よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

2013北海道自転車ツーリング④モソホブは、稲穂峠、余市そして小樽へ

2013年08月21日 | 自転車/アウトドア

 <雷電トンネル>

なぜ、自転車に乗るのか?

さて、自転車に乗り始めてもう35年にもたつのだが、今だによくわからないのだ。

ああ、情けない。

①健康増進のため、②安く旅をするため、③自動車やバイクでは速すぎる、④非日常を極めるため、⑤地球環境に対する負荷をなるべく小さくするため・・・。

もはや自転車に乗ること自体が目的化されているので、why?という疑問を投げかけたとたんに勝手な正当化が始まるのだ。

だから、もうこんな無意味な問いややめようと思う。

でも、ついつい人にたずねられたり、苦しい時などは、ついつい、この無意味な問いにハマってしまうのだ。

ま、しょうがないか。

と思いつつも、ちょっとこのあたりのこと考えてみる。

ようは前述したように、「自転車に乗ること自体が目的化」しているということがポイントじゃないのか?

認知心理学のタームをちょこっと借りて言えば、これは、自転車がフロー体験をもたらしてくれるからだ。そして、自転車ツーリングという行為は、sense of coherence (首尾一貫感覚)と達成感を、乗る者に体感させてくれる。

今日は、この地点まで、この峠を越えて、何キロ走って辿りつくという、その日の行為はなるほど、絵に書いたように明確な目的達成的行為(purposive action)だ。

ところが、じゃ、おまえさん、もっと長いスパンではなんのためにチャリで走ってんの?と尋ねられれば、前述したとおり、限りなく、目的を探さなければならない。つまり、目的探索的行為(purposeful action)だ。

自転車に乗って旅をするという事態には、短期的な目的達成(purposive)と長期的な目的探索(purposeful)が、同居しているのだ。

 

<デジタルデバイスと火器類>

さて、昔と今の自転車放浪環境でもっとも異なるのは、上の④非日常を極める、ではなかろうか。なぜ?ガラゲー、スマホ、PCを自転車のバッグの中に携行すれば、どこでも、いつでも、ありとあらゆる情報や知識にアクセスできるからだ。

こうなると、日常も非日常もへったくりもない。こと情報環境に関しては、日常⇔非日常の安直な二項対立は不可能だ。

北海道とはいえ、電波が届く地域では、グーグルマップ、温泉、キャンプ場、安宿、セイコマの位置、旅関係のアプリ・・・・・あらゆる情報にアクセスできるのだ。(その意味で、やはり電波がとどかない知床半島の中央部から先端にかけてはスゴイ所なのだ!)

非日常とはいえ、仕事のメールは容赦なく来るし、それらに対する返事もしなければならない。ということで、病院や企業との共同プロジェクト、講演依頼、大学や海外からの問い合わせ、論文ドラフトをこなしながらシコシコ走るという事態になっているのである。

こりゃ、ちょっとツライな・・・、なんて愚痴ったことがある。

とある知人は、こんなことで愚痴ったり、逡巡するのは「旧世代、オールドジェネレーション」の証拠だと喝破した。

なるほど、それもそうだ!

なので、いちいち逡巡するのはやめて、いつでも、どこでも、仕事とアウトドアが入れ子構造のようになっている「日常」を目いっぱい楽しむのがいいと思うようにしている。

キャンピング道具一式とデジタルデバイスを積んだ自転車は、ノマドの棲家。

これをモソホブと命名する。

モソホブとは、すなわち、MOSOHOB (Mobile Small Office Home Office On Bicycle)である(笑)

                 ***

 <小樽で食べたオムライス>

さて、岩内の道の駅で、休憩していたら、おもむろに、「こんちわ!」と元気のいい声をかけられた。

そのライダー氏は毎年、1人で北海道をめぐっているそうだ。昔なら、ひとしきり道中の情報交換をしたら、「いい旅を!」とでも言って分かれるところだが、今は、「ところでfacebookやってますか?」と尋ねるのが、旅慣れた人のひとつの挨拶。

