北面武士

至誠通天

神宮春の神楽祭 「胡蝶」と「長慶子」

2015-04-30 | 日記
神宮春の神楽祭の続き。

「胡蝶」  右方 四人舞
平安時代中頃の延喜六年(西暦906年)、宇多上皇が童相撲を御覧になる際、
藤原忠房が曲を、敦実親王が舞を作られた。
左方の舞楽「迦陵頻」(かりょうびん)と共に、童子の舞(童舞)として名高い曲。

装束は、彩り様々な蝶の刺繍が施された萌葱色の袍を着け、背には極彩色の大きな蝶の羽を負う。
額には山吹の花を挿した天冠を着け、右手には山吹の採花を持つ。
曲の中程から蝶が花から花へと飛ぶ様子が現され、春の花園で蝶が舞い遊ぶ情景を思わせる舞楽。










右手の柱が邪魔で右手の舞人の撮影が困難。
























一つ一つの動作が可愛いい舞。 春を感じさせる舞楽である。



「長慶子」  舞なし
平安時代中期の雅楽の名手、源博雅の作曲と伝えられる。
よく整った格式の高い曲とされ、舞を伴わないものの舞楽曲に分類される特殊曲。
舞楽終了の際には、退出を催す退出音声として奏されており、拍子の早い舞楽吹で奏すことになっている。






柱に隠れて太鼓の奏者が見えないが、良い音を出しておられた。


内宮神楽殿における神楽は、基本的に「人長舞」・「蘭陵王」・「納曽利」。
春と秋の神楽祭の時のみに「振鉾」・「散手」のような武具を使用した舞楽を拝観する事が出来る。

多い時には神楽殿で年に7回程神楽を拝観させて戴いているが、舞人で飛び切り上手い方が一人おられる。
足裁き、所作の間、優雅さと力強さが、今回の「散手」の舞人とその方の姿が重なる。(面を被っているので) 
素晴らしい舞を拝観でき恐悦至極。 感謝合掌




春の神楽祭終了後、喉の渇きを癒やすべく赤福氷を食す。 あいわからず氷の量が多く、頭ズキズキ!
ついでに赤福2個入りパックを3箱購入し、夕刻、居酒屋「だいちゃん」へ差し入れ。

「だいちゃん」で飲んでいたら、伸ちゃんから伊雜宮奉賛会の宴席で一献との連絡があり、新宮司の柴本氏も同席との事。
六月二十四日(水)の御田植祭準備もそろそろ始まるのであろう。 


PCメイルに”ブログ・コメントがありました”を受信したが、返信のやり方がわからない・・・。
わからないので、ここで御礼させて戴きます。

比嘉様、
皇大神宮内宮御白石持行事以来、御無沙汰致しております。
このような酔っ払いの戯言のようなブログを読んで戴いているとは思っておりませんでした。
神宮を中心にした情報をお伝え出来ればと思っておりますので、向後もよろしくお願い申し上げます。
感謝合掌


それでは、また。 ごきげんよう。







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神宮春の神楽祭 「振鉾」と「散手」

2015-04-30 | 日記
四月二十九日(水) 雨曇

四月二十八日(火)~ 四月三十日(木)の三日間、皇大神宮内宮において「春の神楽祭」開催。
本来なら野外の神宮神苑にて開催されるのだが、二十九日(水)は”清めの雨”にて参集殿内能舞台にて開催された。


雨天の為、参集殿にての開催となる。 せっかく脚立を用意してきたのに・・・、とぼやいても仕方ない。

11:00開催まで時間があり、小腹が空いたので、おかげ横町「豚捨」にてコロッケを一個食す。
おはらい町をブラブラしながら、10:40に参集殿へ戻ったら拝観席が満員・・・。 
とりあえず、知らぬ顔して最前列席横の通路に座り込み撮影場所を確保。 
あまり良いポジションではなかったが、最後列からの撮影に比ぶれば上等と思うしかない。
待機の間、尻が冷える・・・。


☆ 雅楽とは?

