本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

価値ということ

2017-11-04 20:07:35 | 住職の活動日記

価値ということも色々あり

経済的価値もあれば

個人的価値というのもあり

最近はともすれば

経済的価値ということが

優先しているようでもあります

儲かったとか、安く買ったとか

個人的価値としても

どれだけ稼ぐかとかいうように

個人としても

経済的価値観で判断される

ということになっているようです。

 

個ということも

英語では individual

(インディビジュアル)といいます

分けるというdividualに

できないというINがついて

分けることができない

その人にしかないもの

個人とか個性という言葉が

出てきたのでしょう

 

だから、二人とないもの

そういうことから

人間の尊厳性というか

個として尊重される

比較を絶しているという

そこに個人的価値ということが

いわれるのでしょう

 

お釈迦様がさとりを開いた時

無師独悟といって

師なくして悟りを開いた

そのとき、ふと思われます

師なくして悟りを得た

はたしてそれでいいのだろうか

 

そこに自覚ということが

でてくるのです

「自分が自分で自分を知る」

という構造を自覚といい

一回自覚したからそれでいい

というのではく

自分というものが知るものであり

同時に知られるものである

そういう意識構造から

知るものであり知られるという

この繰り返しが自覚の本質

ということです

 

こういう意識構造を持っている人間

だからこそ

個人的価値というか

人間の尊厳性ということが

出てくるのではないかと思います

 

しかしながら、

経済的価値というものは

激しく力強いもので

お金や地位の前には

いくら

自覚を持った

個人的価値といっても

影を潜めてしまいます

一億総活躍社会といっても

経済的に活躍することを

指しているのでしょう

 

しかしながら

根底には個人的価値ということが

どこかで感じとれるか

うすすと感じることがなければ

幾ら経済的価値が優先しても

虚しいものが残るはずです

 

価値ということも

自分にとっての価値とは何か

考えて見るのも

文化の日の一面ではないでしょうか

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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