で、その通りにたずねれば、パッと繋がる。

おお、すげー。

そのライダー氏の足跡を、ダダダーーと共有。

稲穂峠を越えて余市に着く。暑い、暑い。

そのライダー青年から教えてもらった安くてうまい海鮮料理を食べることができるかきざき商店の前には長蛇の行列で諦める。

ああ、残念。

途中、そのライダー青年に国道で呼び止められた。なんと彼は、積丹半島を一周してきたのだ。

ああ、バイクは速い、自転車は遅い・・・。そして、シコシコ小樽まで走ったのだった。

走行距離:130km

(前半終わり)

広範へつづく

 


2013北海道自転車ツーリング③檜山国道を北上、弁慶岬を経て寿都へ

2013年08月21日 | About me

<いたるところに綺麗な海岸が点在する>

風が強かったので、本格的に寝る前に、テントと自転車を無人状態のガッチリした屋根がついている水場に移動しておいたので、まともに風雨を受けることなく安眠。

だが、やたら朝早くから鳴くカラスは、キャンプ場ではいい迷惑だ。臼別川手前の「てっくいランド大成」まで15km。そこから臼別川に沿って内陸に入り、太櫓越峠という標高180mの小さな峠を越える。

今回のコースは標高500m以上の峠はないので、昨年ほどはハードではないが、やはり小さな峠でも足をつくことなく走りたいものだ。

11:00には峠を越えて、途中、商店のおばさんに道を教えてもらい、北檜山町のせたなという小さな集落に辿りつく。そこで、ライダーさんの3人パーティーと立ち話をしていると、この先にはほどんど飯を食べれる場所がないという。

なので、ライダー氏のすすめもあり、ろうそく岩と三本杉岩の近くにある土産物屋件飯屋で早めの昼食を摂ることにする。

<ホッケ定食>

瀬棚の海岸線は断崖が迫っている。なので、蝦夷親不知なんていう地名もあるくらいだ。急峻な崖が海岸線で落ちているので、必然的にこの区間の檜山国道は、トンネルの連続だ。

車がほとんど通らない上に、トンネルの中はひんやりと空気が冷えていて、とても気持ちがいい。トンネルの外は34度位だが、トンネルの中は25度くらいだ。暑い日中だが、江の島海岸まではとても気持ち良く快走。

ルートはやがて寿都の手前の弁慶岬に差し掛かる。弁慶岬のはるか向こうには積丹半島の稜線が見えている。

 このあたりの風は強烈だ。ほうほうのていで岬につくと、な・なんと、そこには武蔵坊弁慶のデカイ像が立っている。

なに?これ?

義経・弁慶伝説のひとつの舞台なのである。

数年前に、札幌から小樽をへて積丹半島を一周して、寿都にきたことがあった。そのときの寿都の風も強烈だったが、この日の風もまた強烈の一言。

ここで親切なドライバーの女性と会う。風に辟易としながらも岬を立って走り始めた僕の横に車をつけて、「この先、風が強いので、どうぞお気をつけてね!」と。

ああ、うれしい。

寿都は風の町だ。この日も、逆側の長万部方面から強い風が吹きすさび、寿都の沖合は三角波で泡立つよう。

やれやれと、5時過ぎにやっと着いたのは、寿都温泉ゆべつの湯。強い日光、雨、風・・・。この日の天候は変化の連続。けっこう脚に来てしまった。

温泉のおばさんに頼んで、バンガローの横にある「漁師の店」の裏手にテントを張らせてもらうことに。

ありがたや!

これで今日の宿代はタダ。

北海道有数の泉質を誇るという温泉につかり、疲れを癒す。

テントにもどり、あとは爆睡。

走行距離:120km

つづき


2013北海道自転車ツーリング②松前から平田内へ

2013年08月21日 | 自転車/アウトドア

<松前城>

テント泊は落ち着く。

5:00に起きて、テントをそそくさと撤収。件の軽バンのキャンパー氏に昨夜のお礼を言ってから松前市内をポタリング。

ところで、今回もリアに75リットルの大型パニアバッグを装備。

これが、なかなかのスグレモノなので毎年使っている。以前は、昔風のホロの4サイドバッグをつけていたが、4サイドでもせいぜい収納できるのは全部で50リットルくらい。

それに比べれば、リアだけで75リットル収容できるオーストリッチ製の特大パニアの格納性能は高い。内側には雨よけのシートもあり、防水性能にも優れている。

後方のポケットの使い勝手が以外にいい。北海道ではゴミは、基本、自分で持ち帰って自分で処理する。そのゴミを一時的にプラスチックバッグにくるんでしまって置いたり、飲みかけのドリンクなどを格納しておくなど、思いのほか多様な用途に使えるのだ。