今日雅楽と呼ばれている音楽は、飛鳥・奈良時代から平安時代の初めにかけて、支那大陸や朝鮮半島などから日本に伝来した音楽と、我が国で古来より行われた音楽(神楽歌など)の総称。

雅楽は、その伝来や舞の有無によって管弦・舞楽・催馬楽(さいばら)・朗詠・国風歌舞(くにぶりのうたまい)などの別がある。

支那や朝鮮では王朝の交代などに伴って早くに途絶えたが、我が国に伝来した雅楽は宮中の儀式や社寺の祭礼に用いられて、今日まで連綿として伝承されている。


 ○ 外国から伝来した雅楽
   *支那・印度に由来した「左方」または「唐楽」。
    舞がないものを「管弦」、 舞があるものを「舞楽」 左舞(さまい)

   *朝鮮に由来した「右方」または「高麗楽」。
    舞がある「舞楽」 右舞(うまい)

 ○ 日本に在来した雅楽
    舞がない 和歌を用いる「催馬楽」、漢詩を用いる「朗詠」
    舞がある「国風歌舞」(神楽歌・東遊など)


☆ 舞楽について

雅楽に舞が伴うものを舞楽。 舞楽は左方の舞(左舞)と右方の舞(右舞)に分けられる。

左舞は唐楽ともいい、支那・印度方面から伝来したものを指す。
奏楽は三管三鼓といって、笙(しょう)・篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうてき)・鞨鼓(かっこ)・太鼓(たいこ)・鉦鼓(しょうじ)の六楽器編成で、赤色を基調とした装束を用いる。

右舞は高麗楽ともいい、朝鮮方面から伝来したものを指す。
奏楽も左舞とは異なり、笙を用いず、龍笛に代わって高麗笛を、鞨鼓に代わって三ノ鼓を用いる。
装束は緑色を基調としている。

左舞・右舞ともに外来の舞楽だけでなく、これに倣って日本で作られた舞楽もある。
楽曲を奏する所役を管方といい、襲装束(かさねしょうぞく)と呼ばれる装束を着けて鳥甲(とりかぶと)を被る。
管方の筆頭である鞨鼓の所役は襲装束の上に赤い袍(ほう)を着ける。



本日の神楽は、「振鉾」(えんぶ)、「散手」(さんじゅ)、「胡蝶」(こちょう)、「長慶子」(ちょうげいし)。

「振鉾」  左方 一人舞   右方 一人舞
舞楽にあたり初めに奏される。
古代支那の故事に由来し、左方と右方の舞人が鉾を振り大地を鎮め安じて、天下太平を言祝ぐめでたい舞楽。
鉾で天地を厭うことから「厭舞」(えんぶ)と称されたものが、鉾を振ることから「振鉾」の字を充てるようになったと思われる。
転じて舞台を祓い清める舞楽とされている。
舞人は襲装束という出で立ちで、左方は赤の袍に金色の鉾、右方は緑の袍に銀色の鉾を執って舞う。














「振鉾」、優雅な舞である。


「散手」 左方 一人舞
神功皇后が新羅との戦の折、大和の率川明神(いさかわみょうじん)が船の舳先に現れ、指揮をとって敵軍を打ち破った時の姿を模して作った曲といわれ、仁明天皇の御代 (833~850)に、舞を大戸真縄が、曲は大戸清上が作ったと伝えられている。
また一説に、釈迦誕生の時に、師子頬王が作ったともいわれる。

舞楽の次第は、まず龍笛の奏する新楽乱声で舞人が舞台に登台し、登場の舞である「出手」(でるて)を舞い、舞台中央に鉾を置く。  続いて三管による緩やかな「序」という調子も豊かな「破」が奏される。
今回は「破」のみ演奏。 鉾を持って後方から前方へ駆けだしてくる様や、舞台の四方を鉾で突く所作が特徴的。
その後再び龍笛の新楽乱声が奏され、舞人は「入手」(いるて)を舞い舞台を降台。
舞振りは勇壮活発であり、勇ましい武将の姿を表現している。
舞人は赤色の袍に毛縁の裲擋装束(りょうとうしょうぞく)を着け、太刀を佩き、手には鉾を持つ。
顔には朱塗りの赤ら顔の面を被り、牟子(むし)を着け、その上に龍が玉を抱いている姿を模した甲を被る。














































気合い溢れる素晴らしい舞であった。 武道の足裁き、腰の使い、無駄のない迫力ある動作に圧倒された。
撮影後には全身汗まみれ、まるで舞人と格闘している感覚であった。

次回のブログで「胡蝶」を記載予定。

それでは、また。 ごきげんよう。 







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豊受大神宮とタコライス

2015-04-26 | 日記
四月二十五日(土) 晴

起床したら素晴らしい晴天。 洗顔し雑用を終わらせた後、豊受大神宮 外宮参拝を行うべく移動。
まずは、外宮駐車場に車両駐車して、外宮前参道にて昼食を摂る事とする。

伸ちゃんから情報を聞き、最近始まった「豚捨・外宮前店」限定メニューのタコライスを食す。
ジャンク・フードであるが大変美味也、自然と食が進む。 ソフトドリンク一杯付きで¥860。


