今年は暑さも厳しかったせいでしょうか、
彼岸花が遅いようです。
彼岸に入ったというのを 「 忘れてました !! 」
と、あわてて顔を出してきたようです。
頑張ります、 と言わんばかりに
頭を出してきました。
しかし、彼岸会には間に合わないでしょう。
母の整理もあり、片づけをやりはじめております。
いろいろ面白いものも発見できます。
出てきたのが 『 祖父の通知表 』 です。
明治41年とあります、
そして、通知表ではなく 『 通告牒 』 となっています。
そういえば、昔は
「 彼岸会 」 とは言わないで、
「 秋季皇霊祭 」 と呼んでいたようです。
本来は宮中も神道だけではなく、仏教も取り入れて
お参りされていたようです。
だから、神道の行事もあり、仏教の作法もあったのです。
そして、その意味は
「 先祖を敬い なくなった人をしのぶ 」
とあります。
彼岸会の始まりは
延暦25年2月、崇道天皇 ( 早良親王 ) のため、
『 七日 金剛般若波羅多経を読まわしむ 』
と、 「 日本後紀 」 に出てくるように、
宮中で行われたのです。
だから、 「 秋季皇霊祭 」 とよんだのでしょう。
ついでに、横に英訳が書いてありましたが、
「 The Festival of the Autumnal Equinox 」
( 秋の昼夜が同じ祭日 )
なんとも簡単、
やはり仏教によって、深く仏道を修行するという
意味を持たせたのでしょう。
明日は 「 恵楓園の彼岸会 」
あさってのお中日は当院の 「 彼岸会法要 」 です。
どうぞご参拝ください。 おまちしてます
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