ばばちゃんのおっちゃんの日本語の先生への道

日本語の先生になろうと一念発起いたしました。

その59 検定試験

2016-08-01 03:28:38 | 6.私の感想・考え
検定試験
 なかなか、その気になれなくて、受験勉強に取り組むことができませんでした。多少遅きに失した感が有りますが、やっと、行動が伴ってきました。

 講師に、相談致しますと、一冊で間に合う本が有りますよ、というアドバイスがあり、その言葉に従って、「これ一冊でOK」と謳った本を手に入れました。
 養成講座受講中の人も、一度試験に失敗した人も、どのレベルの受験者でも、10月の試験に備えて、7月から始めなさいとアドバイスしています。
 少し、遅くなりましたが、まだ、何となく、間に合いそうな気がして、安心しました。

 試験の傾向、私の実力を測るため、すなわち、現状把握のために、とにかく問題を熟そうと、取組んでいますが、ばかばかしさがこみ上げてきます。

 過去の学者の名前を問うている問題が有りますが、彼の説は大切かもしれませんが、名前がなぜ必要なのでしょうか。学者同士で議論するときは必要になるかもしれませんが、一般の日本語教師、一般の学習者にとりまして、必要とはとても考えられません。(隅々まで勉強している人には、点数のオマケになるでしょうが、私のような考えの人間には、難問になります。名前を覚える気なんて、全くありません。)

 また学者にしかわからないような、また学者しか使わないような専門用語を羅列した、設問が有りますが、質問者の博学ぶりをひけらかす役には立っても、それが日本語教師の教育に寄与するとは、とても考えられません。

 ノン・ネイティブの日本語教師志望者も同じ試験を受けるのでしょう。出題者は、ノン・ネイティブにとって、カタカナ語が難しいのを承知の上で、設問に多用しています。ノンネイティブの方にとっては、非常に気の毒ですね。
 ネイティブにも訳の分からないような難解な設問、文章を、ノン・ネイティブにぶっつけてどうしようというのでしょうか。彼らは、失望し、がっかりこそすれ、学習意欲がわいてくるなどということは、まったく、起こりっこないでしょう。

 重箱の隅っこを穿るような日本語学の学者先生を志望する方には、別のコースを考えて、しっかりと、いじめてやってください。
 しかし、「素早く日本語らしい日本語を操れる」ようになって欲しいと考えるネイティブ、ノン・ネイティブ日本語教師志望の方には、もっと、希望を与え、元気の出るような試験にしてやって欲しい。

 私には、他の国家試験や、資格試験と同じく、学者崩れ、役人崩れの飛んでもない人間の悪業としか考えられません。

 試験の目的に、「基礎的な水準」に達しているか検定するとあります。私には、程遠い設問が、沢山あり過ぎると考えます。


(追記)
 どなたがどこで述べられた言葉か忘れましたが、「日本語能力試験(JLPT)のN3~N5については、重箱の隅を穿るような出題はしない」と、宣言されていました。私にとりましては、「何を今さら」という感じですが、裏を返せば、意識的に重箱の隅を穿る様な出題をしてきた。対象以外のクラスは、今後も続けていきますとの宣言です。対象の学習者にとりましては、もしかすると、学習の方向性が是正されたかも知れません。





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