早いようで長かった半年でした。
ってか、精一杯で来てる感じ・・・。
2011年3月11日14時46分18秒 ■東日本大震災■
■生まれて初めての非難所生活
非難所生活といっても一日だけで、子供お年寄りがたくさん非難しているので親戚に子供を預け、私とかぁさんはマンションに戻った。しかし、家の中はめちゃくちゃで居場所もない状態。
土足でマンションに上がり、あるものをかき分け寝る場所を作ったっけ・・・。
真っ暗の中でラジオと懐中電灯の明かりだけ。
ライフライン切れているので電気・ガス・水道使えず。
携帯電話も、全く役に立たず。
携帯電話って震災後すぐに回線制限がかかる。しかも、電気あっての携帯電話であって、UPSもすぐに切れてしまったようでパケット通信もできない。いざとなったら携帯・インターネットは本当に役に立たないという事がよくわかった。
水が出ないので、飲み水の確保が肝要。
排せつもあるので雑水も大量に必要。
電気・ガス途絶えているので冬の場合、暖を取るすべは備えておかなければならい。
この事を頭の片隅において防災意識を持ったらいいと思います。
[Pray for Japan東日本大震災] 威風堂々/平原綾香 Pomp and Circumstance
そんな状態から、全国からのご支援でようやく内陸部では平穏な生活が戻りつつあります。
でも、まだ油断しないようにしなければならないです。
いつ何時、大きな揺れが襲ってくるかも。
今しばらく、それを想定して生活しないとね・・・(-"-;A ...アセアセ
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日本では放送できない 報道できない 震災の裏側
この動画は、ひどい所を切り取った画だけど、うちの社員の10人位は震災数日後からずっと沿岸部に常駐しライフラインの回復に奔走していたんですよ。あちこちに震災被害者が埋もれており、そこには旗が立てられ、水溜まっている所には近づかないように警察から言われたそうです(被災者がたくさん眠っている)こんな状態で復旧を進めていたんだと改めて知り、自分の備忘として載せます。
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