沖縄発祥のタコライス。 米国のタコスをアレンジしてトルティーヤの変わりに御飯を使用。
本場メキシコのタコスは白く柔らかいトルティーヤに肉片(牛 or 鶏)が包まれているが、米国では黄色のパリパリの硬いトルティーヤに牛ミンチ肉、細切りキャベツ、トマト、チーズが挟まれている。  味付けも若干違いがある。



食後に外宮を参拝。


外宮参道から横断歩道を渡り外宮敷地内へ入る。



火除け橋前にて。



火除け橋の擬宝珠。



豊受大神宮。



外宮内案内図。



手水舎。 外宮は手水舎が参道左側にあるので、左側通行。  皇大神宮内宮は右側通行。
直接柄杓に口を付けたり、顔まで洗っている人が大勢いた・・・。 手水舎前に使用手順を明記した方が良いかと思う。



第一鳥居。



第一鳥居をくぐり、参道を進む。



参道右手に斎館。



第二の鳥居。









第二の鳥居をくぐると神楽殿。 勝手に使用して良いのかわからないが、いつもここで手水を使わせて戴いている。



旧・御正宮跡地は結界が張られている。





旧・御正宮跡地の空間に天空と地上との繋がりを感じる。 





御正宮にて参拝。



3年程前から結界が張られ、パワー・スポット扱いの石。 
不思議な顔で見物している異人さんカップルと、理解不能なまま撮影している私。



有名な亀石。







別宮・風宮。  今年3月15日に遷宮が行われたばかり。






別宮・土宮。  こちらも今年1月28日に遷宮が行われたばかり。



長い石段を登り、別宮・多賀宮へ。 本年度の神宮参拝禊会では、別宮遙拝を行った。



石段上より別宮・風日宮を望む。  上から見下げて申し訳なく思っております。







別宮・多賀宮。 豊受大御神御荒魂。



外宮参拝後、二軒茶屋餅店にて3個入りパック餅を20パック購入。 因みに、本日25日はくろあんの日。
明治大帝と西郷南洲公御来訪を記念して、毎月25日は黒砂糖を使用した二軒茶屋餅の製造・販売を続けている。
志摩のお友達に配布、気がついたら数量不足、自分の分も無い・・・。 


二軒茶屋餅店。


懐かしい赤いポスト。


天正5年創業。(織田信長公は天正10年没) 昔から変わらない製法を頑なに守り続けている。


その後、南さんと各種打合せを行いながらの一献。
南さん帰宅後、伸ちゃん、ノリさんと合流?、太郎ちゃんも参入して閉店までハイボール! 
最近はハイボール中毒増加中で、居酒屋「だいちゃん」の大将が中毒度No.1。 

それでは、また。 ごきげんよう。 






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久しぶりの晴天

2015-04-16 | 日記
四月十五日(水) 雨晴

久しぶりに午後から雨が上がり、お天道様がお出ましになられた。 感謝合掌。
晴天白日の下、長らく続いた曇天雨天で燻っていた気持ちも一気に晴れた。

あまりの嬉しさに海岸へ出向き、暫しの間太陽光線を全身に浴びる。 人間も光合成が必要だと実感。
欧州の連中が暇さえあれば日光浴する気持ちが初めて理解出来たような気がする。

太陽神・天照大神の恵みを一身に受け、丹田に精気が漲ってくる。 押忍!


久々の青空に心も晴れる。



平日水曜日、小春日和の静かな海岸で、サーファー達が波乗りを楽しんでいた。

禁酒3日目、アルコールも完全に抜け、体調も良好。 



四月十六日(木) 晴

本日も晴天となり、昼食後に芝桜を愛でに出かけた。
少々汗ばむような気候で、車の窓を全開にして疾走。 気分上々!



