いろいろな出来事

日々の出来事や気が付いた事など徒然に書いている双子の父です。
思った事等を思いつきで書いています。

3月11日・・・

2018年03月11日 | 東日本大地震
今日は東日本大震災から七度目の3月11日です。
まだ7年という思いと、もうという思いが交錯しています。



おばさんが仮設住宅に住んでいましたが、復興住宅へ移りました。
仮設住宅の跡地は更地になっています。

7年目を迎えるにあたり、灯油、ガソリンは給油しました。
食料は昨日買い出しをしました。
備蓄の飲料水は入れ替えをしました。
備えないと心が落ち着きません。


午前中、近所に設置された「東日本大震災7年目献花場」にかぁさんと行ってきました。
震災時の出来事が今も脳裏に刻まれています
緊張は今も続いてます。





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振り返り・・・東日本大震災

2017年06月27日 | 東日本大地震
あの時は、って同僚と車の中で「東日本大震災」の時を話し合った。




とあるスーパーの前を通ったとき。

私「このスーパーには助かった。直後、コンビニやスーパーは数量制限していて必需品の購買もままならなかった」
私「そんな中、このスーパーは制限なしで販売していてくれて、本当に助かった」

一人3個までって制限が多かった。
2時間並んでパン1個、チョコ1個、ジュース1本でおしまい。

同僚「えー、そんな店あったの?全然知らなかった!」

私「んとね、この類の情報はネットには出ないことが多かった。だって載せたら自分の買う分が無くなるかもしれないからじゃないかな?」

・どこどこの店で野菜売ってる。
・どこのスタンドで明日ガソリン売る
・どこのコンビニが開く等

こんな重要情報はSNS(ツイッター、MIXI、ブログ等)にはほとんど載ってこない。
私感だけど載ってくるのは、震災の被害状況や放射能の事で,
販売関係の事は本当に情報が少なかった。
私が思うに、自分で購買するため、他の人に知らせて無くなったら?という思考があるのかも?
他人に教えて自分の欲しいもの買えないという状況にはなりたくない。

この出てこない情報が入るソースは、口伝えでした。
近所のネットワークってディープな情報が伝わってくるんですよ。
ネットは手軽だけど、その中から必要な情報がなかなかつかめない。
デマや誤報率が非常に高かった。

日頃からの近所付き合いが大事だなと当時思った。
今もそのことは大事だと思っています。




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東日本大震災から6年・・・。

2017年03月11日 | 東日本大地震
もう、6年も経ったかと思ったり、まだ6年しか経たないかとも思います。

2011年3月11日は心に刻み込まれた日付です。




14時46分
会社のタイムレコーダーは2分位動いていたか。



当日の夜はマンションがめちゃくちゃで避難所で過ごした。
頻繁に余震が発生し何度も緊急地震速報が流れた。



マンションのリビング



多賀城市あたり



荒浜あたり


今も我が家では地震に対する備えを続けてます。
いつ何時やってくるかわからない災害。
普段の備えが大事です。



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久しぶりの大地震・・・。

2016年11月22日 | 東日本大地震
東日本大震災余震と言われる地震が今朝来ました。
5時59分 目が覚めていて起きようとした矢先でした。
仙台の震度4。

揺れはさほどに大きくなかったけど、その後に津波警報(福島)がでたのには驚いた。
マグニチュード7.3  かなり大きい地震だ。
宮城も津波が襲来し、波の大きさで修正は入ったのか3mの津波予報で注意報から警報に切り替わった。
結構緊張しました。津波は1.4mの高さでした。
それでも、かなりの高さだ。

当時の記憶は薄れて来ているけど、当時の記憶がよみがえってきました。
やっぱ備えておかないと。と、改めて思った。



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非常食の管理

2016年05月06日 | 東日本大地震
東日本大震災の後、関連業者さんや自治体から頂いた非常食があります。
その中で乾パン、缶ケーキの賞味期限が切れてしまったので整理しました。



