北面武士

至誠通天

バラキ

2021-03-19 | 日記

令和三年三月二十日(土) 曇

 

20年ぶりに映画「バラキ」(The Valachi Paper)を観た。

この映画は「実録・米国コーザ・ノストラ 血の抗争」と言っても過言ではない、米国イタリアン・マフィア(コーサ・ノストラ)の権謀術数に満ちた抗争を描いた作品で、マフィアのボス・ヴェトー・ジェノベーゼが配下のジョー・ヴァラキ(バラキ)を裏切り者と勘違いして暗殺命令と下したので、ヴァラキが自己保身の為警察へ逃げこんでコーサ・ノストラにおけるオメルタの禁(沈黙の掟)を破り、全米放送の公聴会で暴露した話だ。

映画「ゴッド・ファーザー」シリーズの原型となる実録映画で、貧困から腕っ節と頭脳でのし上がっていくマフィア達の過程が明確に描かれている。 

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」や「モブスターズ」と並ぶ、マフィア映画の名作と言ってもいいだろう。

 

米国ギャング史は、19世紀まではアイルランド系の天下だったが、20世紀に入るとユダヤ系ギャングが頭角を現し群雄割拠の時代へ突入する。

イタリア系は、マンフレディ派、ダキーラ派、コルレオーネ派、ロモンテ派、カステランマーレ派、コラ・シーロ派が台頭。

1920年代以降イタリア系マフィアが徐々に勢力を伸ばし、チャーリー・ルチアーノ(サルヴァトーレ・ルカーニア)ファミリーのようにユダヤ系ギャングを手を組んでアイルランド系を駆逐していった。

禁酒法時代にアイルランド系のジョン・F・ケネディーの親父はコーサ・ノストラと手を組んで相当儲けたのだが、コーサ・ノストラが応援していた長男のジョンが大統領になった途端、次男のロバート司法長官と共にマフィア撲滅運動を推進。

この件がコーサ・ノストラの逆鱗に触れ、のちのケネディー・ファミリー暗殺へと繋がっていく。

 

全米でイタリアン・マフィアが勢力を広げていくが、中心は金が集まる世界金融の本拠地ニュー・ヨークだ。

世界大恐慌が起きた1929年頃は、NY犯罪組織は二分されており、シチリア出身の”ジョー・マッセリア”とカステランマーレ・デル・ゴルフォ出身の”サルヴァトーレ・マランツァーノ”が勢力を競っていた。

マッセリア・ファミリーは悪の綺羅星が如き人材が揃っていた。

1.マッセリア・ファミリー (ジョー・マッセリア(下卑な武闘派))

  チャーリー・ルチアーノ(No.2 武闘派でありビジネス手腕に長け、ユダヤ系との連携あり)

  フランク・コステロ (ルチアーノの右腕・温厚で理知的、礼儀マナー抜群、知己多し)

  ヴィトー・ジェノベーゼ(武闘派でルチアーノの盟友)

  アルバート・アナスタシア(超イケイケ武闘派)

  ジョー・アドニス (ルチアーノ配下暗殺専門執行機関マーダー・インク設立者)

  アンソニー・サレルノ(ジェノベーゼの子分)

  トミー・ガリアーノ(分派としてファミリー設立)

  ジョセフ・プロファチ(分派としてファミリー設立)

  ヴィンセント・マンガーノ(分派としてファミリー設立)

 

2.マランツァーノ・ファミリー(サルヴァトーレ・マランツァーノ(穏健・知性派))

  ガエノタ・レイナ(ヴァラキの保証人、マッセリア・ファミリーとの抗争で暗殺される)  

  トニー・ベンダー(アントニー・ストロロ No.2だが、絵に描いたような裏切り者)

  ジョー・ヴァラキ(トニー・ベンダー配下の寡黙で屈強な運転手兼ボディーガード)

 

3.メイヤー・ランスキー(ユダヤ系ギャング首領)

  ベンジャミン・バグジー・シーゲル(ラスベガスを作った男)

  アーノルド・ルスティン(大富豪)

 

1930年にこの両ファミリー間で抗争が勃発し、「カステランマーレ戦争」と呼ばれた抗争が1年あまり続いた。

敵対するルチアーノの犯罪ビジネスの才能を欲したマランツァーノは、ルチアーノを拉致して懐柔しようとしたが転ばなかったので、リンチを加えて全身を切り刻んだが奇跡的に絶命しなかった。

