大企業だから安心ということはなく
何が起きるかわからない時代です。
採算が取れないという
理由でしょうか
グループの会社をファンドに売却
それによって本体の会社は
大きな利潤を上げることができる
ということでしょうか。
そのことについては
会社からの方針の発表もなく
社員はニュースで知るという
なんとも悲し事があります。
テレビで知ったのですが
その一方で、
地雷で手や足を失くす
子どもたちを見て、
一念発起、私財を投げ打って
地雷除去の機械を開発
大変な時間と財力のすえ
やっと完成して
その機械が世界中で活躍し
やっとお金が回収できるとか
しかしながら、
かかった費用はあまりに多く
数十年かけても元は取れないかも
ということです。
その社長の笑顔はとても素敵に
見えました。
願い、そして利潤、
難しい問題です。
願いがなければ会社の存在意味
が無くなってしまいます。
利潤が出なければ
運営していくこともできません。
これからのお寺も難しい舵取りが
要求されてくるでしょう。
なにせ、人口が減っている
ということは当然、
檀家さんの数が減っている
ということなのです。
お寺もますます淘汰されていく
時代に入っていくようです。
色々な企画をして人を集め
お寺を一つの舞台として
芸能活動をされているような
お寺もあります。
また、お寺カフェとか
坊さんバーとか
もがき苦しんでおられます。
しかし、その根底にある
お寺の存在意義を
明らかにしなければ
色々な手を尽くしても
単なる手、
方法に終わってしまいます。
採算が合う、合わない
合わないから切り捨てる
「採算」ということばも
冷たく響きます。
「採」という字は
切るとか取るとか取り出す
という意味もあるようです。
あるお寺さんで、
「採薪亭」と銘打って
色々な文化活動をされています。
薪や木の実を拾い集める
ということから、
貧乏な生活という意味が
「採薪」という名に込められて
いるのでしょう。
檀家さんも少ないなかで
採算を度外視いしして
文化活動に取り組まれています。
それも一流の先生や文化人を
講師に招いておられます。
その根底には、
仏教という教えを
現代にどう生かすかという
願いを問い続けておられる
ようにお見受けします。
人間は、
儲けた、損した、という
はげしい問題には
興味がわくものです。
しかし、
利益の追求だけでは
物足りなさを感じてくるのも
事実ではないでしょうか?
損が嫌いで得することが好き
ということが人間の本性ですが、
本当にやり甲斐のある事なら
損をしてでも悔いない
という気持ちも持っています。
そこには利益というだけでは
満足せずに、
人のためになりたい
人の喜ぶことを見て
自分の喜びにしたいという
欲求も持っています。
他のためにつくす、
そこに存在意義を見出す
ということも大事なような気がします。
利益(りやく)ということも
自利を功徳、
利他を利益(りやく)と
いう二つの意味も持っています。
これからお寺も
願いを明らかにしつつ
運営も考えなければいけません
内なる欲求と絶妙な経営感覚
この二つを
同時に成り立たせていくのが
これからのお寺の使命のように
思うのですが ‥‥