食べられると思うのですが(実際食べた)
製造から4年位経過しているので残りはもったいないと思うけど整理しました。

補充はしません。
と、言うのも東日本大震災時に我が家では乾パンなどの非常食は食べなかったから。
乾パンは、もしもの時に備えて保存し、食べられるものを食べて1週間以上しのげることが分かったからです。
避難所では、そうもいかないのでしょうが・・・。

大災害の際は電気・水道・ガスが止まり、スーパー・コンビニも電気来ないので閉店状態でした。

我が家では真冬でも1か月位しのげる燃料と石油ストーブを備えています。
食料は2週間位は持つ量が常時あります。
問題の水ですが、備蓄で飲用水を一人一日2L換算で10日間分。
その他に洗い物やトイレ用の水を50L
カセットコンロ2個、ボンベ10本。
乾電池単三、単四を40本。
ガソリン携行缶を2缶。20L備蓄。
移動用に自転車とスクーター。
小銭4万位家庭に保管。


これを東日本大震災後続けてます。
無いと思うけど、あったら大変。
そう思い家族を守るため今も続けているんですよ。
参考にする方はいろいろなシーンを想定し、各自で備えてみてください。




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解体中・・・

2016年04月24日 | 東日本大地震
近所にある旧宮城野区図書館・市営住宅・休日診療所が解体中です。
東仙台のNHKアンテナのすぐそばにあります。



先の東日本大震災で大きな損傷を受け解体中です。
この建物には何度も行ったものでした。
宮城野区図書館に本を借りに行ったり、休日の救急診療所にもなっておりお世話にもなりました。
古くは仙台市東支所で書類の発行のお世話にもなってました。

そんな訳で思い出の多い建物がまた一つなくなっていくのは悲しいことです。



【Googleよりお借りしました。】





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宮城県 南三陸町にて

2016年01月04日 | 東日本大地震
年始に私の実家へ帰省してきました。
親父が昨年他界し、コタツのいつもの場所に親父がいないのが不思議です。

2日、おふくろに飯食べに外出ようか?と言ったところ、南三陸町のホテル観洋で食事したいというのでぶらっと出てみました。
向かったのはおふくろと、私の家族、妹とその子供の計8人。

ホテル観洋は南三陸の岸壁の上にあり津波の被害を免れました。
津波が20m以上もあったとの事ですが建屋は被害を受けなかったそうです。

その後、震災の復興の際の作業員の宿舎として貸し出され、大変助かったと聞いています。

観洋から南三陸町中心部を望む



街の中心部は整地され、8mもの高さの防潮堤が築造の最中です。

さて、食事は海鮮の料理がメニューに広がっています。
私が食べたのは南三陸丼の竹
写真はないけど、盛の種類も多く満腹。

おふくろはずっと観洋で食事をしたかったと言ってました。
そういえば食べたのは10年ぶり位かも。

満足そうなおふくろの笑顔に、私も安心した。






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南三陸町志津川

2015年08月15日 | 東日本大地震
田舎に帰省していたので足をのばし隣町の南三陸町志津川へ行ってきました。

志津川は中学の頃からの慣れ親しんだ所です。
なにせ、中学の頃は自転車で片道25キロ掛けて毎月釣りに行くのが目標だったからね。
この志津川に20mを超える津波が押し寄せました。
先の東日本大震災です。

その志津川も少ずつ復興しています。

よくTVに移る防災対策庁舎。
ここも、来るたびに周りが変わってきています。
今回行った時は、土地のかさ上げが進み、周りは山のように大きな堤防(?)が築きつつあります。





旧市街地が10m位かさ上げされるので防災対策庁舎が山に囲まれています。
この度、この防災対策庁舎の管理が南三陸町から宮城県に移管され残されることになりました。
この庁舎の残し方が今後の課題ですね。


