紗和ちゃん、真緒ちゃんの
お雛さまを飾っていると
そこへやって来た宗良くん
「おひなさまは床に間に
飾るんですよね、
床の間ってなんですか?」
という質問が飛んできました。
そういわれれば、床の間って
今では床の間がある家が
少なくなりました。
普通は仏間と隣り合わせに
作ります。
仏壇がなかったら、
仏間は格好の物入れ、
そして床の間は何でも置ける
フリースペースという
ところでしょうか?
祖父がいた頃は
床の間はとても大切な所
私たち子どもは近づけませんでした
大切な客人があったり、
歌会がある時、
そして新年のおせちを頂く
という特別な場所でした。
私たちは二つの世界を持って
生きていると、
ということを三浦先生から
聞いていました。
精神生活と損得の世界
それを家で表現すれば、
床の間が精神生活の場、
リビング、ダイニングが世俗の
損得の世界でしょう。
子どもを叱るときに
なになにしながら、台所で
小言を言うので
子供にとってもうわの空
心には入らないと思います。
本当に叱るとき、
そして悩んで進路を決める時
そういう時には
仏間か床の間に据えて
しっかりと話を聞き
叱るときには叱る
心を決める時にはその場で話す
そうすると
案外、
素直に受け入れてくれるものです。
やはり「場」が大事なのです。
どこでも、何でも言っていい
ものではないと思います。
真剣に話す時には、
場をつくらなければならない
と思います。
三浦先生の
「ちょっと来なさい!」
という言葉には
いつも身が引き締まりました。
やはり大切な話か
なにかやらかして
きつく戒められるときです。
通りすがりには決して
怒ったりはされませんでした。
やはり自分の場(テリトリー)に
引きずり込んで、
背景に仏を背負い、
自分の意見を言われたものでした。
あまりにも、
最近は損得勘定が盛んで
何でも数字で判断してしまいがちです
ソロバンをはじく世界と
ソロバンを外す世界(精神生活)
そういう二つの世界を持たないと
薄っぺらい人間になってしまいます。
せっかく人間に生まれたのですから
ただ食って寝るだけではなく
心静かに人生を考える
そういう場として
床の間があるのでしょう。
その精神生活を忘れると
細かいいさかいやもめごとが
起こってくるものです。
何でもない家の間取りですが
考え直して
活かして使うのも
大事なことではないでしょうか。