よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

言語のテロリスト

2005年07月14日 | よもやま話、雑談
言語を獲得するとはいったいどういうことなのか?
ダイニングルームの出窓のところで今日も
のんびり水にひたっているポンタを眺めていると
福岡でグレードアップラボでの雑談がふと頭をよぎる。

ポンタは二歳になるスッポンで、水槽の底のほうで
いつも転寝をしているか、ものを食べているか、
そうでもなければたまに水面へ出て来て息を吸うくらい。

たぶんスッポンのポンタには言語はないはずだ。
でもポンタを眺める飼い主は人間だから言語がある。
言語の有無は水槽のガラスを隔ててとてつもなく
大きなものだ。

さて、言語を習得すればするほど、世界が見えてくる。
いろいろな解釈、意味づけをすることができる。
世界に奥行き、深みが出てくる。

世界が世界としてそこに客観的にあるのではなく
言語をとおして構築される。
言語によって世界にリアリティーがあたえられる。

わくわく、どいどき、楽しい言語を獲得すれば
世界はきらめく。

じめっとした、暗い言語を獲得すれば
世界は陰鬱になるだろう。

会計言語のみに依存すれば、世界は損益、
資産、負債、資本、そしてキャッシュフロー
に見えるだろう。

英語だけにたよるなら、「朝日に香る山桜花・・・」
は理解しがたいだろうし、日本語だけならば、
dialogはわからないだろう。

語彙が増えれば増えるほど、世界に対する構え、
世界に対する見方のノリシロ、幅、奥行きも
膨らむ。

言語によって世界は膨らむが、また言語によって
膨らみすぎた過激に豊穣な意味世界には亀裂も生じ、
分断もされる。

水槽の内と外。
市民の言語とテロリストの言語。
言語獲得とはあやうい行為である。