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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

風と土と汗と涙の大地 その4

2010年03月10日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜
函館戦争で敗れた榎本武揚が獄中にいる間の事、護送されていた囚人約300人が移送中の船を乗っ取り、厚岸におりた。
彼らは北海道の内陸部へと落ちのび、密かに自らの共和国を作り上げた。

しかし新政府は、その事実を知りながらもそれを黙殺した。
なぜならば、追撃の軍を派遣してもその行先を捕捉することは難しいだけでなく、
そのまま放置しても、現政府にはなんら悪影響は及ばないと判断したからだという。

またある説では、彼らは北海道の内陸部へ逃げたのではなく、厚岸の町の人びとに完全に同化したのだという。
小さな町に規律のとれた300人が組織的に入れば、町を完全に制圧することも決して不可能なことではない。
そのようなことがあっても、決しておかしくはない。

この本当だか嘘だかわからない事実。
これこそは、榎本武揚が描いていた共和国像を現実に実現したものといえる。
ほぼ負けは決定した徳川方の大勢の武士たちにとって、薩長と闘ってまだ勝つことを考えていたものは極僅かしかいない。
負けた側の大勢の武士を如何に生き延びさせるか、これこそが榎本艦隊が函館に向かった最大の目的であった。

300人の行動は、はたして榎本武揚と連動した動きであったのだろうか。

真実は今となってはどうとも断定はできない。
しかし、それを裏付けるような資料が、ある男からみつかる・・・



以上、安部公房の『榎本武揚』からのおぼろな記憶です。


この度、北海道に行ってみて、北海道の人たちというのはなんと穏やかな人が多いのだろうという印象を改めて強く持った。

上州人のようなガツガツしたところが、ほとんどない。
考えてみると学生時代から出会った北海道出身の友人は、皆そのような印象が確かにある。

アイヌの文化と開拓民として入植した人びと、
どちらも厳しい自然のなかで闘ってきたには違いないが、
なんとなく新潟などの豪雪地帯で深い雪に埋もれて我慢してきた人びとの印象とは違う。

かといって、必ずしも「青年よ大志を抱け」などと声高らかに開拓してきた人びとが中心というわけでもない。
どちらかというと、厳しい自然と必死に「折り合い」をつけるすべを身につけることで生き延びてきた人たちのように見える。

そんな折り合いをつける人びとの印象と、この300人の脱走囚人の行方と行動、さらには榎本武揚の目指したものこそが、
私には北海道の印象として最もふさわしく思える。

魅力的に感じられた函館や小樽の街並みや札幌市街。
その街のもつ魅力を感じる一方で、どこに行っても厳しい経済状況や失業問題のニュースが飛び交っていた。

しかし、北海道は日本国内では食料自給率200%を誇る唯一の地域。
経済統計上は厳しくても、強いて慌てる理由はない。
もちろん、そんな余裕があるわけではないのはわかる。

でもあの穏やかな人柄というのは、そんな土壌から生まれているものだと思えてならい。

産業構造をみても、どちらかというと基幹産業は必ずしも意欲的に全国に打って出るわけでもない。
かといって、日本中を席巻しているナショナルチェーンが、ここにもどっと押し寄せてきている印象は少ない。

どうも、そこに住んでいる人びとの間だけで、なんとなく折り合いをつけているような雰囲気がしてならない。

沖縄のように基地問題と本土との差別と闘い続けてきた辺境の地ではなく、
今ある自然のなかで、そこにいる人びととの間だけで
汗をかき
涙を流して
折り合いをつけながら
大地を掘り起こして築いてきたところ

私には、北海道という土地が、そんなところであるように思えてならない。
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1 コメント

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風と土と汗と涙の大地 その4 (よっちん)
2010-03-10 23:55:56
豊か大地と、自然に逆らわず生きている
余裕と底力を感じます。
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