本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

お茶は静かに育っている

2016-01-15 17:55:01 | 漢字

住んでいる近辺も造成が進み

だんだん宅地になっているようです。

 

  

 

その隣では、

いっぱいの太陽光を受けて

お茶が静かに育っています。

 

  

 

よく見ると、白い小さな花が

 

  

 

咲きだしています。

葉っぱから光の力を受けて

栄養を蓄えているのでしょう。

 

「茶」というと

喫茶店ということが思い浮かびますが、

コーヒーを出しても喫茶店

お茶が出てこないのに喫茶店、

 

『喫茶』ということも仏教語というか

主に禅宗で使われるようです。

「喫茶喫飯」(きっさきっぱん)という

対の言葉で使われます。

 

「喫」という字は、

食するとか飲むという意味です。

逢茶喫茶・逢飯喫飯

茶に会えば茶を飲み

ご飯に会えばご飯を頂く、

究めて当たり前のようですが、

そこには、

お茶を作った方、淹れた方の

心を思い、

ご飯がここに来るまでの

その道程を思い作る方の

心に接するという

一杯のお茶を頂くにも

そこには真剣勝負のような心で

頂くということでしょう。

 

そのものになりきっていただく、

掃除のときは箒になる、

床をふくときには雑巾になる。

そのものになりきるということを

特に重要に扱うのです。

若い頃、

師匠の三浦先生に

「箒と体がバラバラになっている」

と、注意を受けたものですが

その時はよく分かりませんでした。

箒はただ動いているのでしょうが

心ここにあらずで、

早く終わらないかな~、

お腹がすいたな~、と

他のことを考えていたことを

見抜かれたのです。

 

「喫茶」ということには

もう一つ意味がありまして、

縁組を取り決める、という内容です。

お茶の木はいったん植えたら

植え替えることができない。

それで、女性が一度嫁いだら

二度と結納を受けない

ということに喩えたのです。

そこから、縁組を決めるということを

喫茶といったようです。

 

「喫茶店」

という字もよく見れば不思議な感じです。

「お茶しませんか」

といっても、飲むのはコーヒーか

ジュースか

めったにお茶は飲みません。

 

喫茶喫飯

一杯のお茶、一膳のご飯を

頂くにも当たり前に食べるのではなく、

そこに思いをいたして頂くと

味もまた変わってくるのではないでしょうか。

 

そしてまた、

喫という字には

「満喫する」というようにも使います。

もともとは十分に飲み食いする

ことから、満足するという意味に

「醍醐味を満喫した」

というようにも使います。

また、政治の方では

「喫緊」の事として」というように

使うようです。 

 喫茶の「喫」もただ飲み食べるだけでなく

幅広い意味をもっているのも

おもしろいものです。

 

 

 

 

 

 

コメント
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