本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

七地沈空の難

2024-08-21 18:00:48 | 十地経

第七地に至ると

空に沈んでしまうという

大きな関門が出てきます。

面白いことに

「7」ということは

仏教ではいろいろ出てくる

のですが、

何か大きな転換点という

ものを表しているようです。

 

お釈迦様がお生まれに

なった時、七歩歩まれて

天と地を指さし

「天上天下唯我独尊」

と名乗られたという。

 

それから六波羅蜜では

第六の智慧波羅蜜を超えて

第七番目が方便波羅蜜

 

そして今出てきた

第七地は「七地沈空の難」

という最も大きな難関です

今までやってきた修行が

完成し目の前に空の智慧

を現前に見た

そこが第六現前地です。

そこでいいようですが、

第七地に進むと

空に沈んでしまうという

ことがあるのです。

 

当てはまらないと思う

のですが、

スポーツ選手でもそうですが

あるところまで到達すると

ふとスランプに陥ってしまう

ということがあります。

今までやっていたことが

出来なくなる。

そういうことがあるようです

 

沈空ということとは

少し違うようですが

何か似たような気もします。

 

講義では、

「よく一般に、沈空という

『十地経』の七地のところ

に出ている問題を、

七地沈空の難という。

空というのは、先に出てきた

第六現前地の結果なんです。

第六現前地というものに

よって、

初めて空というものに

達するんです。

ところが空に立つと、

腰を落ちつけるというのは

沈むという意味ですね。

 

これは別に空が悪い

ということではない。

沈むのが悪い。

空が間違いというん

じゃない。

沈むところに間違い

がある。」

 

というように出てきます。

 

お釈迦さまがさとりを

ひらかれた時、

自受法楽(ジジュホウラク)

といって自らさとられた

内容を楽しんでおられた。

ということです。

それで、これでいい

もう説く必要はないだろう

と、あらためて悟った法を

楽しんでおられた、

ということです。

 

そのことを知った

娑婆世界の王、梵天が

どうか悟った法を

説いて欲しいと懇願されます。

悟りを開かれた最初の七日目

のことです。

 

ところがお釈迦さまは

世の中の人を見るに

あまりにも欲深く、

身勝手で他人のことは考え

ない、

私のさとった法は

微かで妙なる法なのだ

きっと理解できないで

あろうと思われたのです

 

梵天はそこで退かず

次の七日、次の七日と

お釈迦さまのもとを訪ね

さらに懇願されます。

すると

やっと七七、四十九日目に

座を立ち、

法を説かれます。

これが初転法輪ショテンボウリン

といわれています。

 

経典には、この時

十方の諸仏が七種の法を

以て勧め励まされる

そこで勇気を奮い起こして

第八不動地に進んでいく、

ということが出ています。

 

私たちには

そこまで深いものは

ありませんが、

何かしら途中で嫌になったり

心が沈んで動けなくなったり

そういうことがあります。

諸仏の激励ということが

ありますが、

やはり、師匠や友や先輩など

周りの励ましで

やっと足が一歩出る

ような気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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