DAIGOさんと北川景子さんの
婚約記者会見は清々しいものでした。
お二人のお人柄が伝わってくる
そのような記者会見でした。
「DAIGO」とは面白い名前と
何かしら気になっていたのです。
仏教では「だいご」といえば
醍醐という言葉もあるし、
悟りを表す「大吾」という
まあ、さとりを表す言葉もあります。
明日が結願を迎える
「御七日御修法」の大阿闍梨を
醍醐寺の座主「仲田順和猊下」が
勤めておられます。
いよいよ明日が結願ということで
お慶びもひとしおのことと思います。
醍醐、という字も不思議な文字です。
両方とも、「とりへん」の『酉』が
入っています。
酉は本来は、酒を熟成させる
壺の形を現します。
「焼酎」の酎もよく熟成した酒
という意味です。
醍醐の「醍」も本来は
すんだ赤い酒という意味です。
それが醍醐となると、
まじりけのないもの、
牛乳を生成して得られる、
味がよく滋養に富むもの、
そこから醍醐味という言葉も生まれ
仏法の妙理や人格の優れている
ことを表す言葉になったようです。
最近は「うまみ」ということで
出汁ということをいいますが、
仏教でも「味」ということを
とても大切にしています。
「味」、サンスクリットでは
RASAラサといいます。
お経の中には、
甘い・酸い・鹹(しおからい)・
辛い・苦い・淡い、という
六つの味を書いてあります。
また、
牛乳を精製していく順序を
乳・酪・生酥(しょうそ)・熟酥(じゅくそ)
醍醐、というように表し、
最高に素晴らしい味ということで
「醍醐味」という言葉が生まれたのです。
醍醐寺とは山頂で出る水が
なんとも言えない味だったので
そこから「醍醐」という名前が
付けられたようです。
そして、醍醐天皇も
ただ一人、お寺の名前を
自分の諡号とされたのです。
そこに醍醐天皇の深い思い入れが
あるように感じます。
「味」ということが仏教で使われる、
料理の世界ならまだしも、
宗教の世界で「味」ということを
いうのはおかしな気がするのですが、
そこには、
実践概念というか、
実践から出てきた言葉のように思います。
「意味」というじがあります。
何気なく使っていますが、
「意」、とはこころ、
意味とは心の味ということに
なるのではないでしょうか。
仏教のことは、
ただ頭で知るということではなく、
味わってみなければわからない、
という、
味わうには、
自分でやってみなければ分からない、
ということが大事で、
人生も味わってみて
始めてわかるということがあります。
人生の達人を
甘いも酸いもかみ分けた人、
とといいます。
甘いだけが人生ではなく
苦い思い出、辛いこと、
いろいろな味があるのが人生で
その味が人生を豊かにしてくれる
のではないでしょうか。
これから、
DAIGOさんも北川景子さんも
いろいろな味を醸し出していかれる
のではないでしょうか。
本当に嫌みのない飾らない
素晴らしい会見でした。
お二人の幸をお祈りいたしております。