本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

チャラティ・ヴィサマム・サマム

2016-01-23 21:00:11 | 住職の活動日記

「チャラティ・ヴィサマム・サマム」

お釈迦様の言葉です。

お釈迦さまは何語を話されていたのか?

普通いうインドの言葉の

サンスクリットではなく、

マガダ語の訛ったもの、

上のお釈迦様の言葉はそれに近い

パーリー語の言葉です。

「平らでないところを平らかに行く」

と、直訳ですが、

 

世間はいろいろ問題も多く

それぞれに一喜一憂して

心穏やかに行くことはできません。

その世の中を惑わされずに

心やすらかに歩いていこう

ということです。

 

最近では、サッカーにテニスと

応援で忙しいのですが、

スポーツといっても、心と心の戦い

精神力の戦いのようです。

練習とかでは出来ていたはずです。

ところがいざ試合となると、

出来てたことが出来なくなる。

ちょっとした心の変化

周りの環境もあるでしょう。

それによって心が動かさfれてしまう。

 

「普段の力が出せたら!」

と、おっしゃっていますが、

スーケートでも、

同じことの繰り返しの演技、

毎回、出来ているはずなのに、

試合になると、ほんのミリ単位の

動きでそれができない、

スポーツといっても技の勝負

というより、

自分との戦いのようです。

 

「チャラティ」というのは

行くというようにも言いますが

to MOVE という意味のようで、

悪条件の中でいかに自分の心を

平静に保てるかが勝負のようです。

 

スポーツといっても元は

獲物を捕ったり、そのために走ったり

投げたり、という技術であったことが

その術がしまいにはそれを超えて

「道」という言葉で表す。

柔道とか弓道とか道がついてくる。

最初は術だったのが技術を転じて

人間形成、人間をつくるという

一つの道になっていった。

そこに、技術を超えた精神性が

重要になってきたようです。

 

チャラティ・ヴィサマム・サラム

お釈迦さまもこのように言っておられたのかな

お釈迦様の声が響いてくるようで

この一句は好きな言葉です。

 

現実の私は、

ちょっと褒められれば

うぬぼれて調子にのるし、

けなされると落ち込んでしまう

まことにたよりない存在です。

でこぼこ道を右に左に揺られながら

心ちじに乱れて歩いている

というのが現実です。

 

錦織選手のコーチ、マイケルチャン

一にも二にも基本動作

納得いくまで何百本でも打ち続ける

まるで、高校生の合宿のようと

その基本を続けていくことが

平常心を保っていく方法のようです。

 

であれば、私たちも

お釈迦様の基本の教えに立ち返り

それを繰り返し、叩き込み、

実践に触れては思い起こし

照らし合わしていくしかない

そのように思います。

今また、

お釈迦さまの基本の教え

八正道・四諦・十二縁起など

見直してみると新たな発見、

というより驚きが生まれます。

 

なにごとも基本が一番大事

この荒波を乗り越えるには

それしかないようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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