本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

今にいいこと!!

2017-03-08 17:14:52 | 住職の活動日記

「今にいいこと 

  もっと ずっと」

確か、ジャパネット・タカタさんの

コマーシャルで流れていたようです。

 

いい言葉です。

 

取り方によっては

意味も違ってきます。

 

普通には、

じっと待っていると

そのうちにいいことがある

というような意味でしょう。

 

しかし、もっと

積極的に考えると

今にいいことしていると

将来はきっといいことがある

というようにも取れます。

 

面白いことに

仏教では三世(さんぜ)というと

過去・現在・未来のことを

いいます。

時間的に考えると

過去があって、今の自分が在り

そして、まだ見ぬ未来がある

というようになります。

 

しかし、仏教では

未来のことを当来(とうらい)

というようにも表現します。

当来、当に来たるべき

時間とともに何気なく

未来がやって来るのではなく

「当に来たるべき」、ですから

現在の中に未来が宿されている

内包しているというか

未来を孕んでいる、というのです。

 

本当に未来のことを思う人は

現在のあり方が違ってきます。

今怠けていて、

将来にはきっといいことがある

ということは絶対ありません!

 

本当に未来を望む人は

今の生活で着実に一歩一歩

今ある身近なことを

丁寧に実行されているはずです。

 

今の生活がふしだらで

未来にきっといいことがある

はずはありません。

今の生活が嫌で、

どこかに逃げだしたくなるような

そのような気持ちで他へ行っても

また、同じように嫌なことが

つきまとってきます。

今の生活を充実させている

人の身にしか未来はないといっても

いいと思います。

 

また、仏教では

「過現未同時」といって

過去と現在と未来は同時だと

いうのです。

今のこの一瞬に過去と現在と未来は

成り立っていると、

 

今ある自分を考えると

今の自分は過去の蓄積によって

成り立っているのです。

また、今自分がやっていることは

未来の自分を作っている、

といってもいいと思います。

 

現在ある自分が突然出来たもの

ではなく、

生まれてこのかた積み重ねてきた

経験が自分を作り上げている。

振り返ってみると、

悩んだ末、この道を選びとったのも

自分です。

岐路に立った時、選んだのも自分

だから本当は不平は言えない筈です

でも、誰かがこういったからと

人のせいにしてしまいがちですが

やはり責任は自分にあります。

 

だから、今の岐路に立った時

どの道を選びとるかは

自分の責任です。

それが、決断なしに選び取ると

また、不平不満の種になります。

 

今の自分のあり方が

未来の自分を作っているのです。

 

それから、もう一つ

「身」(み)ということも

大切です。

心の中で遠くにいる人のことを

思っても、

今いるのは嫌いな人かもしれません

しかし、今いるということが

大切なのです。

嫌や嫌やと思って過ごしても

今いるのは、ここにいるのです。

心は嫌がっても

身は正直です。

心は不平不満でも、

そのどうにもならない

不平不満の心をささえているのは

この身、この身体なのです。

体は不平不満を言わずに、

好き勝手に思う心を

じっと支えている。

心は自由自在に好き勝手なことを

思い心を遊ばせます。

しかし、身は

そのどうにもならない心を

じっと支えている。

 

そのいる場、そこにいる身

ということも考えないと

 

「心こそ 心迷わす心なれ

 心に心 心ゆるすな」

 

という歌もあります。

 

過去現在未来という時、

それにそこに居る身という

限定を持ったもの

この二つを大切にしないと

「今にいこと」

はなくなってしまします。

 

今にいいこと、

今ここに居る身を大切に

今を励むことしかないようです。

 

 

 

コメント
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