よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

脳と創造性

2005年08月14日 | No Book, No Life
不安とたいくつによってもたららされる心理的悪影響こそが、現代の管理社会において注意深くケアされ、いやされなければならないとチクセントミハイは主張する。そうしてフロー体験に潤沢に接続されることによって、人はいきいきとした生をいとなむことがでるが、そのいっぽうで、不安とたいくつが全くない状態からは、フロー体験も生まれない。

「脳と創造性」のなかで茂木健一郎は、面白いことを言っている。「退屈するということは、別の言い方をすれば、社会の中で自分の置かれた文脈から一時的に自由になるということである」と。チクセントミハイとは逆に、退屈さに肯定的な意味を与えているのだ。ちょっとしたことだが、彼ならではの見方だと思う。茂木の言う退屈とはいうなればこれは可逆的、能動的退屈である。

社会的文脈から不即不離の距離を保ちながら、オンとオフを自在に行き来する、そんな「文脈オン/オフの往復運動のなかにこそ、人生の愉しみがあり、創造性の秘密がある」と。なるほど、自転車ツーリングとマネジメントに関わる仕事との循環は、文脈オン/オフの往復運動として見てみると違和感はない。

茂木の文章には過剰なレトリックを廃した観察が小気味よく、かつ品のある抑制のもとに展開される。さりげなくも本質をさらっと書き連ねるスタイルが好きだ。レトリックには過剰さはないが、その主張はラディカルだ。ラディカルさの横にそこはかとない文学的ユーモアが流れている。