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散歩日記X

札幌を中心に活動しています。食べ歩き・飲み歩き・ギャラリー巡り・読書の記録など

迷うこと2題

2009年10月12日 21時26分11秒 | Weblog
「迷うこと1」
グインサーガの129巻が出たのだが、どうやら最終巻らしい。また1巻から読み直して、最終巻まで行くべきだろうか。

→20091015追記。
 12月に出る130巻(途中中断らしい)が最終巻の予定。
 それに向けて、現在1巻から再読中。

「迷うこと2」
今月、出張で東京に行く予定。仕事日が金曜日のため、土曜日が一日自由になる(日曜日もなるのだが、休みたいので帰る)。さてそこで、何の展覧会を見るべきかということだ。一応、以下の3か所の方向ではある。

東京国立博物館「皇室の名宝−日本美の華」…若冲は見ているけど、狩野永徳・狩野常信筆の「唐獅子図屏風」もでるのだ。
Bunkamuraザ・ミュージアム「ベルギー幻想美術館」…レオン・フレデリック、クノップフが見たい。
山種美術館「速水御舟展」…有名どころで、私が見たことのない作品と言えば「炎舞」なのである。ぜひ見たいのだ。

20091012ギャラリー巡り

2009年10月12日 14時50分18秒 | ART

本日は彫刻美術館→アトリエムラ→ギャラリー創→琴似メトロギャラリーの4か所。

■札幌彫刻美術館「江口週彫刻展」。2年に一度の本郷新賞を受賞した作家の展覧会だ。正直なところを書くと、どうにも彫刻というよりは、木を組み合わせたものが置いてあるようにしか見えなかった。想像力不足を反省すべきかな?

本郷新賞受賞作「時を漕ぐ舟」も、長さが10メートル超という本物を見れば感慨があるかもしれないが、50センチ程のエスキースでは「舟」に見えない。

■アトリエムラ「Boys美Ambitious!」。前回の女性作家を集めた展覧会に対し、今回は男性6名の展覧会。

大橋博「seesaw game」:回転するシーソー状の板に、頭はペンギン、胴体に半眼の人の顔を浮き上がらせた人形が10体載っている。バランスを少しずらすと、かなりの勢いで縦に1回転してしまう、ちょっと怖い作品だ。回転する際、人形は磁石で張りついているので、もちろん落下はしない。

小市亮二「777-ふたり-」:表情が無く、体つきにもあまり性差が無い夫婦の人形。頭同士がもやもやしたもので、くっついている。通じあいながら、意志のずれがそこにはあるようだ。

平山好哉「煙煙の日日」:煙草の吸殻を天井から床までつなげて下げた作品。実は吸殻は偽物であるのだが、あたかも吸ったことを記録するかのように、吸い終えた時刻が書いてある。床には鏡が置いてあるため、さらにその列は延々とつながっているかのようだ。チェーンスモーカーにはわかるかと思うが、煙草の姿を借りた時間と意識の流れを表現したものであろう。

以上、北海道外の3人の作品に目が行った。

長距離散歩

2009年10月12日 12時40分38秒 | 食べ歩き
本日は山の手→宮の森→円山→山鼻→すすきの→大通と歩く。途中、中華料理店「Y」にて昼食。迷った末に、雲呑つゆそばというのに、春巻(2本)をつけた。ポットで中国茶が出て、まず春巻が到着。



外側パリッとしており、特に調味料をつけずともちょうど良い味付け。海老は完全に火が通らないように仕上げているのだろうか。

続いて、雲呑つゆそばが到着。色からして塩味の模様。麺は札幌ラーメンの麺とは異なるが、つるつるでソフトな中にもしっかりした歯ごたえ。つゆは…、ものすごく熱くて味がわからん。ほうれん草等の具が唇について、火傷しそうだ。しばらくは麺を食べながら、スープを冷まそう。



具は小ぶりではあるが雲呑は10個は入っていたかな。他にほうれん草、もやし、白ネギ、写真では見えないが海老が3個。少し温度が下がるにつれ、物足りないと思っていた味付けがちょうど良いことが判明する。もう一口、もう一口と手が伸びてしまうスープだ。

かなり量は多めで満腹になった。他の客に来ている料理の量を見ても、中華料理は一人で食べるにあらず、という感じであった。

20091012最近読んだ本

2009年10月12日 10時47分11秒 | 読書
以下、図書館の6冊。
■「偽装管理職」東京管理職ユニオン監修
辛くなると理不尽な行為が発生する。常に後ろめたくないか、わが事を振り返る気持が欲しい。

■「無敵のトルコ」まのとのま
トルコは料理も美味しそうだし、独特の良さを感じる。治安がどうかは良く知らない。

■「BUNDANBAR」鈴木光司、花村萬月、馳星周、姫野カオルコ
ラジオ番組を再構成した本。うっかり借りてしまったものの、小説家として好きな人が入っていない(ぎりぎり姫野くらい?)。

■「食事作法の常識」小倉朋子
概ね正しいことを言っていると思うのだが、時々妙なことが書いてある。焼鳥の1切れを片側づつ食べるのは、食事作法として正しくても、焼鳥屋の作法としてはずれていることを分っていない。

作法というものは時代によって変わるものだと思う。それはルーズ化を許してよいという意味ではなく、食品の種類や形状、食べるシーンが変わることによって作法も変わりうるものだと思うからだ。いずれにせよ、合理的な観点から迷信のような作法は再検討すべきだと思う。それを頑迷に守るのは作法ではない。

■「外交官の舌と胃袋」西村ミツル
ベトナム日本大使公邸の料理人にして、マンガ「大使閣下の料理人」の原作者。話は面白いが、一部外務官僚のカスっぷりが分る。

■「キリンの流儀」猪口修道
細かくは書けないのだろうが、営業スタイルを変えるには本当はすごい議論と戦略の見直しがあったはずだと思う。そこがさりげなく書かれ過ぎなので、薄い。