本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

今週の言葉 9/3~9/9 「 始を慎みて 終わりを敬む 」

2012-09-02 21:36:36 | 今週の言葉

   「 始を慎みて  終わりを敬む 」

       はじめ  つつし        おわり        つつし

 

 「 慎 」  も  「 敬 」  もどちらも ( つつしむ ) と読みます。

漢和辞典を調べてみると、その意味には

微妙な違いがあるようです。

 「 慎 」 は、じっと用心すること。

         失敗しないようにすること。 「 慎重 」

 「 敬 」 は、うやまいたっとぶこと。 「 敬意 」

 

 すべて新しいチャレンジは薄氷を踏むように注意深く、

慎重にしなければいけません。

 そして、物事が成就したり、軌道に乗っても、

うやまいたっとぶ心が欠けてくると、思わぬ落とし穴があるものです。

 私たちも 「 修行 」 に入るときには

一つ一つ丁寧に習いながら慎重に注意して取り組みます。

ところが、修行が終わってみると、

案外、その達成感から気が抜けてしまうことがよくあります。

終わっても、その修行に対して敬う心をもち続けることが肝要です。

 お釈迦さまも、

  「 始も美しく、中も美しく、終わりも美しく … 」

と、日々の生活での気を抜かない大切さを叱咤しておられます。

 「 終わりよければ、すべてよし 」

ということわざも、同じ意味を表しているのでしょう。

 

 私たちが毎日唱えているお経に 「 懺悔文 」 があります。

                           さんげもん

   「 我昔所造諸悪業  皆由無始貪瞋痴

      がしゃくしょぞうしょあくごう   かいゆうむしとんじんち 

     従身語意之所生  一切我今皆懺悔 」

    じゅううしんごいししょう     いっさいがこんかいさんげ

     

 

 われ昔より造れるもろもろの悪業は、皆無始よりこのかた貪・瞋・痴による。

身と言葉と意より生ずるところなり、

一切を今皆、懺悔したてまつる。

 

 仏教では 「 懺悔 」 を ( さんげ ) と読みます。

普通使う 「 懺悔 」 ( ざんげ ) と区別して、

濁らずに 「 さんげ 」 と発音するのです。

 世間で言う 「 反省 」 くらいでは、おっつかない、

自分では気がつかなくても、無意識のうちに

多くの罪を犯しているのです。

 ですから、仏教の法要の中には必ず 「 懺悔のお勤め 」 が

勤められるのです。

 奈良の東大寺のお水取りもその一つでしょう。

 

 お釈迦さまも、生きることに

「 慎みをもって、敬しんで生きなさい 」 と

諭されているのです。

 だから、お経の中には 「 常懺悔 」 ということもあります。

まさしく、懺悔しても、だんだん懺悔の意識が薄くなる自分に

恐ろしくなり、そのことを、またもや懺悔する愚かな繰り返しをする

「 わたし 」 という存在に気づくことの大切さをも包含しています。

 

 本当に 「 始を慎みて 終わりを敬む 」 という、

生きることの慎重さを敬意を持って見つめていくことが必要です。

 

 

 

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