よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

森での生活は森との戦いだ

2006年08月20日 | 自転車/アウトドア
仕事と自転車、山登りなどを組み合わせて北海道に2週連続で行った。本来なら間の1週間を自転車ツーリングにあてて、北海道づけといきたかったが、ファイナンスと重なったので、それもできず、北海道を2回行ったり来たり。

やっと、ひとまとまりのファイナンスがらみの仕事をやり終えたので、盆の休暇を兼ねて週末は清里の森の山小屋へ。山小屋といっても米国製のトレーラーハウスを森の中の敷地に置いただけの粗末なものだが、衣食住の3要素の確保は必要にして十分。テントで寝泊りするアウトドアの延長線でしつらえた小屋なので、食事を作り、食べ、近隣の温泉に浸かってごろんと寝るだけというシンプルライフの拠点。

森の木漏れ日あふれるテラスで、ネットにつなげたパソコンを使って優雅に本の原稿を書くこともあるにはある。でも去年は母親が病気で倒れたこと、仕事で忙しかったことと、時間のある時はもっぱらサイクリングをしていたことが重なり、この小屋での滞在はなし。

ああ、もったいない!
森の生活はどこへ行った?

ネーチャー・ライティング志向がいくぶんある読書人はヘンリー・D・ソローの「ウォールデン森の生活」などに淡い憧れを持って森を訪れるという。ソローの本を片手に遠くに思いながら、森と思弁的、仮想的につきあうのもよい。ただし、実際の森とのつきあいは、存外、肉体的、具体的である。肉体的、具体的に森と向き合うのはけっこうしんどいこともある。

山小屋の屋根掃除がそれだ。

その小屋で、5年ぶりくらいに屋根の掃除をした。そして驚嘆すべき出来事に遭遇。広葉樹の落ち葉が屋根にたまり、5回くらい季節のめぐりの洗礼を受けて、落ちたまった葉の集積は、なんと屋根の上でこってりと黒々とした「土」になっていたのだ。

街中の家では、屋根の上に土が溜まるなんて、ありゃしない。広葉樹林の森のなかの屋根だからこそ起きる現象。その腐葉土に根を張った木の実からは、茎がのびて、葉さえも茂らせている。森は人造物をゆっくりとだが静かに侵食して「森」に戻そうとしているのか?森に侵入してきた人工に対するささやかな反撃なのか?

いずれにせよ、森にはパワーがある。森林浴などは、今風に言えば癒し系パワーの活用なのだろうが、森は、身勝手な森への侵食者に対しては、無言ながらも容赦のない静謐な反撃に余念がない。森での生活は、森との戦いでもある。