本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

岐路に立つ

2006-12-15 23:20:00 | 住職の活動日記
 生きていく時、大なり小なり岐路にたたされる時が必ずあります。
先日、あるご夫人がご相談にお見えになりました。
そのとき、ふと師匠の言葉を思い出しました。
 もう20数年前になるでしょうか、
その時、私の悩んでいる姿を見て、その場にあったメモ用紙に
走り書きされたものを頂きました。

 『人生の困難は免疫を得る為のワクチンのようなもので、
  逞しい人生は只、苦難を恐れているだけでは不可能であり、
  それには進んで苦難というワクチンで
  心の免疫をつけねばならぬ
  
  明日のことは思い患うな…明日のことは明日自身が思い患うであろう。
  一日の苦労は、その一日だけで充分である。(聖書マタイ伝)

  本当は自己の最善を尽くしてみると、しみじみと人間はそれ以上のことは
  何もできない事がわかり、文字どおり、やれるだけやって
  後は明日に任せようという気持ちになる。捨てゼリフではなく、
  成るように成るのである
  明日のことをくよくよ思い患うより、今日の自己の最善をつくして
  ことに当たるべきである。道は自ずからひらかれる
   明日は明日の風が吹く
    妄想に患う勿れ 心の安らぎが 何よりである
  ショウペンハウエルは
   (人間は兎角不平不満と退屈の間をウロウロうろつきがちだ)
  と述べているがなかなか味のある言葉である。
  例えば、地位も金もなければ欲しいのであろうが、 
  さて 実際手にしてみれば、それほどのものではないのではなかろうか。
  なるほど、持たなかった人が、そういうものを得れば一時は嬉しかろうが、
  こういう満足は長続きせず、すぐまた飽きて、次にまた
  持たざるものに対して新しい欲望が起きるのである。
  たしかに人間はただ外的なものにあこがれている限りでは、
  兎に角、不満と退屈の間をうろつき廻るように成るのであろうが、
  それだけでは人生はあまりにも味がなさすぎる。
  文化を解する人間である以上は何かそこに精神的なものが欲しい
 
   労働の仕事を得たる嬉しさに
        坐りて大地を拝みたる日よ  』

 このご夫人にその話をして、このメモをコピーしてお渡しいたしました。
しばらくして、すべてがすっきり片付きました。本当に肩の荷が下りました。
とお礼にお見えになりました。  
 本当に自分の最善を尽くしてみると、それ以上のことは何もできない事が
わかり、他と比べ合う心もなくなり、素直に明日に任せようという気持ちになるものです。
このボロボロになった師匠からのメモ用紙は私の宝物です。 
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