九死に一生を得て復帰した時、あだ名となる「ラッキー」が生み出された。 以後、ラッキー・ルチアーノと呼ばれる。

以後、親分のマッセリアは、リンチをうけても敵に下らなかったルチアーノに全幅の信頼を寄せる。

しかし、ルチアーノは傷が癒えると密かに寝返る決意を固め、敵のマランツァーノに対等なビジネスとして傘下に入る話を持ちかけ、手土産にマッセリア暗殺を準備する。

1931年4月15日、マッセリアとルチアーノは抗争の計画打合せのため昼食へ出かけ、マッセリアが豚のように食事を平らげた後、ルチアーノはトイレに立つ。

その後、すぐに暗殺者4名がレストランに乱入し銃弾を20発以上あびせ、そのうち6発が致命傷となる。

ヒットマンはジェノベーゼ、アドニス、アナスタシア、シーゲルの4名とされる。

ルチアーノの功績により「カステランマーレ戦争」に勝利したマランツァーノは、全米コーサ・ノストラの統合を図り、ニュー・ヨークを五大ファミリーに分けて幹部達にそれぞれのドンに就かせ、マランツァーノ自身は”カポー・トゥッティ・カピー”(ボスの中のボス)として君臨する。

この頃、誠実で実直なヴァラキはジェノベーゼに気に入られて、大幹部達にも目をかけられ知己が広がる。

NY五大ファミリー

1.マランツァーノ・ファミリー

2.ルチアーノ・ファミリー

3.マンガーノ・ファミリー

4.プロファチ・ファミリー

5.ガリアーノ・ファミリー

 

その後、全米中のコーサ・ノストラのドンや大幹部に500通以上の招待状を送付し、万座の中で己が決めたルールと掟を宣言。(欠席者なし) 

それぞれの全米都市の縄張りにそれぞれにドンを定め、そのトップにマランツァーノが座する事を強制した。 セント・ルイスはジアノーラ、シカゴはアル・カポネ、ニュー・オリンズはクローリエ、デトロイトはフェラーリ等各都市毎に配置。 オメルタの禁を厳命、麻薬禁止等。

異を唱える者はいなかったが、万座の不満を見て取ったルチアーノは、密かに全米を回って同士や賛同者を増やしていった。

マランツァーノもルチアーノの動静を把握しており、ルチアーノ暗殺を準備する。

親分のマッセリアを暗殺したルチアーノを当初から信用していなかったようだ。

9月9日にマランツァーノの事務所へ来るようルチアーノへ伝えたが、当日突然4人の税務査察官が来訪し、ボディーガード達を武装解除し、2人の税務査察官がマランツァーノを別室へ連行。

税務査察官達は、ルチアーノが雇った面の割れてないユダヤ系の殺し屋で、マランツァーノに4発の銃弾を食らわせ、胸を6回刺されて喉を切り裂いた。 

これがルチアーノの2人目の親分殺しとなる。 日本の任侠の世界だったら絶対NGなのだが・・・。

ルチアーノの根回しが功を称し、多のドン達から報復を行う者は皆無の完全勝利となった。

それより2~3週間のうち、全米の守旧派と言われる年老いたドン(口髭ピート)が50人ほど次々に暗殺された。 

これは後日”シチリアの晩鐘事件”と呼ばれる大事件となったが、誰が命じたかは火を見るより明らかだ。

ルチアーノはマランツァーノの轍は踏まず、自身がトップに君臨する事はなく合議制を提案。

満場の了承を得て、全米コミッションが誕生する。 

ルチアーノは名を捨て実を取ったが、”ボスの中のボス”は誰かは誰もが認識していた。

NY五大ファミリーを再編成。

1.ルチアーノ・ファミリー

2.プロファチ・ファミリー

3.マンガーノ・ファミリー

4.ガリアーノ・ファミリー

5.ボナンノ・ファミリー

 

これよりルチアーノの時代は10年ほど続くが、最強最大の敵が目前に立ちはだかる。

ルチアーノ逮捕に心血を注いだ特別検察官・トーマス・デューイ(後にNY州知事となる)、部下の黒人女性弁護士・ユニス・カーター、連邦麻薬局初代長官・ハリー・アンスリンジャー、麻薬捜査官・チャールズ・シラーザを筆頭に、何度もルチアーノを逮捕しているが、全て証拠不十分にて釈放されている。(司直への賄賂)

しかし、最終的にNY連邦裁判所において、強制売春など62の罪状全てで有罪となり、30年~50年の禁固刑判決が下され収監となる。

以後、ルチアーノはフランク・コステロとジョー・アドニスに後を託し、獄中より2人を操ってファミリーを支配。

当局はルチアーノの次にNo.2のジェノベーゼへ矛先を向け、30数件の殺人容疑をかけたがジェノベーゼはファミリーから離れイタリアへ逃亡。 映画ではアナスタシアが後任を務めているが、実際にはフランク・コステロが就任。

