれどもそこに大島さん、渡辺麻さん、高橋さん、小嶋さん、篠田さん、板野さん、そして松井Jさんがいるだけで、ファンであれば楽しめる物語が、自動生成されて行く。少し離れる感触だけど、そこに指原P、柏木さんが絡みつく感じかな。松井Rさんは、見事にぼっち映像が撮られてたけど、こういうポジショニングもありだろう。山本さん、渡辺美さんはこれからかな。以前よりは関係性が構築できつつあるみたい。

この関係性のネットワークは、序列が下がるにつれて弱くなって行くけど、たぶんゼロになることはなくて、べき乗分布でロングテールになってるはず。それがAKB共同体というものの別の表現になり、同時にほぼそのまま、選抜総選挙の序列と共鳴してることになる。類似のことは何度か書いたけど、こうやってない知恵を絞って考えるに付け、このAKBムーブメントの底知れなさが分かろうというもの。

たぶん、「襲名」されていくべき本質とは、個人名とかではなくて、この関係性なんだろうと思う。歌舞伎における様式美というものも、この関係性の形式的な存続ということなんであり、だから「襲名」とは、その実態の一部にして、まさに形式なんだろう。