でも、リアが重くなり、フロントが軽くなるのはしょうがない。でもリアにテント、シュラフ、火器、食料、衣類のすべてをコンパクトに収納できるということは、リアルな用途で非常に優る。

だから、リア重は、リア充なのだ(笑)

 

<松前神社>

約540年前アイヌのコシャマイン一族が反日蜂起をして自治・独立を保とうとした矢先、武田信広がこれを力ずくで平定したそうだ。

その武勲によって豊臣秀吉から下付された桐の彫刻、太刀などが保管されているという。松前神社は蝦夷地支配の暗黙的なシンボルの影がつきまとっているような印象を覚える。

昨年15年ぶりに新調したゴアテックスの雨具をパニアバッグの上に括りつける。

サドルは13年間乗り続けているブルプロの大銅鋲。

この角度から見上げるランドナーもいい。

前線の影響で、曇っては、ちょっと晴れ、そして急にザーッと雨が降るという落ち着かない天気のなか、ゴアの雨具は、精神衛生にもよい。

 曇りがちな天気だが、それもまたよし。江差までの海岸線に沿って松前国道(追分ソーランライン)は北へと向かう。北海道とはいえ、どこか東北地方の気配がそこかしこに漂う。オホーツクや天塩あたりの日本海側とは、また異なった趣に満ちている。

とまれ、車の通行が極端に少なく、じつに快適な走りである。

<開陽丸>

幕末の歴史をテクノロジーの視点で俯瞰することに、数年まえから興味を温めている。アラブ・イスラームの遺産を継承した『17世紀科学革命』が西洋に勃興して、ヨーロッパの科学技術がその他の世界の科学技術を圧倒するようになった。

戦艦は、圧倒的な技術の象徴で、白人(ヨーロッパ民族)の優秀性を示すとともに、非白人から見れば羨望の的。

だから、欧州勢力に大金を払って、徳川幕府や明治新政府は西洋式の軍艦と操艦術の移植、体得に余念がなかった。

慶応4年(1868年)旧幕府軍は松前城を奪取した後、江差へ進軍した。それに合わせて、開陽丸は箱館を出港して江差沖へ向かった。江差沖に到着すると、松前兵はすでにもぬけの殻で撤退していた。榎本武揚はまんまと江差を無血占領することとなる。

ところが、天候が急変し、開陽丸は、土地特有の風浪(地元ではタバ風というそうな)に流されて座礁、沈没してしまった。万事休す。兵站の軽視、作戦行動と作戦行動の合間の停泊オペレーション・マネジメントの欠如は、後の戦艦三笠の沈没に繋がっているような気がしてならない。。

もっと周到に天候を予測し、リスクマネジメントを徹底していたら、もう少しマシな「蝦夷共和国」が成立していたのかも知れない?

はらも減ったので、ニシン丼を食べる。美味なり。

 <姥神大神宮>

神社でいただいたいわれ書によると、「江差に住んでいた老夫婦が食べるものがなく困っていると、神のお告げがあった。これに従って舟楫で海をかき回すと、白波が盛り上がってニシンの群来を得た。老翁を祀ったのが鴎島(神威尻)の恵比須堂で、老婆を祀ったのが姥神大神宮であるとする」そうな。

老夫婦がアイヌだったという説も根強い。真相はわからないが、多分、アイヌの説話、伝承が神社信仰と集合したのではないか?いずれにせよ、ニシン漁や檜などの交易で富が集中した江差の為政者は、統治のひとつの精神的象徴として、このカミ様を持ちだしたという側面も否定できないだろう。

この神社の際立った特徴は、おまつりするカミサマが、上記の説話にのみ由来し、出雲、大和系など本州古来のカミでもなく、実在の人物でもない点だ。無節操といってしまえばそれまでだが、よく言ってもアニミズム的融通無碍か。

そしてその姥神様をお祭りする姥神大神宮渡御祭は過疎の影響で衰微しているとはいえ、今尚、隆盛を維持している。

 

平田内のキャンプ場。

なんとキャンプ料金1000円もとられた!ふざけるな。

走行距離:100km

つづき