その後、10年位前に行った海水浴場も見てきました。
荒島って島があるのですがここの磯に作った海水浴場。

過去の日記

東日本大震災の1年半前に行ってきた日記です。





最後に南三陸町「南三陸さんさん商店街」行ってきました。



お昼はここで食べたけど、すごい人の数でした。
列作って並んでいるので、ここで食べるのはちゅうちょしたけど、やっぱここで食べないとね。

食べたのは9人で行ってそれぞれ・・・。


私食べたのは天ぷらそばと、骨付きウィンナー、ホタテ焼きです。

海の幸食べて、まぁ満足です。

あぁ・・・盆休みは明日が最終日だ。
(-_-;)





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伯母さんの引っ越し 応急仮設住宅から復興住宅へ

2015年05月10日 | 東日本大地震

今日は伯母さんの引っ越しでしたので手伝いに行ってきました。
東日本大震災で住宅が大規模半壊になり応急仮設住宅へ移り住んでいました。
とりあえず生活の為の家財はあるんどあるのですがプレハブ住宅で夏暑い、冬寒い。
隙間風があるのでプレハブの板の継ぎ目にはテープで目張りしている。
そんな応急仮設住宅でした。








この応急仮設住宅は、かなりの方がすでに引っ越ししているとの事。
夜になるとほんと、さびし(怖い)かったと言っていました。
3年半ここで生活してたんだね。
今度の復興住宅は40所帯位の鉄筋コンクリート。
1Fなので買い物も便利。

大規模半壊になった前に住んでいた住宅のすぐ近所なので知り合いもいます。
今日一日新居に荷物持ち込んで片付けしましたが、まだまだ進まず・・・。


来週また行ってみる予定です。



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東日本大震災から4年経過・・・。

2015年03月11日 | 東日本大地震
多くのブロガーが書いているけど東日本大震災から4年経過しました。
ここまでは本当につらい日々でした。

何といっても子育てしながらの震災なので子供に辛い思いをさせてはいけないとかなり気をつかってきました。
子供が少年野球、中学で野球していたときにグランドが無くなった。
大好きで一生懸命やっていた野球のグランドが津波で壊滅状態。
その後は震災での廃材の置き場になり、その後は仮設住宅へとなってしまいグランドが本当になくなりました。


震災直後は停電になり、店のセキュリティが停止しているので閉店状態。
震災後3日間くらいはシャッターが下りたまま。
その後所々で営業開始したけど、レジが使えないので店内に入れませんでした。現金のみで一人3個までという制限が掛ってました。
2~3時間並んで3個しか買えない、これには参った。



ガソリンはあっという間に無くなった。
ガソリンの購入はあのGSが明日ガソリン入荷するという情報を仕入れて並ぶ状態。
入荷する事のないGS並んでいる者も多数あり。

いつもGSにガソリンがあるわけでないです。
入荷する前日の夕方から並んだりしてました。
それでも購入できるのは一人15Lまでという制限が付いてました。
半日以上列に並んで15L。
待っているときに寒いのでアイドリングしている人もいたけど、15L買うのに数L消費している人も多数あり。
3月なので氷点下まで最低気温が下がったりしてました。

こんなときだからわかった事だけど、ガソリンは車・バイク持ち込んで現車に給油かガソリン用の携行缶でないとGSは売ってくれません。
法令でペットボトルやポリタンクには給油できないです。

食料は普段から1週間分位は備蓄していたけど、水の確保が大変だった。
水の配給受けるのも300m位の行列が市民センターにできていた。
持てるのは20Lポリタンクが精いっぱいだから、いかに水が貴重だったか。

水が出ないのは、マンションなどはポンプで揚水してるので、電気来ないと上がりません。
水道も、配水池に水を送れないので広域で断水です。

私の所は今でも1週間分位の飲用水は備蓄してます。
たぶん、また来ると思ってるから・・・。

機会があればいつも家族に言っている事。
災害時は自分の周りを見回せ。
物が落ちたりとか、壁が崩れたり、電信柱から物が落ちたり、塀が倒れたり。
その時に自分を守るのは自分自身だから、周りを見て安全を自分自身で確保しろ。
そう、言っている。



震災2週間後、食べたラーメンがいまだに忘れられない。



このラーメンの味は私の一生の中でも指折りの1杯です。





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