ジェントルマンのコステロは野望を抱かない人望が篤い経済マフィアで、在任中はファミリーの金庫を膨らませて、抗争もほとんどない平和な時代だった。 ジェノヴェーゼが米国へ戻り激変するが・・・。

 

1941年12月7日に日本軍による真珠湾攻撃が行われ、宣戦布告が発表。 同日、ドイツとイタリアも米国に宣戦布告。

その後、3ヶ月のうちに米国商船71隻がドイツのUボートにより沈められ、マンハッタンのドックで客船火災発生し、ドイツ系、イタリア系工作員による破壊活動が噂となった。

当時、港湾労働者やイタリア系犯罪者に絶大なる支配力を有していたルチアーノに目をつけた米国海軍は、ルチアーノの国外退去による釈放を条件に全面協力を取り付けた。

以降は米国港湾の備えは鉄壁となり、米軍のシチリア上陸の道筋がついた。

戦後、ルチアーノの特赦が勧告され、当時NY州知事となっていた元特別検察官トーマス・デューイはルチアーノを釈放。

1946年1月8日、NY港に停泊中の「ローラ・キーン号」にルチアーノが乗船。 船上ではコステロを筆頭に大幹部がドンを待ち受けており、豪華なディナーやパーティーが開催された。 翌日、コステロ達は下船し、船はイタリアへ向け出港。

以後ルチアーノは、追放された16年間はナポリで犯罪のグローバル・ネットワークの構築に心血を注ぎ、組織犯罪やテロ組織とのネットワークを結びつけ、米国を麻薬漬けにし、非合法の武器弾薬が自在に行き交う素地をもたらした。

1962年1月26日、ルチアーノはナポリ空港で心臓発作の為急死。(享年65歳)

ルチアーノの遺体は許されて、NYクイーンズのセント・ジョーンズ墓地に埋葬された。

 

数年後にルチアーノの跡目を継いだヴィトー・ジェノベーゼも壮絶な人生を送っている。

イタリア・ナポリで生まれ、16歳で渡米。 NYグリニッジ・ヴィレッジを根城にして一度結婚して5年後に死別したが、3年後に人妻アンナに横恋慕してアンナの夫を殺害し、その12日後にアンナと再婚。

この頃には既にマッセリア・ファミリーの二次団体・ルチアーノ・ファミリーのNo.2として活躍していた。

「カステランマーレ戦争」ではルチアーノと共にマッセリアからマランツァーノへ寝返り、一番の勲功を果たしている。

マッセリア暗殺後、一次団体となったルチアーノ・ファミリーで長らく君臨しており、ルチアーノが逮捕された後に跡目を継ぐ予定だったが、当局は矛先をジェネベーゼへ向けてきたので不測の事態に陥った。

当局より30数件の殺人容疑をかけられたジェノベーゼはファミリーを離れてイタリアへ逃亡。

ボスのルチアーノは長期収監、No.2のジェノベーゼは国外逃亡となり、人望が篤いフランク・コステロが跡目を継ぐ事となった。(映画ではアナスタシアになっている)

コステロはルチアーノの指示を忠実に守り、イタリアへ強制送還になった後も野望を抱かず、ルチアーノの留守を守り続けた。

 

ジェノベーゼがイタリアへ逃亡している頃は、ベニート・ムッソリーニ総統が徹底的にシチリア・マフィアを弾圧していた頃で、マフィアにとっては危険極まりないところであったが、ジェノベーゼはNYで稼いだ莫大な米ドルを資金としてファシスト党に多額の献金を行い、うまくムッソリーニに取り入り、ムッソリーニからイタリアの最高章を授与される。 その後は党の影の顔役となる。

マフィア嫌いのムッソリーニから最高章を授与された者は、後にも先にもジェノベーゼしかいない。

 

米国で収監中のルチアーノが米海軍の港湾警備と米陸軍のシチリア上陸に全面協力を行っていたので、ムッソリーニから弾圧を受けていたシチリア・マフィア達は米軍に加担し、米軍に情報提供、物資調達、水先案内人となり功績をあげ、再び往時の隆盛を誇る。

ファシスト党の影の顔役となっていたジェノベーゼもルチアーノと連携し、党を裏切り米陸軍上陸の際はシチリア・マフィアと米軍の仲介役として将軍や高級将校達をたらしこんで、軍部とズブズブの関係を築き上げる。

この頃米国本土の捜査機関は逃亡中のジェノベーゼの存在に気づき、捜査官をイタリアへ派遣して起訴へ持ち込もうとするが、ジェノベーゼとズブズブの軍部の妨害にあい、うやむやとなってしまう。