お天道様の回りにレンボー・サークルが。 神々しいが、眩しすぎて直視不可。



お天道様の恩恵を浴び、芝桜はすくすくと育つ。 逆光じゃダメか・・・。



次から次に人が押しよせて来るので、人物無しの写真撮影のタイミングが難しい。














前回訪れた時より開花していた。 今週末あたりが見頃かもしれない。


禁酒・野菜中心の修行僧の如き健全な生活を行っていると、俗の権化と呼ばれた昔の自分が毎日夢に出てくる。
風景や花、記念写真を小馬鹿にして、女性のポートレート写真しか撮影しかしなかった頃。
生活態度、言葉遣い等の所作を戒めるように努力している自分をあざ笑う、昔の自分が現れてくる。
これは自分自身を制御出来ていないという事かもしれないが、何だかわんねーや。 
何はともあれ、体調は良好なので問題無し。


気になったニュースがあった。

薄氏逮捕以来、益々権力闘争の激しさが増してきた。 
軍人達の命がけの内部抗争勃発間際。 因みに、軍隊は七大軍区に分かれている。


それでは、また。 ごきげんよう。









 


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春日大社~東大寺

2015-04-13 | 日記
四月十一日(土) 曇   続き。

大和神社参拝後、奈良市の春日大社まで移動。

春日大社へは伊勢国松阪市飯高町・水屋神社の神事、「御水送り神事」参列で何度も訪れているが、
いつも社務所で一服した後、御本殿にて昇殿参拝を行なっていたので、一般参拝者側の参道から訪れた事がなかった。
初めて参道を通ったが、距離が長くて驚いた。 

いつもと違う景色と社殿の向きなので、大変新鮮な感覚で参拝する事が出来た。


春日大社。 ここも藤原家ゆかりの神社。



初めて春日大社の参道を進んだ。 全てが初々しく思える。



前回、この鳥居の近くまで降りてきて、鹿せんべいを購入したが、一瞬で5匹の鹿に鹿せんべいを強奪された。



春日大社の由来。



異人さん達で溢れていた。 泰国が正月なので一番来訪者が多く、次に台湾なまりの支那語だから台湾人、あとはドイツ人も多かった。



この奥に御本殿がある。 今は亡き水屋神社の久保宮司を偲びながら参拝。 あの飄々とした姿が思い出される・・・。合掌



長い長い参道を下りながら、東大寺へ向かう。




日本人観光客は3割程度。 前回訪れた時、鹿は臭くて糞も掃除されてなかったが、今回は雨で清潔になったのだろうか、臭くなかった。 フンフンフン、鹿の糞、って歌を歌っていた奈良出身のお笑いの人がいたな・・・。





泰国の観光客が着物を着て記念写真を撮りまくっていた。 可愛い!



桜が舞い散った場所をうろつく場違いな鹿。 鹿は紅葉に決まっているだろうが! 邪魔だ、どけ!




南大門。 1199年に復興された国宝だが、相当傷んでいる。



南大門向かって右側、国宝・金剛力士像(吽形)。



南大門向かって左側、国宝・金剛力士像(阿形)



中門。



大仏殿(金堂)。  
古くは平安時代末期の平重衡、戦国時代の松永久秀により焼失。 当時の僧兵達は悪かったからね。
江戸時代に公慶上人の尽力により大仏、大仏殿ともに復興。 



中門屋根の下より大仏殿(金堂)を望む。



東大寺内で一番古い灯籠。





大仏(盧舎那仏)。 国家安寧を祈念する。




盧舎那仏。



盧舎那仏の脇侍・虚空蔵菩薩座像。



同じく、盧舎那仏の脇侍・如意輪観音座像。



四天王の一人・広目天像。



四天王の一人・多聞天像。  残りの四天王、持国天と増長天は未完成で、頭部のみが置かれている。



盧舎那仏の背面。



クイズが出ていたが、チンプンカンプン。  ティンプトン・カンプトン(支那語)。


ゆっくり拝観していたら、あっという間に帰宅時間となり、ここから春日大社の駐車場までの遠い距離を鹿の尻を叩きながら歩く。
藤原家の興福寺を訪れたかったが、時間がないので帰宅する。 
興福寺の阿修羅像を拝観すると何故か可哀想に思えてくる。 


京都で一泊しようかと迷ったが、歩きすぎて疲れたので、京都を横目に走りながら帰途につく。
帰宅後、一っ風呂浴びて「だいちゃん」にて一献。 伸ちゃん、もっちゃんと共に、ハイボールで大いに酔う。
角サン一本追加してゴクゴク飲みながら、夜は更けていく。

前回太陽を拝んだのは四月六日(月)の早朝八時半~九時の三十分間だけだった・・・。
清めの雨が長すぎて、部屋も心もジメジメして気持ち悪い。 おまけに寒い。
このままでは陽気な春が終わって、梅雨になってしまうのではないか。

今日より一週間、禁酒ウィーク。 読書に励む予定。

それでは、また。 ごきげんよう。








 
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