ある方が離婚された
いろいろあったのでしょう
悩まれた末のことです
その話を聞き
ふと思い出したのが
弘法大師の言葉です
「阿字の子が
阿字のふるさと立ち出でて
また立ち帰る
阿字のふるさと」
誰しも人は一人で生まれ
一人で死んで行く
いのちの大本から生まれ
いのちのもとへ帰って行く
結婚ということも
出会いがあり同じ道を歩み
共に生活をする
添い遂げることもあれば
別れることもある
女性の場合は姓が変わる
離婚によって
もとの姓に変わるということも
あります
仏教では一心同体ではなく
一心異体といいます
心は一つになれますが
身体は別です
身体が別ということは
それぞれの境遇が違うということ
それは、それぞれが自分の世界を
持っているということです
ですから、夫婦といっても
同じものを見ても全然別のことを
感じとっているということです
それぞれが自分の心で
自分の世界に置き換えて見ている
ということです
心が一つということは
お互いの心のほんの一部分が
共通して感じとっている
ということでしょう
人間はオギャーと生れて
ウーンといって死んで行きます
阿吽の呼吸というのも
阿は吐く息、吽は吸う息
吸う息吐く息から絶妙の呼吸が
生れるということです
また、
息を引き取るというのも
ウーンと息を吸うって亡くなる
からいうのでしょう
ですから、
阿は物事の始まりです
吽は物事の終わりを表しています
亡くなったとき
お位牌の一番上には梵字で
アという字を書きます
これは大日如来を表しています
全てのいのちのもとを
大日という仏で表現したのでしょう
人は皆ここから生まれ
大日如来のもとへ帰って行く
ということでお位牌には
阿字を付けて
その下に戒名を書くのです
離婚ということを通して
もとの姓に帰られた
なんだかほっと安心した一面も
あるのではないでしょうか
もとの姓に帰られ
そこから今度は本当の
生れてきたもとへ帰って行く
この世の修行は尽きないようです
修行の道があるということが
大事なことで
仏になるならんは後でいい
その道を歩むということが大事です
仏という結果があるのではなく
その道程にいるということが
救いなのだと思います
歩めるような立場に立ったことで
自分が救われるのです
だから永遠の道程です
阿字の子が
阿字のふるさと 立ち出でて
また立ち帰る 阿字のふるさと
そのような心境ではないかと
思うのですが
毎日毎日、一歩一歩ですが
一歩一歩を歩み続けましょう