戦後、ジェノベーゼは米国で収監されるが、証拠不十分で1年ほどで釈放。

本来、ルチアーノの跡目を継ぐべきジェノベーゼがNYへ戻ってきたので、ルチアーノ・ファミリーを中心に波風が立ち始めた。

 

フランク・コステロがトップに就いているのを我慢できないジェノベーゼだったが、コミッションでは私欲による殺人や抗争は御法度。

また、人望も篤く、人気の高いコステロを正当な理由なく失脚させたり暗殺するなど出来そうもないので、ジェノベーゼは時間をかけてコステロの支持者や同盟者を徐々に切り崩していった。

好機が訪れたのは、組織犯罪撲滅に執念を燃やすキーフォーヴァー委員会が1951年に聴聞会を開き、コステロを証言台に座らせ、全米にテレビ中継をおこなった事だ。

取り決めでコステロの顔が写さなかったが、証言台でのコステロの落ち着かぬ態度やかすれたボソボソした声は、コーサ・ノストラのトップとして権威を失墜されるには十分だった。

また、コステロの配下で暴力案件を一手に引き受けていたウィリー・モレッティーが脳梅毒に冒されてしまい、聴聞会召喚も決定しまう。

モレッティーの口封じをしないと聴聞会で何を言い出すかわらかないので、コステロの同盟者であるイケイケのアルバート・アナスタシアが手を下し、最大の危機を脱する事ができた。

1957年5月2日、コステロが銃撃されたが、暗殺は未遂で終わる。

同年秋、アナスタシアがホテルの理容室で2人のヒットマンに銃撃され蜂の巣とされてしまう。

この両事件の首謀者はもちろんジェノベーゼである。

これにビビったコステロはボスの座を降り引退。

ルチアーノ・ファミリーの跡目を取ったジェノベーゼは、ジェノベーゼ・ファミリーを旗揚げする。

これにより、旧ルチアーノ・ファミリーはジェノベーゼ・ファミリーの傘下となる。

新たな五大ファミリーが編成。

1.ジェノベーゼ・ファミリー(旧ルチアーノ・ファミリー)

2.コロンボ・ファミリー(旧プロファチ・ファミリー)

3.ガンビーノ・ファミリー(旧マンガーノ・ファミリー)

4.ルッケーゼ・ファミリー(旧ガリアーノ・ファミリー)

5.ボナンノ・ファミリー

 

同年11月14日、100人以上のボス達が集結したアパラチン会議が警察の手入れにあい、60人が逮捕。

ジェノベーゼの権威失墜となる。

翌年、委員会に召喚。

1959年4月、麻薬取引の罪で実刑15年の判決。 翌年収監。

 

映画「バラキ」は、ここから始まる。

本件でヴァラキが裏切ったと思い込んだジェノベーゼは、先に収監されていたヴァラキに”死の接吻”を送り、懸賞金をかけた。

身に覚えないヴァラキは3度殺されかけ、刺客と思った相手を誤殺してしまう。

映画では、このあたりからコーサ・ノストラへ加入した若き頃から現在に至るまでのストーリーが始まる。

その後、復讐を誓ったヴァラキは”オメルタの禁”を破る事を決心。

ヴァラキは、全米公開のテレビ試聴会でコーサ・ノストラの全貌を暴いてしまい、以後ジェノベーゼはコミッションに対して一切の顔向けが出来なくなる。

1969年2月14日、ジェノベーゼは心臓病で死去。享年71歳

1971年2月4日、ヴァラキは心臓発作で死去。享年66歳

2人ともに獄中死。

 

古きボス達が亡くなり、コーサ・ノストラの勢力は次世代に次がれていく。

カルロ・ガンビーノ(アナスタシア暗殺実行犯)、ジョセフ・コロンボ、トーマス・ルッケーゼ、ポール・カステラーノ、サム・ジアンカーナ、ミッキー・コーエン(ユダヤ系)、ジョン・ゴッティ、ヴィンセント・ジガンテ、カーマイン・ペルシコ

今では伝説となったマフィオーゾ達である。

現在ではあり得ないような暴力にまみれた時代だが、心情的には否定できない面もある。

まさに、ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカという言葉がピッタリ当てはまる。

戦争&テロを含む暴力、宗教問題、各種差別、各種犯罪は、人類が存在している間は無くなる事はないだろう。 

しかし、歴史の勉強により過去の失敗や成功のヒントを得る事が出来る。

過去の歴史を忘れるから歴史が繰り返されるのだ。

温故知新

 

ちょいとダークな資料をさらしてしまったが、娑婆は全て表裏一体という事を忘れぬよう記載。

それでは、また。 ごきげんよう。

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