津田塾大キャンパスで「津田梅子と新渡戸稲造―二人の出会いと協力、別れまで」と題する講演会がありました。
講師は藤井茂さん、一般財団法人新渡戸基金理事長で盛岡タイムスに勤務なさっている方です。
この日の朝、新幹線で盛岡からいらしたそうで、盛岡タイムスからも何人か取材にみえていました。
新渡戸は幕末に盛岡の武士の家に生まれた人でした。
今年7月に発行される新5千円札の肖像となる津田梅子、現在の5千円札は樋口一葉、その前の5千円札が新渡戸稲造だったのですね。
新渡戸稲造は津田梅子が女子英学塾(現津田塾大学)を明治33年(1900)9月に創設後、あらゆる協力を惜しまなかったそうです。
この年の1月に新渡戸はフィラデルフィアで英文の『武士道』を出版しています。
英学塾での講演や訓示はもちろんのこと、梅子が身体を崩してからは授業も受け持ち、自ら「塾の伯父」と称していたとか。
それだけではなく、妻のメリーも養子、養女も、一家あげて塾へ協力し、妻の弟夫妻まで講演や多額の寄付も惜しまなかったといいます。
藤井さんは梅子と稲造、二人一緒の写真がないことから、二人は本当に親しかったのだろうか?と思い続けたそうです。
昔のことですから、親しい間柄だととりたてて写真を撮ろうとしなかったのではないか。
「友人以上、親友未満だったのでは?」と言われたのが印象に残りました。
新渡戸は皆に平等な人で、女性に対しても特定の関わりを持たない人だったとのことでした。
津田梅子の生涯のことは知っていましたが、新渡戸稲造が献身的に女子英学塾に協力したことは知りませんでした。
梅子の教育理念の理解者であり、塾で教鞭もとったアナ・C・ハーツホンとは共通の友人であったこと。
また、5千円札の肖像になったという偉人二人の不思議な縁を感じた講演でした。
津田塾の象徴、アナ・C・ハーツホンの名を冠した「ハーツホン・ホール」。
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