10月27日(日)、台風27号&台風28号の影響で強風は吹いていたが、雨は降らなかった。 この日、宮城県仙台市よりスコップ団団長・平了氏が伊勢志摩へ来訪。 昨年7月10日(火)、平団長がヒッチハイクで日本一周している途中に伊勢志摩に来訪され、神宮外宮・内宮を共に参拝して以来の再会。 スコップ団団員である森伸弘氏が、地元の志摩市教育委員会と掛け合い、彼の母校である磯部中学校と、近隣の大王中学校、浜島中学校の3校において、10月28日(月)に平氏の講演が実現するに到った。 森氏の尽力に敬意を表す。
スコップ団とは、2011.03.11における東日本大震災後、被災地仙台市にて平氏を中心とする3名で人助け活動を始め、活動と共に徐々に仲間が集まり「スコップ団」という団体が形成された。 スコップ団のモットーは”人助けに理由はいらねえ”。 平氏自身、震災により大切な方を無くされ、本当の絶望というものを体験されている。
災害後、近県よりタンクローリー車一台分のガソリンを調達。 被災地で泥や瓦礫や遺体でグチャグチャになった家屋を一軒一軒手作業で洗浄していき、その家の家族の思い出の品を丁寧に洗浄したり、作業中に遺体や身体の一部分でもあれば丁寧に収集されたりという活動をされていた。 被災地の方々は全員が絶望の淵にあり、何も出来ない虚脱状態だったが、少しずつ綺麗になった思い出の品を見ると宝物が戻ってきたように思え、取り壊されると思っていた家が住める状態にまで綺麗になった姿を見て、再び生きる希望を持てたそうだ。 スコップ団の稼働詳細はインターネットやYOUTUBEにて拝観出来る。
作業中、泥の中から女性の片腕を見つけた時、その手には赤ちゃんと思われる手首をしっかりと握りしめていたと・・・。 愛情とはここまで出来るものなのかという話を拝聴した時に、感動で涙腺が緩んでしまった。
ペットを飼っていた為に仮設住宅に入居出来なかった年配の女性が、車内で亡くなっていたとの事。 また当時は一日に3品しか物品購入出来ないので、ペットの食料もその1品として購入する必要があるので、生活や生命に影響が及ぶという問題を知り、平団長はドッグ・ウッドというペット一時預かりや被災犬等を保護する活動も始めたとの事。 現在も活動中。
他にスマイル・フォー・バースデーという、子供達の誕生日にケーキを届ける活動も行われていた。 二千人以上の子供達の為に、2~3県先まで移動して材料を購入したりして準備されていたとの事。 絶望の中、誕生ケーキを貰った子供達の気持ちを思うと涙が出る。
ボランティアではなく、一人の人間として人助けを行う集まりが「スコップ団」。 しかし、活動の中、多くの遺体と向き合っていくには相当の精神的負担となる故、被災から1周忌の日に、被災者の鎮魂の為に2万発の花火を打ち上げ、法要を行い活動を一時停止。 現在はスタンバイ状態だが、昨年の京都水害時や、今回の伊豆大島の被災時には、全国から団員が集まって人助けを行っている。 今回10月27日(日)に伊勢志摩へ到着されたスコップ団・京都の小西氏は、10月26日(土)まで伊豆大島において、準備購入したブルーシートや砂袋を持って台風対策活動を行われていた。
自己満足のボランティアと称している者が多々いるが、彼等の行動は人助けとは違うように感じる。 また、名前を隠して活動を非難したり、罵ったりする連中も多々いるが論外。 日本人にはボランティアは必要無い、自然に近隣の者が集まり相互に助け合う姿が本来の日本人だと思う。 平氏率いるスコップ団は、それを体現している。 その背中を子供達はしっかりと見ている事だろう。
平団長(左から3人目)を囲んで一献。 いつもの「だいちゃん」にて。 右端のおじさんは前回と今回と2回下手打った為、”日の丸おじさん”から単なる”酔っ払いおじさん”へ降格。 団長、御迷惑をおかけ致しました。
左より、団長・平了氏、スコップ団京都・小西随晟氏、同・西村剛氏。
森伸弘氏の母校・磯部中学校にて。 真剣に耳を傾ける学生達。
木訥ながら、真剣に生きる意味を語る平団長。 朝、母親と喧嘩して学校へ行き、そのまま母親と死別した時に後悔はないか。 明日死ぬとわかっていたら、喧嘩するのか。 全てが当たり前だと思わず、一日一日を大切に生きろ。
生徒代表から感謝の言葉を聞く平団長。
大王中学校にて。
平団長の思いが文章として完全に表せず、申し訳ない。 平氏や小西氏と知り合えた事、非常に嬉しく思っております。 東日本の早急なる復興をお祈り申し上げます。 感謝合掌
それでは、また。 ごきげんよう。